第30話 アンギル
「私が目指しているのは、イルゴル王国の民の幸せな日々であり、それが永続的に続く事であるのだが、シゲル、オマエたちと出会った事で、シュマルカ神に至る事が中期……いや、中長期的な目標となった」
執務室中央のテーブルを囲んで、スレイとバルバス、シゲルがソファに座っている。大きくも小さくもない声でスレイは淡々と二人に話しかける。
「ネフト王国の術師団の儀式とシュマルカ神の関係性もよく分からないままなのだが、ニホンでの誰かの死と召喚の儀式がたまたま上手く同時期に為って、そのタイミングが合った時にシュマルカ神がその都度、死者を蘇生し、この世界に送り込んでくるという訳ではないと思うのだ。神の気持ちなど私には想像も付かないが、私が神だったなら、面倒すぎると感じるだろう。ニホンでの誰かの死と術師団の儀式に翻弄されるような立場で動きたくはないと、私なら思う」
「なるほどなー」とシゲルは言った。その隣でバルバスはメモを取っている。
「シゲルの日本での死は事故死、だったな」スレイが訊ねる。
「あぁ。オレは自動車っていう鉄の塊に轢かれて死んだ」シゲルは答える。
「そのジドウシャというモノがどんなモノかはよく分からんが、暴走する馬車に轢かれたようなイメージで良いのだな?」
「あぁ。そんな感じでいいよ」
「ふむ。例えば、イルゴル王国内の何処かで、暴走する馬車が誰かを轢き殺してしまったとする。その遺体が突然フッと消えてしまったら大騒ぎになると思うのだ」
「あっ」シゲルは何かに気付いたように短く声を発した。
「うむ。ニホンにおけるオマエたちの死はその周りのニンゲンに観測され、そしてその後、然るべき処理をされたに違いない。故に、現在のオマエたちの肉体は、シュマルカ神によって蘇生されたものではなく、シュマルカ神が新たに作り出したモノであると考えるべきだろう」スレイはシゲルの目をじっと見つめながら言う。
「確かにそうだな。オレがこの世界に来たのは仲間の中でも遅い方だったが、元の世界で死体が消えたなんて話は聞いた事がなかった」シゲルはそう言った。
「しかし、リュウキくんをはじめとした幾人かはニホンに帰る為にネフト王国に従っていると言っていたのだ。遺体を埋葬し、死を悼む儀式が為されたその後に、まるで健康な肉体で死者がどこかから湧いてくるというのはどうなのだ、ニホンでそれは受け入れられそうなものなのか?」スレイはシゲルに問いかけた。
「確かにそうだ。オレは特に日本に帰る事に執着していなかったけど、アイツらはどう考えていたんだろう」シゲルはうつむき、口に手を当てて考え込む。
「ふむ……。少し考えれば思い至る事のハズなんだがな。……、シュマルカ神とオマエたちそれぞれの会話か、もしくはネフト王国による心理誘導によって、その不自然さを思わせないままにニホンに帰るという目標を持たされたという事もあるのかも知れぬな」
「不自然と言えばスレイさん」シゲルが口をついた。
「なんだ?」
「同室のクッカとユレイヨが歓迎会を開いてくれたんだけどよ」
「ほう、それはいいな」スレイが和やかな笑顔を見せる。
「マスを食わせてくれたんだ。ワインも飲ませてくれた」
「ふむ」
「不思議なんだよ、スレイさん。言葉や文字は『通じるようにしといてあげる』なんてシュマルカ神は言ってたけど、マスとか、ワインとか、レタスとかは元の世界にもあって、味も同じなんだよ。でも、元の世界には飛竜もいないし、魔獣もいない。人間族以外に言葉を操る種族なんていない。どういう事だよ」
「ふむ……。もう少し話してくれ。シゲルは何に不自然を覚えているのだ? ニホンという国、その国がある世界よりもこちらの世界の方が多様性に富んでいるそれだけの話ではないのか?」
「んー。どう言えばいいのか……。あぁ!進化と生態系! オレも詳しく学んだ訳ではないからあやふやな事を言うだけになるのかも知れないけど」
「かまわん。続けてくれ」
「食物連鎖ってのがあるよな。小魚は大きな魚に食われ、その大きな魚は鳥に食われ、鳥は大型の肉食獣に食われ、大型の肉食獣をはじめとしたあらゆる動物の死体は目に見えない大きさの生き物や虫に食われていくという」
「あぁ。私も学者先生にそんな話を聞いた事はある」
「そんな弱肉強食や環境への適合がうまく行くか行かないかで、生物種の存続、絶滅の運命を分けるのだという話だ。何万年、何億年という進化と淘汰の歴史は、その生物が置かれた環境に、その生物がなんらかのカタチで適応できるかどうかにかかってくる」
「なるほど」
「だから、おかしいんだよ。元の世界とこの世界が似すぎているならそれはいい。まるで違っているのもそれでいいんだ。でも、似通り方も、違う箇所も中途半端なんだよ。飛竜がいる世界に、元の世界とそっくりな馬がいるというのが進化を考えたらオカシイはずなんだよ」
「ふむ……。残念な事に、私はオマエたちの世界を知らないし、知る事も叶わない。故に、シゲルが覚えたその不自然を完全に理解できたとは思えないのだ。我々はこの世界の
「そうだよなー」シゲルはそう言いながら天井を見上げる。
「しかし、貴重な意見であった。礼を言おう、シゲル。ありがとう。今日聞いた事がどこかで活きる事がきっとあると私は思う」
「そうか。それなら良かったぜ……っと、オレはスレイさんの部下になったんだから、もうちょっと言葉に気をつけた方がいいか?」シゲルはスレイとバルバスを交互に見つめた。
「ふふっ。好きにすればいい」と、スレイは笑う。
「私もスレイ様に、様づけで呼ぶように言われた事などないし、言葉づかいは表面を取り繕うものではないと思っている。シゲルもスレイ様の下で働く内に自然と変わっていくのかも知れないし、変わらなくてもそれはそれでおそらくいいのだ」バルバスはシゲルをまじまじと眺め、言った。
「そして、その恰好、良く似合っているぞ。肌の色がもうすこし青みがかったなら、アンギル族に見えなくもない」
「アンギル族ってなんだい?バルバスさん」シゲルは白いシャツにネクタイにスラックスにジャケットという自分のいで立ちを眺めてはどうにも慣れないといった具合に首を左右に振った。
「アンギル族はアンギル族だ。スレイ様も、私も、オマエと同室のユレイヨもアンギル族だな。知らなかったか?」
「知らなかったよ。教えてくれてありがとう、バルバスさん」シゲルは明るく屈託なく笑う。
「あぁ。本当に、よく似合っているぞ、シゲル」
スレイはソファに深くもたれ、バルバスとシゲルのやり取りをやわらかな表情で見守りながら、そう言った。
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