第9話 十分にお互いもらったのだから

 天は暗くとも、地平とそれを分つように一筋の光条。


 最も明るい天星が顔をのぞかせる頃。


 照らされる長城砦ちょうじょうとりで。その屋上区画。


 広場にて巨体きょたい小躯しょうくがいた。


 片方は赫鴉カクア


 もう片方はエンルマだ。


 相対する二人の顔は互いを見ていた。


 そして、距離が縮まる。


「ッ!」


 赫鴉カクアの右を前にした縦拳の振り下ろし。


 エンルマは半身になってそれを回避。


 その動きでみぞおちに向けてかぎの突き。


 巨躯きょくは左腕を伸ばして、速度が乗る前の拳を殺す。


 弾いた挙動から腕ごとクリンチを仕掛ける。


「チッ!」


 体格の不利を承知しているエンルマはそれからのサバ折りを嫌って、膝を曲げての両腕の回避。


 次のアクションが来る前に、股間に向けて掌底込みの立ち上がりをかます。


 彼は彼女の頭に両手を置いて、飛び上がりの逆立ちで迫る手をかわす。


 振るわれる方向に腕のバネで逆らわず跳んだ。


「金玉潰れたらどうすんだ?」


「再生出来るじゃろ」


 今度は距離を取りつつ、赤髪がリーチ差を利用して左ジャブの速射で連打。


 エルフはウィービングで左右に回避。それでも全打ギリギリで、頬に擦過傷をその数だけ刻まれる。


 左右二打ずつ刻まれた側はバックステップで再度距離を取る。


 不用意に近付けば重い右の主砲を喰らうからだ。


「逃げても勝てねえぜ」


 赫鴉カクアは詰めるステップ。


 そこに彼女のカウンターの右。


 誘い込みからの一撃だった。


 だが、そこには彼の腕があった。


 弾き、両での乱打。


 たまらず距離を取ろうとするが、出鼻をローの蹴りで阻まれる。


「なら……!」


 打撃の嵐の一瞬。赫鴉の蹴りの着地を見計らって、エンルマは無理矢理その膝を駆け上がって顔面へのシャイニング・ウィザードを叩き込む。


あめえぜ、師父しふ……!」


「こ、の……!」


 しかし、膝皿に額がカチ合う。


 止めた男が相手の腰を掴んで、倒れ込みブリッジで叩き付ける。


 エンルマは迫る地面に無理矢理手をついて、衝撃を殺した。


 仕留め切れないと判断した赫鴉は、彼女の踏ん張りを起点に腰から下の跳び上がりで離して着地。


 そのまま低姿勢でタックルを仕掛ける。


 直撃の直前で復帰したエルフはどうにかサイドステップで回避。


 向き直った両者は一瞬見つめ合うが、男が今度は起きた姿勢でタックル。


「ふぅ!」


 しかし、彼女は回避せずがっぷりと受け止めた。


 そして、


「おひゅぅ」


 組んだ拍子に赫鴉カクアの尻を揉んだのであった。


 ***


「んだよ、これからって時によーう」


 赫鴉カクアは近くの自販機から竹製ボトルのスポーツドリンクを自身と師父しふの分を買って来て、落下防止柵にもたれかかっているエンルマに渡す。


「仕方ないじゃろうて。こうしたおふざけでもせんと、オヌシ止まらんからの」


 呆れ返る彼女はボトルを受け取って、一気にあおる。


白星ハクセイはやはり良くないか」


「まあな。ま、たまには寝かしといてやるのもいいだろ」


「嫌じゃのう。凶と分かっていてもそれまでのラグがなく、対策も何も出来ないのは」


「別に師父しふのせいじゃねえだろ?」


「シンドい思いをしてる弟子を助けられんのが不甲斐ないんじゃ」


 エンルマは数十メートル離れたボトル専用ゴミ箱の穴に、寸分違わず空のそれを投げ入れる。


「……ガキも未だに望めんのじゃろ?」


「しゃーねえだろ。アイツはただでさえ想念側の存在なんだ。意識で望んでも、無意識で望んでないなら不可抗力だ」


「……ワシ、オヌシの大人ぶってるトコキライ」


 彼女は目を細め、顔のシワを複雑にする。


「俺は師父しふの世話焼きたがりなトコは好きだぜ」


「そういうリップサービスは白星ハクセイにしてやらんか」


「えー、だって、アイツを今の体まで治したの師父じゃんか。こんくらいバチは当たらねえだろ」


 次男は空のボトルを指弾でゴミ箱に突っ込んだ。


「それに俺は教えを日々守ってるんだぜ?」


「確かに『知らぬのに力を振るう傲慢』とは説いたが、オヌシの適用範囲については思い至らなんだ」


「それでも、俺らの色々面倒やケツ持ってくれたのは貴女だろ」


「ワシは口を添えただけで、発端と歩みはオヌシらじゃ」


 体の力を放り投げて、エルフは隣の照る顔と空を見上げる。


「んー、じゃあよ。いつかは分かんねえけど、なんかの形で報いるから、それまで見ててくれよ」


「もう、ワシより強くなってるので十二分に報われとるよ」


「でも」


「でもも、ハモもないわい。全く、ワガママするところは子供じゃの」


 むう、と赫鴉カクアは口に空気を含んで尖らせる。


 全く、とエンルマは二律にりつ空間から提灯ちょうちんパイプを取り出して、指先で展開したとろ火術式であぶりながらくゆらす。


師父しふだから大丈夫だけど、その見た目でヘロインキメるのは時々心配だなあ」


「やかましい。ワシの数少ない刺激にケチをつけるな」


 深い静かな呼吸音。


「ままならんのう」


「どうしたよ、急に」


 見下ろす巨漢と、けぶり見上げる幼女の目がそれぞれに映る。


「聞いたぞ。『世界征服』、じゃろ? ま、オヌシのことだから無法はせずとも、無茶苦茶やらかすのが目に見えての。遠いトコに行ってしまったの、と」


「一緒にやれるだろ? そんな心配か?」


「今の今で赫鴉カクアにしか負担が行かざるおえんからな。老骨には仕込みだけで、もう荷が重い」


「無理にやってくれとはいわねえさ。確かに白星ハクセイが倒れてるから、作業は増えてるけど、さばききれねえわけじゃねえ」


「……野暮用が出来た」


「……どんくらいで帰る?」


 パチパチとパイプの中身が弾ける。


「早められるなら早く帰るわい。ま、仕事は手伝えんが、終わったら呑み程度は付き合ってやろう」


「俺、酒苦手なんだけど?」


「おう、付き合い程度には呑めるの知っとるぞ? ま、酌だけでよい。ほれ」


 と、エンルマは二律空間から栓のされた酒瓶を突き付ける。


 渋々と手を伸ばした赫鴉カクアは、一瞬戸惑って、しかし受け取った。


「って、安酒じゃねえか。そんな給与悪かったけ?」


「余り気負わせないようにじゃ。帰ったらもっとイイの買うからの」


 一際深く肺に煙を溜め、吐き出してから、


「じゃから、その顔をやめんか」


 彼女から見える朝に焼ける顔は空気が抜け、曲がった口と両方とも下がった眉尻があった。


「ま、忙しいのは分かっとる。でも、ワシがやれることはやるだけやったからの。ここから先は余暇じゃ。鷲相ショウソウの小僧にも伝えておる」


「親父はなんだって?」


「『大仕事の後なのに迷惑かけるねぇ』じゃと」


「突っぱねてもいいんだぜ?」


「言ったじゃろ? 野暮用じゃ。軽く片付けてくるよ。あと、あの鉄塊の情報じゃ」


「おう、サンキュ」


 エンルマは投影端末を表示して、一つの情報を赫鴉カクアに送る。


 そこには白星ハクセイと先日の鉄塊の遺伝子関係が載っていた。


「改めて見るとシンデえなあ」


「拒絶はしないオヌシの方がワシはシンドいよ」


 戦場や彼の巨槌きょついに付着していた鉄塊の残滓から解析したものだった。


 そして、両者の遺伝情報の合致が示されていた。


「もう片方が下手人ってことでいいよな?」


「……もう少しなんかないかの?」


 エンルマは起き上がって、弟子を見直す。


 先程の伏は落ち着き、起の少ない顔をしている。


 よく変わる顔だと思い、また、酷く期待の外れる男だとも思った。


「? ああ、下手人がビサニティの魔獣じゃないことか」


「もうよい。怒り通り越して泣きたくなるわい」


「いいじゃねえか。会ったそのときにぶつけりゃ問題ねえ」


「今から会いに行けるとしたら?」


 エンルマは彼の顔を見ずに呟く。


 その顔は平らであり、声は大人しい色でしかなかった。


「行かねえ。今はココでやるべき事があっからな」


 彼女の声への対象は少し固く、しかし張りのある声と顔で返した。

 

「さようか。ならワシから言うのはなにもないな」


 エンルマは吐く煙で輪を作って、パイプを閉まって立ち上がる。


白星ハクセイによろしくな。情交はほどほどにしとくのじゃぞ」


「無茶いうな。お互いヤリたい盛りだぜ?」


「アヤツの体調をおもんぱかって、ソッとしとく程度の甲斐性がナニを言うのじゃ」


「メリハリだっつうの」


「よくいう。ま、ではの」


 そう言って、彼女は弟子が裂いた大地の方角へと跳んだ。

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