異界案件解決屋のお仕事

針機狼

プロローグ 切っ掛け

 周りを赤に染める夕焼け、帰る時間を鳴らす音、コンクリートの道を歩いて、一人公園に残って居た僕を迎えに来た両親の後ろ姿。僕が今でも憶えている両親との記憶は、それぐらいしか無い。そう、あの以来日僕の両親は消えたのだから。


 *  *  *


 バイト帰りの薄暗い夜道。駅から降りて僕はいつもとは違う帰り道を歩いて居た。向かう先は駅からは暫く歩いた先に有る宿泊施設の集まる場所。


 僕はあの家には帰らない。いや、帰れない。今更どの面を下げて帰れると言うのだ。


 チカチカと点滅する街灯に照らされるなか、無造作に捨てられた空き缶を発見。いつもだったら拾って近くのゴミ箱に捨てて居た。でも今日ばかりはそんな気に成れない。


 むしゃくしゃする頭を掻きむしり、怒りを発散する為だけにその缶を蹴り飛ばす。


『良い事をした分だけ、自分にも良い事が返って来る』昔誰かに言われた言葉だ。僕はその言葉を信じて今まで生きて来た。そう、ずっと信じていたのだ。今日この日まで。


 人生は何も上手く往かない、困っている人に手を差し伸べても、誰も僕を助けようとしない。助けを求めても皆が僕を無視する。本当の事を話しても、誰も信じてくれやしない。


 あの時もそうだ、僕は本当の事を話した。それなのに僕の言葉を誰も信じてくれなかった。警察もおじさんもおばさんも友達だったあいつらですら、僕の言葉を信じてくれない。今日だって……。


「早く今日泊まる場所を探さないと」屋根さえ有るならどんな安宿でも良い、最悪良い場所が見付からなかったなら、もう少し歩く事に成るだろうけど橋の下にでも行こう。


 僕が記憶に有る橋までの道を思い出していると、蹴とばした空き缶がようやく地面に着地した。思ったより力を込めて居たらしく、空き缶はぐにゃりと折れ曲がっており、カーンと音を立てて、転がる事も無く落下地点に留まる。


 数メートル先で留まるその空き缶を見て僕は何故か今の自分と重ねてしまった。他者からの暴力により折れ曲がり、自由に動くことさえ出来ず。リサイクルもされない。社会に存在価値も無いと不名誉な烙印を押されたゴミ。


 まさしく今の僕だ。なんで僕は生きて居るんだろう。なんでこんな苦しい思いをしてまで生きて居なければいけないんだ。僕なんて誰にも必要とされて居ないのに、なんで今まで生きて来たんだっけ。


 考えたくも無いのに、嫌な事ばかりが頭に浮かぶ。前に進む足もどんどんと重くなり、缶の場所へと辿り着く前に止まってしまった。


 その後は唯呆然と立ち止まって、折れ曲がった空き缶だけを見ていた。多分一時間ぐらいの間見ていたと思う。時間はもう深夜を回ろうとしていた。辺りは一気に静けさを増し、人の気配すら感じさせない。僕はそれでも動かなかった。動く気力も起きないで居た。曲がり角を曲がって来る彼を見るまでは。


 彼はどこか急いだ様子で、道奥に在る曲がり角から走って来た。僕は彼の名前もどんな人物なのかすら知らない。解る事と言えば、服装からどこかの会社で働くサラリーマン何だろうと言う事と、まるで何かに怯えたかの様に必死の様子だった事だけだ。


 僕は道端に落ちている缶から彼に視線を移す。僕が彼を見ると同時に彼の方も僕の事に気付いた様で、目が合った。


「おい、お前。俺を助けろ。金なら幾らでもくれてやる。だから早く俺をあいつから助けろ」命令口調で言われた救いを求める声。でも僕はその場を動かなかった。


 どうせ彼も僕を裏切る。助けたとしても、あいつの様に「金をやるだと。お前に俺の金を渡す訳無いだろ」とか平気で言うのだろう。だったら助けるだけ損だ。


 そういった考えが僕の足を余計に鈍らせる。僕はその場を動くこともせずに唯呆然と必死に走る彼を見ていた。


「おい、聞こえて居るのか。早く俺を助け」ろ、と最後の言葉を言い終わる前に彼は道端で転んだ。原因は僕が蹴った空き缶だ。必死だった彼は、僕に助けを求めるばかりで空き缶の存在に気付けなかったらしい。


 安定しない街灯にこの静けさ、そしてこの暗さだ。気付けないのも無理は無い。僕が空き缶の事さえ伝えて居れば、彼が転倒する事は無かっただろう。そしてこれから起こるとある現象を僕が目にする事も無かったことだろう。


 転倒した彼は、絶望した顔でこちらを見る。


「お願いだ、助けてくれ。俺に出来る事なら何でもする。だから見捨てないでくれ。お願いだ。お願いします。お願いしますから助けて」


 涙に濡れた彼の表情からも先程の傲慢さは感じさせない。心からの助けを願う声。その声を聞いてようやく僕の足は動き出した。だけど、動くのが遅すぎた。


 彼の後ろから人影がやって来たのだ。丁度街灯の明かりが届かない位置で立ち止まったその人影は、手のひらサイズの石を取り出す。そしてその石を彼に向け、空いた手で何かを石に近付けた。


 その瞬間、転んでいる彼は急激に取り乱す。


「嫌だ、消えたくない消えたくない消えたくない。助けて、お願いだから助けて」必死に泣き叫ぶ声が辺りに響き渡る。その声を聞き、僕は助けを求める彼の為に走った。


 でも僕が彼の元に辿りつく前に、人影の方が行動を起こす。


 人影の持つ石が眩い程の光を放ったのだ。その光を見た瞬間、走り出した僕の足は再び止まった。次に出た言葉は「え?」っと言う疑問の声。


 石から放たれる虹色の光は倒れ泣き叫ぶ彼に注がれる。そして、その場から彼が居なくなった。文字通り消えたのだ、僕の目の前で。


「なん、で……」その光景を目の当たりにした瞬間僕の頭は真っ白になった。立ち止まった足からは力が抜けて膝から崩れ落ちる。


 あの時と同じ光景。僕の、僕の父さんと母さんが消えたあの時と同じ事が今目の前で起こった。あの時と同じ様に僕の目の前で。


「あ、あ、あぁ」言葉が出なくなった。なんで、どうして?わからない。何も理解出来ない。頭が追い付かない。わけが解らなくなった。


 だって、さっきまでそこに居た筈の彼はもうどこにも居なくて。それで人影はこっちに歩いて来て。


 一歩、また一歩とこちらに歩み寄る。そして人影は街灯の明かりが照らす場所へと足を踏み入れた。


 人影は普通の人間だった。何の変哲も無い僕と同じ人間、怪物でも無ければ、幽霊でも無い。そいつは正真正銘僕と同じ人間。


「あ? なんでこんな所にガキが居やがるんだ。ちっ、ネズミ一匹近付けるなつっただろうが。まぁ良い、ガキの一人や二人居なくなった所で……。いや、お前どこかで」


 ガラの悪そうな顔をしたその男は、まじまじと僕の顔を眺める。


「ま、どうでもいいか」男はそう言って、彼にした様に虹色に輝いているあの石を向けて来た。


 その瞬間、真っ白になって居た頭が、今度は恐怖に染まる。死にたくない。死にたくない死にたくない。


 さっきまで自分に生きる価値も無いと考えていたのが嘘の様に、必死に、生き汚く、生にしがみ付こうとして、必死に助かる術を探す。


「い、いやだ。死にたくない。死にたくない。だ、誰か」


「叫んでも無駄だぞ。此処には俺とお前しか居ないんだ。こんな所に迷い込んだのが運の尽きだったな」


 男は手に持って居るライトを石に近付けて、石越しに光を当てて来る。終わったと思った。僕はもう助からない、この男が言った通り助けも来ないで殺されるのだと。


 だけどそうはならなかった。彼女がそんな事をさせなかった。


 当てられる光を遮る様に覆われる漆黒の布。それは、石越しに放たれる光を完全に防ぎ、僕は消滅を免れた。


「悪いが、私が来た以上。そう簡単に死人は出させてやらんぞ、連続消滅事件犯」


 隣から、女性の声が聞こえて来る。とても力強く芯の通ったような声だった。


 一方、黒い布に覆われた僕は状況が解らず困惑していた。一体何が起こったんだと疑問を抱えていると男の声が聞こえて来る。


「箱崎彩香。な、なんで解決屋が此処に」


「おや。好き放題派手に暴れておいて、気付かれないとでも思っていたのか?だとしたら、とんだお花畑脳だな」


 箱崎彩香と呼ばれた女性は男を焚きつけるようにそう言うが、男は誘いに乗ることは無くその場を逃げ出す。「解決屋の相手なんかしてられるか」


「あ、なんで逃げるんだ」逃げる男を追いかける女性の足音を耳にしながら、僕はようやく覆い被さった布を掃い退ける。


 足音のする方向へ振り返った時に、曲がり角を赤い髪の人物が走り去って行く所を見て、僕は思わずその後を追いかけた。


 別に何か考えが有って後を追った訳じゃ無い。とにかくなんで彼が消えたのか、何故十年前のあの日両親が消えたのか、その原因が知りたかった。後を追った理由なんてそれだけだ。


 他の余計な事なんて考えずとにかく必死に走る。


 そして、息が切れた始めた頃にようやく行き止まりに辿り着いた。だけどそこにはさっき見かけた赤い髪をした女性の姿しか無かった。


 女性は地面に転がる青い宝石を拾い上げて「ちっ」っと舌打ちをする。僕は状況を確認する為、息を切らしたまま赤髪の女性に近付く。すると、ガバっと女性に僕の腕を後ろ手に掴まれ、気付いた時には組み伏せられていた。


「ひっ、殺さないで」喉を潰そうとする彼女の指先を見て咄嗟にそう言ってしまった。我ながら情けないとは思いつつも、僕の言葉で動きを止めた彼女の指先を見てホッとする。


「あんたは、さっき襲われていた……。怖い想いした癖にわざわざ追いかけて来るなんて随分と物好きな奴だな」


 端正な顔をした赤髪の女性は、訝し気な表情を浮かべて僕の目を見て来る。というか近い近い。彼女は真っ直ぐ僕の目を見て来るし、なんかいい匂いもして来て、頭がふわふわして来る。


 赤面しながら回らない思考のお陰で動けず、返事も返せないままでいると、彼女は組み伏せた僕の上から立ち上がり、起き上がるよう促すかの様に手を差し伸べて来る。


 まだ少し恍惚としている思考を振り払い、僕は促されるがままに彼女の手を取り、倒された体を起こす。


「今日あった事は忘れろ。それがお前の為だ」彼女は忠告を突き付ける様にそう言って、その場を去ろうとする。


 忘れろだって、冗談じゃない。僕はあの時の事を知りたいんだ。あの男が持っていた虹色に輝く宝石は絶対に僕が過去に目にした事件と関係がある筈。それを見なかった事にして、あんな地獄に戻るくらいなら……。


 虹の光に照らされた人が消える。その現象をまた目撃したからこそ、僕は僕の見たものが幻じゃ無かった事を証明しないと気が済まない。だからこそ僕は歩き去ろうとする彼女を呼び止めた。


「あ、あの。貴方はあの男を追うんですよね。だったら僕も連れて行かせて下さい」


 これが僕の人生を変える事になる人物。異界案件解決屋、箱崎彩香さんとの出会いだった。


 当然この後、ダメだと断られたのだが必死に土下座して頼み込んだら、渋々了承してくれた。彩香さんは押しに弱いようだ。

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