第9話 体育祭 3/3
「これ、締め過ぎ?」
「いや、丁度良いよ」
「ちょっと動いて」
「ほら」
「うん、大丈夫そう」
いよいよ、体育祭本番。俺たちの出場する二人三脚の開始が迫っていた。
約一週間、やりすぎなほど俺たちは二人三脚の練習をした。
だから、俺と淀淵に取っては今までの成果を示す緊張の本番なのだが、体育祭に置いて二人三脚は午後一発目の余興、腹ごなし、今大会の色物種目である為か全く真剣勝負とは程遠い雰囲気だ。
二人三脚は男女のペアで参加ということで、男も女も派手な奴が多い。他の参加生徒はイチャイチャしたり、ツンケンしているが満更では無さそうだったり。恐らく今日に限ってはこの二人三脚とその参加者が一番に青春を謳歌している。
俺もここに並ぶ頭がお花畑みたいなヤツらと同じに見られている。側からはそう見えるのかと思うと、少しの愉悦がある。他の参加者の誰よりも淀淵は可愛いし。まるで夢でも見ているようで、これだけ女子生徒とくっ付いているのだって去年の俺には全く想像の出来なかったことだ。
やっぱり、こんな美人の淀淵と二人三脚に出るなんてかなり目立つよな。
「(いち、に。いち、に。いち、に)」
淀淵は小声でデモンストレーションをしている。
俺も集中しないと。
それでは、位置について……よーい。
――パンッ。
スターターピストルの発砲音が轟いて、俺たちは走り出した。
二人三脚の結果は――堂々たる一位。
終わってみれば、俺と淀淵の息があってるとか、練習の成果が出たとか、そんなことよりも淀淵の上背が大きかったのが勝因だった気がする。他の女子よりも歩幅が大きい分、俺らは地力が違った。
「やったー」
喜ぶ淀淵。別人みたく表情を緩ませ、飛び跳ねた。
当然、そんなことをすれば足の繋がっている俺に引っか掛かって――。
「大丈夫か」
大きく転びそうになった彼女の身体の前に俺は手を出す。
俺の手のひらに飛び込んできたのは、柔らかく伸縮性の高い体操着、その中の何か硬い線?――それが分かったのはものの一瞬で、それからは中身であるふよふよと沈み込むような……。
「きゃ、ご、ごめん」
それ以上押し付けないように身体をのけぞらせ、俺の腕を掴んで立ち上がる淀淵の顔は見慣れた無表情だったが、目が泳いで顔が真っ赤に染まる。
有酸素運動の後の興奮、炎天下での紅潮。彼女を知らない人物にはそういうふうに見えるかも知れないが、俺の知る彼女はこんなことでもない限り、いつも涼しい顔をしているのだ。
――ラッキースケベ達成。
それ自体は喜ばしいアクシデントだったのだけど。
「凄い早かったよー」
歓喜するクラスメートに迎えられ、俺たちの体育祭における出番は終わった。
俺はその場でしゃがんで俺たちを繋ぐ鉢巻を解いていた。
――冷静に冷静に。静まれえええ。つうか、早くどっか行ってくれえええ。
***
「ごめん、ちょっとアタシら保健室行くね」
淀淵がクラスメートたちに一言断りを入れて、俺たちは体育祭を抜け出した。
「アイツ、二人三脚で一緒だったからっていつまでも淀淵さんに甘えてんじゃねーぞ」
「はあ?騎馬戦どうすんだよ」
クラスの一部からはそんな声が聞こえて来た。
少し前。
俺たちが二人三脚を走り切って、一位を取って浮かれていたその少し後。
「これ、解けないけど。どうやって結んだんだ?」
爪が痛い。ピンチ力がなくなって痺れるくらいに力を入れても、結び目は揺るがない。
「交代」
それから淀淵も試すが。
「ダメ。固すぎ、代わって」
グランドにしゃがみ込んだ淀淵がバツが悪そうに微笑んで俺に訴える。
「いや、だから」
俺が再び足元を見ると、淀淵から出るオーラが形となり、真っ黒の手となって結び目を握っている。
俺は一応、恐る恐る触ってみるがその手は決して鉢巻を離さず、変わらず結び目は固いまま。いや、もっと固くなったか?
「これは無理だな」
「――えー。どうしよう?」
「切ってもらうか」
「ハサミ持ってる人いるかな?今日授業ないし」
「保健室行こう。どうせ、このままじゃ競技なんか出られないし」
「分かった。ねぇ、ちょっと――」
淀淵はクラスメートの一人を呼び止めた。
保健室に養護教諭の姿は無かった。グランドに設置された救護用のテントに居るからだろう。
体調を崩した場合は近くの先生に声を掛けるか、救護用テントまで。
熱中症対策として体調不良は早めに訴えることを、体育祭前に言われていた。
「切れた」
「あ、これ観空の鉢巻だけど良いの?」
「切ろうって言ったの俺だろ」
足は――離れない。
悪い予感はしていたが、淀淵の足首から漂う二つの手ががっしりと俺の足を掴んだままである。
――それでは一年生、騎馬戦を開始します。
グランドからは騎馬戦のアナウンスが聞こえ、俺は無事男子全員参加の種目をサボったようだった。
「ねぇ」
「ん?」
「始まっちゃったね、騎馬戦」
淀淵の様子は至って何時もと変わらない。無表情に、二人きりの時の少しの愛想を宿した顔をした。それだけでなく、視線が少し低いところにあって少し後ろめたそうである。
「サボったな。まあ気にするな」
「観空は気にしないの?」
「気にするけど。騎馬戦も二人三脚で出るのか?」
「それも、いいかも……」
何時もと変わらない。そう言ったが――違った。何時もよりしおらしいか?
「どうした?」
その俺の問いに、淀淵は逡巡しもじもじとする。
俺に背を向けて、深呼吸して。その間も足首から伸びる手は俺を繋ぎ止めている。淀淵は自由に動けるみたいだが、俺は金縛りみたく動けない。逃がさないとでも言わんばかりに。
「返事、聞きたいかも。告白の」
感情表現の薄い顔を赤く染めた淀淵が振り返る。
「――待った。もう一回、ちゃんと告白する」
「アタシと付き合って下さい」
恋する乙女らしい、自身のない告白。その告白は情に訴える掛けるみたいに俺の心を鷲掴んだ。いや、俺は初デートをした時点でかなり好感を持っていたから、今掴んだと言うより、俺の心臓を掴んでいた手が、たった今強く握り込んだ感じだ。
足首を掴む幽霊の手みたく、ぎゅっと握られ動かない。彼女が俺を好いていることは既知であったのに、心臓が止まるくらいにドキドキした。
ドキドキと言うのが脈動のドクドクに由来するなら、俺の心臓は止められているから、これが所謂キュンとするヤツなのか。
「いいよ。……俺たち、付き合おうか」
俺は一切迷うことなく応えた。口から漏れたと言っても良い。
教室では見ない、淀淵の色んな表情が頭をよぎって、自分でも知らないうちに「いいよ」と言っていた。
俺は何を偉そうに、上から「いいよ」なんて。
幽霊への対策は追々考えて行こう。少しは慣れて来たところだ。いや、慣れたからって動けないんだけど。
でも、足首に纏わりつく恐怖より、今は告白の感動が勝っている。反射の優先順位が変わって来ている。
俺はもう淀淵が好きらしい。
まだ人を好きだと言う勇気はないが。
「よし!じゃあ、戻ろっか」
肩の荷が降りたのか淀淵は清々しい顔をする。いつにも増して明るい表情。清々しく見えたのは体操服の所為ある。
心なしか彼女が纏う霊気だって、今は人の居ない、蛍光灯も点けず、陽の光だけが照らしている暗く森閑とした保健室に馴染むくらいに薄らしている。
「――さ」
先に戻ってて良いよ。俺、動けないし。そう思ったが、俺の足首に付いた手は消えていた。
「サボってかない?折角だし」
俺は自分が自分じゃないようで、ちょっと人前に出られる気がしない。
「良いの?変な噂立っちゃうかもだけど」
「いいよ。もう、付き合ってるんだから」
今更戻っても気不味いし、ただでさえクラスメートと居ると気不味いのに今は余計にだ。出来ることならもう今日は戻りたくない。
「じゃあ、ちょっとだけね」
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