第3話「安心できない就寝時間」

 そう、これは決して盗聴ではない。別に盗聴器を仕掛けたわけでもなければ、ネットワークをハッキングしているわけでもない。なんとなく水を飲み終わったコップを壁にあてているだけだ。


「ひゃふふへへへ……お兄ちゃん……ふふふ」


 なんともだらしない声が聞こえてくる。俺だってそんな言葉を聞くために隣の部屋で怪しい行動をしているわけではない。その前に大声で恐ろしい発言が聞こえた気がしたからだ。先刻のことになる、俺は風呂上がりに自分の部屋に入り壁際においてあるベッドに横になった、その時だ、隣の部屋……つまり茜の部屋から少し言葉が聞こえてきた。


「お兄ちゃんを……手足を……せば……私の……痛いのは……いえ……必要な犠牲で……」


 全身の毛が逆立った。怖い怖い怖い! え!? ウチの妹はそんなやべーやつだったの!? ヤンデレって実在したの!?


 その言葉が聞こえたから俺はこうして怪しい行動を取っているわけだ。気のせいかもしれないのだが、俺が聞こえた言葉を保管するのなら「お兄ちゃんの手足を潰せば私のものになります痛いのは可哀想ですが必要な犠牲です」となる。そらそんなサイコパスが同じ屋根の下、隣の部屋にいるかもしれないとなったら不安にもなるだろう。


 さすがに妹がそんな危険思想をしているはずはないので俺が無理のあるこじつけを言葉のサラダから生み出してしまっただけだろう。単語の羅列をストーリーとして認識できる程度には人間の脳はハイスペックだからな。


 明日は休日だが茜は危険思想の持ち主なのではないだろうかと思えてくる。妹がそんな考えを持っているわけがないな! ヨシ! 気にしないことにしよう!


 こういうのは深く考えたら負けだ。気をもんでもロクなことがないのでそう言う邪推をするのはよくないな。人間とは生まれながらに良きものであるはずだ、俺は性善説というものを信じている。時折倫理から外れた人間が出てくるがそういうのは特殊例だろう。ましてや妹などと言う身近な存在が特異な例に含まれているはずがない。


「寝よう……」


 せっかく新しい家族が出来たというのに思い悩むのはやめておこう。茜だって突然兄が出来て戸惑っているだけだろう。


 ポチッと……


 明かりを消すと視界が狭まる、視覚が当てにならなくなると人間というのは他の感覚が優れてくるもので、当然のごとく静かなくらい部屋に隣の部屋からの物音が響いてくる。


「あぁ……お兄ちゃ……らめ……そんな……お兄ちゃん……しゅき……」


 これを聞きながら平然と眠れるだろうか? クッソやかましい嬌声を妹とは言えちょっと前まで関係のなかった少女の声が響いてくるわけだ。今は妹だから良いじゃんとでも言う気だろうか? 無理だろ!


 眠れないままベッドで横になっていると突然となりが静かになった。静かなのはいいことなのだが急に静かになるときになってしまう。


 俺はふと、なんとなくだが妹の部屋と俺の部屋を区切っている壁をパンと平手で叩いてみた。これについては勘でやってみたとしかいいようがないのだが、叩いたときに『きゃ!』と小さな声が聞こえてきたので、つまりは似たもの同士ということなのだろう。


 聞き耳を立てるならバレないようにしないとな!


 その一発でさすがに静かになったので俺は今度こそ眠れると思った。しかしまた声が響いてきたのだが……


「お兄ちゃん……乱暴なのは……嫌いでは……」


 ツッコミどころ満載な独り言に変わってしまった。この状況でどうやって寝ればよいのだろう……ご丁寧にこちらに聞こえるか聞こえないかギリギリの音量で声にしているため丸々聞こえるよりもたちが悪い。


 気になってしょうがないので俺は奥の手を使うことにした。机の引き出しを開けて中から黄色のウレタン製耳栓を取りだし押しつぶして耳に押し込んだ。


 さすがに耳栓の力は強力で、今度こそ静かな環境を作ることが出来た。

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