第5話 除霊デート後半戦

 俺たちは次に家電量販店へやって来た。

 目的はヘッドホンの試着コーナーである。

 正しくは試聴コーナーなのだろうか。でも俺は着け心地を重視したいから、やはり試着コーナーだろう。

 そこでは音楽用のものからそうでないものまで一緒くたに並んでいて、マイクの有無とか、コードのタイプとか、見た目のカッコよさとか、着け心地とか、低音の鳴り具合とか、それぞれが、それぞれに何かしら他よりも秀でた所があった。


 しかし、そんなことは俺には関係なかった。強いて言うなら、低音まできちんと鳴るものの方が本物さながらの効果はあるか、と素人目に考えた。だから、手に取って試着してみたのは有名な音楽プレーヤーの会社が作る、信頼度の保証された有線タイプのものだった。勿論、定員からの一言コメントでも迫力のある重低音をおススメしてある。


 俺は備え付けの機材からイヤホンジャックを抜き取って、それを俺のスマホへと繋ぎ直す。その作業にはとにかく早さと正確さが重要だった。


 将来を共にするかもしれない者同士、やはり目指す音楽性が違っていては不味い。

 音楽グループの解散する理由は大抵、音楽性の違いだ。後になってから気付くものおかしな話だとは思うが、メンバー同士の関係のぎくしゃくとか、レーベルとの不和とかそんなのよりも『音楽性』という高等な基準によっての解散ならファンも納得するだろうし、余程穏便である。と、あまり音楽業界に明るくなく、きっと普通の人よりも音楽に対して関心のないだろう俺は勝手に思っている。

 だから俺は、俺と淀淵の音楽性について、確かめなくても良いと思っている。むしろ音楽性なんか分からない方が良い。これで淀淵が音楽好きであったなら俺が置いてけぼりにされるだけなので、俺と同様、音楽に疎い方が丁度良く、都合が良い。

 今回ばかりは尚のこと――。


 俺がヘッドホンから流して淀淵に聞かせようとしているのはお経に他ならないからだ。

 お経と言っても、家電量販店内で偶々手に取ったヘッドホンからお経が流れていれば不自然を通り越してホラーである。だから、お経はお経でも音楽ふうにアレンジしてあるものを予め動画サイトで探して置いた。


「あっ。これ和風ロックってヤツだ。なんか、流行ってるよな」


 ――さあ、乗って来い。俺は淀淵を遠回しに誘う。


「どれどれ?」


 ――キタ。乗って来た。


「……これ、お経?」


 淀淵は訝しげな肩透かしを食らったという顔をするが、取り敢えずは聞いてみてくれる。


 ――どうだ?


 淀淵の身体に纏わりつく黒のオーラは、まるで耳元を避けるみたいに頭から上半身に、上半身から下半身へと垂れ下がっていき、足下のところから地面に広がる。

 そして地面に広がるそれは波紋を立てミルククラウンのように飛んだり跳ねたりする。ヘッドホンは耳のところの機密性が高く、一切音漏れしてはいないが、まるでライブの演出みたいなオーラのグルーヴ感に、俺までお経のロックが聞こえて来るようだ。

 ヘッドホンを避ける様にしているのだから、乗っているのではなく効いているんだろう。そう期待したい。心なしか小さくなっている気がするし。


 ――いけ。このまま成仏しちまえ。お前さえ居なくなれば、晴れて俺は淀淵の彼氏になるのだ。


 俺はスポーツ観戦で熱くなる人みたいに、身体の前で拳を握って「行け」、「やれ」、「いいぞ」、「そこだ」と内心で応援した。


「――アタシ、さっきのが好きかな」


 それなのに、淀淵はもう感じが分かったと言わんばかりにヘッドホンを外して、アルミのフックに戻す。


「あ、ちょっと」


「何?」


 ――何?

 何と言えばいい?「今、除霊中だから」とか?

 除霊――その言葉を幽霊を前にして言うのは危険ではないのか。それは俺が幽霊の存在を認知していることを幽霊に教えるのと同じだ。いや、そもそもそんなことを言えば俺がスピリチュアル傾倒人間だと淀淵に思われてしまう。

 いきなり、家電量販店で、お経を聞かせ、除霊が云々と言う。仮に俺が幽霊を認識出来ない一般人だとして、いきなりそんなことを言われたら正直引く。百年の恋も一時に冷めるだろう。


「……いや。何でもない」


 言えなかった。彼女の為を思えば言ったほうが良かったのかもしれない。しかし、幽霊が居るなんて話を今まで誰かに信じて貰えたことがない。そんな俺が言えるはずはなかった。


「なあに?気になるんだけど」


「み、耳になんか付いてると思ったら、イヤリングだっただけ。……似合ってる」


 俺は精一杯に誤魔化した。


「――マジ⁉︎ありがと」


 その時、淀淵は見たこともない笑顔だった。何時も纏う禍々しいオーラなんて微塵もなく、それどころか仄明るい光に包まれる――カメラのフィルター加工を掛けたみたいに鮮明に綺麗だった。可愛過ぎて俺が恥ずかしくなるくらいに。


***


 映画の上映が始まって、俺はものの数分で眠りに着いていた。

 恋愛映画の内容が俺には眠く感じられるほど退屈だったというのもあった。映画の方に夢中になる淀淵を見て、初デートの緊張が途切れたのもあった。だが、何より今日最も不安視していた淀淵のオーラが落ち着いたのが大きかった。

 俺は除霊のことばかり考えていて全く考慮をしていなかったが、俺にとって映画館デートは本来避けられるべきである。

 映画館で隣同士のシートに座る。隣り合う座席の距離はジュースを立てられるぐらいしかなく、淀淵との距離が近い。つまり、あの相合傘の時みたく淀淵に取り憑く幽霊の干渉を受けるということだ。しかも、映画の上映時間はおおよそ一時間半から二時間ぐらい。その間、俺はトイレに立つぐらいしか逃げ出す方法がない。

 そんな最悪の事態をシアターに入った時に想定していたのだが、あれから淀淵のオーラは落ち着いている。


 ――本当に良かった。これで――。


 館内は満席近い人混みがあるのに静かで、聞こえるのは映画の立体音響だけ。

 うたた寝の最中、霞む視界から見えるのは朧げな光の明滅と、辺りを包む薄明かりのみで、俺の身体は心地よい倦怠感の中にあった。

 それから再び意識が覚醒して、重たい瞼と格闘する時間がやって来る。

 目を閉じ瞑想している内に、段々と他のことも分かってきて、肘置きに置いた俺の手がじんわりと暖かく、多分淀淵が手を乗せている。

 そして、俺の唇に何かが触れる感覚。俺の下唇の先の一番高い部分を優しくなぞり、それが少しずつ口の中へ入って来る。


 ――キスだ!


 俺は一瞬にして理解した。しかし、俺の身体は依然として倦怠感に支配されている。それに俺が寝ているのを見て、悪戯で淀淵がキスをして来たのだと思うと、起きない方が彼女の為であるし、俺も良い思いが出来そうである。

 ぎゅっ。と淀淵が俺の手を上から握り込むようにする。

 舌はいよいよ口の中に入り、俺の頬の裏とか歯を慈しむように弄ぶ。


 ――ちょっと、初めてで激し過ぎないか?変な汗が出て来た。


 大胆なヤツだ。いや、告白の時から大胆ではあったが、まさかそんなに俺のことが好きとは。こんな情熱的なキスを受け、彼女の気持ちを疑っていた自分が馬鹿みたいに思えて来る。


 ――グスン。ズズ。


 淀淵の方から聞こえる鼻を啜る音。それははっきりと、そして近くから聞こえる。淀淵に間違いない。あれ、泣いているのか?いや、そんなはずはない。だって――。


 俺が目を開けると、まるでサングラス越しに見るみたいにスクリーンが暗い。そして、それは均一に暗いというわけでもなく、まるでうねるみたいに闇が濃くなったり薄くなったり。


 それは淀淵の黒いオーラである。触手みたいに伸びた淀淵のオーラ。それが触手の先を使って俺の口を愛でている。

 身体が重い。動かない。金縛りみたく固くなって瞼を開閉する以外に何も出来ない。口は触手によって開けられたまま閉じることも出来ず、叫び声すら上げられない。

 逃げることも出来ない。


 ――ボロボロ。


 俺は泣いていた。声なく涙を流した。


 映画は丁度クライマックスらしい。俺の小さな呻きは、隣で泣いている淀淵のように、シアター全体が包まれる感涙のムードの中に消えて行った。


「――いやぁ、泣いたね」


 上映が終わり、一頻り泣いてから清々しい顔をした淀淵が元気に言う。


「うん」


「観空って、感動系とか好きなんだね。なんか意外」

「――また、一緒に見に来ようね」


「……うん」


 俺はまた泣きたくなっていた。

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