第8話 体育祭 2/3

 いやあ、だってお隣さんなんだから、知ってるよ。って苗字も珍しいし。観空のお母さん、うちに挨拶しに来た時、アタシとおんなじ学校の息子が居るって言ってたし。


 俺たちは二人三脚練習の為、淀淵の案内で団地近くの公園へ向かっていた。


「何時から?」


 何時からって。引っ越して来た時から?教室で顔見るまでは忘れてたけど。ああ、この人がお隣さんなんだぁって。


 それなら、俺は淀淵のことを怖い態度の女だとか、悍ましい雰囲気の女だとか、総合的に判断してあまり関わり合いにならない方が良いとか思っている時にも、淀淵は俺のこと知っていたのか。


 正午を過ぎて四時間ほどが経ち、陽の傾いた公園へ俺たちはやって来た。夕日と公園。その情景は何処かノスタルジックである。公園と言っても遊具の類は何一つない小さな空き地みたいな公園だから、子供の頃を思い出させる物は無いし、はなから俺はこの辺りで育ったわけでもないから、懐かしさを感じるのは違う気もする。ただ、俺は久しぶりの公園の空気に童心へ帰って、毒気を抜かれているみたいだった。


「もうちょっと、こっち来て」


「何で?」


「何でって、縛れないからでしょ。もう」


 三人掛けベンチの端へ俺は自然と座る。淀淵は真ん中へ座り、それだけでは飽き足らず、俺に残された数センチしかないパーソナルエリアを侵犯する。

 淀淵の尻と肩が俺の身体に密着してくる。デート以降、淀淵の纏うオーラは、元の暗雲立ち込めるみたいな禍々しさから、彼女だけが日陰の中に入っているみたく黒っぽい、もの鬱げに見えるくらい落ち着いている。

 今は梅雨明けし、一日で一番熱い時間帯に、淀淵が俺の太腿に自分の太腿を沿わせるようにくっ付けるからもう熱いのか寒いのか分からない。


 オーラの身の毛もよだつ霊的不快感に当てられて、温覚と冷覚がバグっている俺を他所に、淀淵は容赦なく足首を鉢巻をキツく縛る。それはもう、逆に走り難いだろうと言わんばかりに、徹底的に固く締め上げる。


「そんなにキツくしなくても。逆に走り難いだろ」


 俺がそう言うと、下を向いていた淀淵が顔を上げる。その顔は何時ものような無表情であり、顔を上げたその一瞬だけ据わった目で俺の顔を捉え、間も無く二人の時の柔らかい顔付きに戻る。


「ああ、ごめ。痛かった?」


「いや、別に。でも、そんな真剣に結ばなくても」


「解けたらどうするの?」


「そん時はその場で結び直してから再スタートなんじゃないか?」


「……」


 俺、何か変なこと言ったか?

 淀淵は不服そうに顔を背け、やはり少しキツめに鉢巻を縛り終えた。

 どれだけ二人三脚に賭けているんだ。


「じゃあ、立ってみるよ」


 淀淵は俺の横っ腹に腕を回して強く抱き付いた。お腹を触られると少し恥ずかしい。俺は正直筋肉には自信がない。太っているわけではないが、それは見た目の話しであって、横っ腹には運動しない分の内臓脂肪とか、筋肉がなくてハリがない分の皮とかが余っている。 


「――せーの」


 『せーの』と音頭を取ったにも関わらず、俺たちは上手くベンチから立てなかった。俺がよろめいたのが大きい。


「ちゃんと、アタシに捕まっていいから」


 淀淵は体育会系の熱が宿った真剣な面持ちである。それを見て俺も気持ちの切り替えが付いた。

 ――全く、何を遠慮してるんだか。淀淵は本気なんだ。俺も真面目にやらないと。

 俺は淀淵の肩に手を回し、抱き寄せた。


「――きゃっ」


 肩に手を置き、少しばかり腕に力を入れる。すると、淀淵はびくりと身体を震わせる。


「変な声だすな」


「ご、ごめん」


 赤面する淀淵。

 止めろ。俺が淀淵の真摯な練習態度に打たれ、苦手な幽霊も、苦手な女も、ヤる気が有るのかやる気が無いのか、多分方向性が間違っている心を鼓舞して真剣になった途端、淀淵が変に意識し出す。いきなり歩調が合っていない。

 こんな普通の団地の何もない公園で、これだけ密着して、肩に手なんか回しているだけで俺は相当に恥ずかしいんだから、淀淵が今更恥ずかしそうにしないでくれ。


「ほら、いくぞ」

「――せーの」


 今度は俺が言った。


 いち、に。いち、に。いち、に――。

 二人三脚は歩幅を合わせ、歩調を合わせ、呼吸を合わせる。それだけではなく、体重とか体幹とかまで共有しているみたいで不味い。


 ――冷静になれ、俺。静まれ、考えるな。


 これだけ密着していると、淀淵の身体の動きが関節的に分かる。つまるところ、肩に回した手とか、淀淵が俺に回す手から、淀淵の体重移動――大きな胸の揺れが分かる、気がする。


「今日で随分上手くなったんじゃない?」


「そうだな。暗くなったら危ないし、今日は終わりにしよう」


「えー」


「転んだら危ないだろ?」


「……アタシが転びそうになったら、観空が助けてよ」


「いや、淀淵が転んだら、俺も転んでるよ」


 ――二人三脚なんだから。転ぶ時も息ピッタリ。


 約三十分ほどの練習を済ませて、俺たちはまた開始地点であるベンチの所に戻って来た。俺の感覚的には三十分の練習は短いが、割りかしに単純作業とも言える二人三脚は練習を三十分続けただけでかなり飽きが来る。というか、足並みを揃える感覚だけ掴めれば大して難しいことではない。

 集中すること、変な歩き方を悟らせないことが難しいだけだ。


 たった三十分経っただけで、空は紫色とオレンジ色のグラデーションに染まっている。


 俺が空模様を見ている間にも、淀淵は鉢巻を解いた。

 何でか、まだ鉢巻が巻いてある感覚が残っている。なんか冷たくなってるし、やっぱりキツく結び過ぎだ。


「帰ろう」


「んー。分かった」




 家に戻る頃、外は藍色の帳が降りていた。俺は淀淵が家に入るのを見送った後で、自分の家に帰った。


「ただいま」


 返答はない。まだ親は帰って来ていないらしい。

 しかし、今日は疲れたな。淀淵の幽霊にも少しずつ慣れて来たが、接触した時の疲労感だけは拭えない。肩が重く、軽い頭痛と、関節の凝ったような感覚。身体は熱いのに、皮膚の表面は冷え冷えとしている。まるでインフルエンザだ。

 俺は玄関に座り、一足ずつお気に入りのスニーカーにたっぷりと付けて来た公園の砂を落とし、制服の裾に付着した砂埃を払う。

 二人三脚で結んだ方の足の靴を脱ぎ、同様に砂を落としていると、ふと足首に巻き付くような不快感に気付く。鬱血してるのか、ちょっとマッサージでもしておくか。

 そう思い、俺がズボンの裾を捲り上げると――。


 俺の足首には青くなった手形の跡が残っていた。

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