第15話「ある夜の話」
俺は気ままにベッドに寝転んでいる。何も無いいつも通りの生活だ。家族のいる生活にもかなり慣れてしまった。人間は割と早く環境に慣れるもので、これも一種の『住めば都』なのではないかと思う。
明かりを消してぼんやりと布団をかぶって眠るというのは気持ちのいいことだが、なんとなく眠れずただぼんやりとしていた。妹が隣の部屋にいるとしても気にすることはないはずなのだが珍しく夜も更けていない時間帯から無音が続いていた。いつもならやかましいというか艶めかしいというか、とにかく隣の部屋からの音になれてしまっていたのか無音環境では逆に落ち着かない状況になっていた。
寝返りをうって目をじっと閉じていても眠気の方はやってきてくれない。意識はぼんやりとするもののそれ以上になる事は無く、中途半端に寝ているのか起きているのか分からないような境界上に意識があった。
コン……コン……
何かをつつく音が聞こえてくる。まともに意識があれば間違いなく何であるか分かるのだが、眠りの世界との境目にある俺の意識ではそれが何であるか理解を拒んでしまう。少しして、人のささやきのような音と布がこすれるような音が耳に障る。何の音だろうか? 少なくとも俺は動いていないので俺が出す音ではないのは確かだ。では一体……?
突然手が温かいものに触れた。何だろう? 覚えのあるような気のする暖かさだが、部屋の中にこんな温度を出すものがあっただろうか? テレビの本体ならこのくらい熱が出ているかもしれないが、絶対に俺の位置からは触れることが出来ない……はずだ。
「お兄ちゃ……ふふふ……だめ……きゃ……ああ……」
何か声が聞こえてくる。聞き覚えのある声、それが誰のものかははっきりしない。少しぼんやりしていると手に柔らかな感触があった。いや、あったと言い切ることは出来ないだろう、もやの中のような意識がそう認識しただけだ。
「あ……きゃ……うん……ああ……」
ささやきかさえずりのように思える声が聞こえる。幻聴でなければ俺の部屋の中に誰かがいるのが確かになる。それはぞっとするような考えのような気もするが、俺にはそれにが良いがないことはなんとなく理解できる。おそらく本能的なものだと思うが俺の体に痛みが走っていない時点で俺を傷つけるつもりは無いのだろう。
「んん……お兄……ゃん……らめ……」
なんだか手に触れている何かが少し温かくなっているような気がした。そうだ、まるで人肌の体温という言葉はこのためにあるのではないかと思えるほど俺の手とその何かのあいだに温度差と呼べるものは無かった。
意識が遠のいていく、それをギリギリのところで意志の力でとどめる。なんだかこのまま意識を失うと取り返しの付かないことになるような気がした。家庭内で危険も何もないのだろうが無意識の状態で誰かと一緒に自分だけ寝ることは酷く恐ろしいような気がした。また手が触れているものの温度が上がったようで、心地よいぬくもりが手のひらから伝わっていく。
意識がぼんやりとしていくのを止められないようなので、俺は手に力を入れてみた。
「きゃ!?」
小さな声が聞こえたはずなのだがそこで俺の意識は途切れた。
窓から陽光が差し込んでくる。心地のよいいつもの朝になったようだ。昨日の夜何かがあったような気がするが、大概の夢と同じように寝そうな状態でまともな記憶は持っていなかった。なんだか柔らかいものに触れたような気がすることだけが記憶に残っている一つだけの事実だった。
さっさと起きて着替え、キッチンに向かう。休みだからだろう、俺と茜はいるが両親は共に社畜活動にいそしんでいるようだ。
「ふぁ……おはよう」
「あ!? ええ……!? はい! オハヨウゴザイマス!」
「なんでそんなに驚いてるんだ?」
「おお驚いてなんていませんよ!? ただお兄ちゃんが案外……いえ、ちょっと待ってください……お兄ちゃん、昨日何時に寝ましたか?」
「え? 覚えてないけど十時にはベッドに入ってたぞ」
唐突な質問によく分からないが答えた。
「つまりお兄ちゃんは昨日何もなかったと?」
「何かあったっけ? ああ、寝る前にソシャゲのガチャを回したら最高レアが出たな」
茜はぐったりとしてからため息をついて俺の方を向いた。
「いいですか、お兄ちゃんは昨日普通に寝たんですね?」
「それがどうかしたのか?」
「いえ、なんでもないです……ふひひ……」
気味の悪い笑い方をする茜。
「何か言いたそうだな?」
「いいえなんでもないですよ! お兄ちゃんが早寝早起きでよかったなって思っただけです! 早起きは三文の得って言いますしね」
俺は何かあっただろうかと思うがどうしても昨日のことで特別なことなど思い当たらない。実は何かあったのだろうか? 俺は何も知らないし、覚えがない。妹に嫌われることなど進んですることは無いので茜が意味も無く俺を嫌うことがあるのかと考えるが、合理的な理由は思い当たらなかった。
「お兄ちゃん、朝ご飯にしましょう!」
「ああ、そうだな」
そして朝食を食べているときに茜が俺に声をかけた。
「お兄ちゃん、一つお願いがあります」
「何だよかしこまって?」
「いえ、お兄ちゃんの健康のために時々は早寝早起きをしてくださいと言いたいだけです。それだけですから、気にしないでください!」
「それだけなのか?」
「ええ、私はそれだけで十分に満足ですから」
そう言って自分の食器を片付けていた。結局、俺には昨日の記憶に取り立てて特別な物を思い出せずいつもの日常が続いているだけだった。
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