第16話
翌朝はカマルは洗濯をして、洗濯物を干した後に書斎の本を借りて読んでいた。結界の中のひとの動きはほとんど分かるので、セイジもカマルが自分の時間を過ごしているのをそっとしておいた。
昼食の準備をする時間になるとカマルは部屋から出て来てキッチンに立つ。マカロニを茹でてグラタンを作るつもりのセイジは、カマルにホワイトソースを作ってもらった。
「バターで小麦粉を溶かしてミルクで溶いていくんだ」
「焦げそうです。難しい」
「落ち着いてやればできるよ」
お菓子作りは魔王の元でもやっていたのでカマルは料理の手際がいい。不安そうな言葉とは裏腹に手際よく作っていくホワイトソースの出来にセイジは感心していた。
「イオもこれくらいできるといいんだがな」
「イオ様は美味しく食べてくれるのが一番ですから」
「食べるだけじゃなくて、作れないと生活ができない」
まだ十二歳のイオだが、いずれは独り立ちしてこの小屋を出て行くことになるだろう。そのときに料理も作れないようならば生活していけないと心配するのは、セイジの師匠としての心だ。
「イオも大人になればここから出て行く。一人で生きられるようにしてやらないと」
「セイジ様はイオ様のお父さんのようです」
「父親ではないな。イオは俺のところに押しかけて来た弟子だし」
必死に閉めて追い出そうとしたドアをもぎ取って入って来た六歳児に、セイジは心底怯えたし、恐怖したのだが、イオはそんなことを気にしていなかった。当然のようにちょこんと椅子に座るとブラックベアの血で汚れた服のまま言ったのだ。
「おなかがすいたのです!」
あれからずっとセイジはイオの食事を作り続けている気がする。
過去の話をカマルにするとくすくすと笑われてしまう。
「本当にお二人は仲がいいんですね」
「怖かったんだからな。俺の結界をものともせずに入って来るし、ドアはもぐし」
「ドアはもいではいけませんね」
それ以前の問題な気もするのだがカマルに言われるとその通りだと思ってしまう。セイジにとってカマルの存在が大きなものになっているからこそ、カマルの言葉だけはセイジの心に響く。
「師匠、今日のお昼ご飯はなんですか?」
「グラタンだ。手を洗ってこい」
「はーい! イオの分は大盛にしてくださいね?」
素直に言って手を洗いに行くイオは、顔立ちだけは可愛いのだが食事の席について話し出す内容があまりにも物騒だった。
「街で魔物が発生していたので、倒してきたのですよ。また賞金をもらったので、カマルさんとお買い物に行きましょうね。あ、師匠も付いて来ていいですよ」
ついでのように言われてしまったことに不満もあったが、それよりも話の内容だ。
また街には魔物が出現したようだ。それをイオがきっちりと仕留めて来たのだから被害はなかっただろう。結界を張っているので、出現したのも結界の外だと予測できる。
誰も怪我がなかったのならば安心だが、カマルの表情が曇るのをセイジは横目で見ていた。責任を感じることはないといくら言ってもカマルは苦しみ続けている。
「カマルさん、午前中はなんの本を読んでいたんだ?」
熱々に焼けたグラタンを、熱いものを持つ用のミトンをつけて、下に敷くランチョンマットの上に置いて、食事の準備をしながらセイジはカマルに問いかける。フォークを準備していたカマルが恥ずかしそうに目を伏せた。
「魔王城にいたせいで私は知らないことが多いと気付きました。この大陸の歴史などを勉強していました」
椅子に座ってグラタンを食べ始めるイオのグラタン皿は以前にミートローフを三人用に作ったガラス容器だった。そこにみっしりとマカロニとベーコンと玉ねぎとしめじをホワイトソースで絡めたものが入っていて、上に散らされたチーズとパン粉がこんがりと焼けている。
セイジの皿は普通のグラタン皿で、カマルのものも同じだが、中に入れている量はカマルのものは少なめにしておいた。
ふうふうとグラタンを吹き冷ましながら食べているイオは夢中である。
「何か興味深いことでもあったか?」
「かつては魔族と人間は共存していたのだと書かれていました。強い魔王が現れてからその均衡は崩れてしまったのだと。再び魔族と人間が手を取り合える日が来ないのでしょうか」
憂い顔のカマルにセイジは「冷めてしまうよ」と食べるように促す。言いながらもセイジも考えていた。
魔王城に攻め入ったときに魔族は誰もいなかった。魔王城に行く途中で襲い掛かって来る魔族をセイジとイオで始末したせいもあるのだろうが、魔王城に魔族がいないというのはそれだけ魔王から魔族の心が離れているということではないだろうか。
魔王を退治した後に魔族と人間が和解することができれば、カマルの生活も脅かされることがなくなる。
「カマルさんは聖女なのです! 魔族と人間との間を繋ぐために神が遣わしたのかもしれません」
口いっぱいに頬張っていたグラタンを飲み込んで言うイオの言葉は、あながち間違っていないとセイジは感じていた。
昼食後もカマルは部屋に閉じこもって本を読んでいるようだった。セイジがドアをノックすると、不思議そうな顔で出て来る。
「どうかされましたか?」
「リビングで本を読んでも構わないよ。ミルクティーでも淹れようか?」
「嬉しいです。ありがとうございます」
一人きりで勉強するのは退屈ではないのかと声をかければ、カマルの表情が明るくなる。リビングに本を持って出てきたカマルは、テーブルの上に本を置いて読み始めた。
暖かいミルクティーを淹れてセイジは傍に寄り添う。
「この大陸にはこの国と魔族の居住区だけではなかったのですね」
「大陸は広いからな。たくさんの国があるよ」
「セイジ様は他の国に行ったことがありますか?」
問いかけられてセイジは真面目な顔になる。
「ないな。特に行こうとも思わなかった」
本当に面倒ならば王宮だけでなく国も捨てて出て行けばよかったのだろうが、出て行った先でまた世界最強の魔術師として取り立てられることを考えると、セイジは憂鬱でしかなかった。
世界最強の魔術師と呼ばれているが、それは国内だけのことでセイジは本当に世界最強の魔術師なのだろうか。そんな疑問もわいてくる。世界は広いのだからイオのように規格外の人物が出て来てもおかしくはない。
イオは強さはあるのだがまだ制御しきれていない部分がある。それが制御できるようになれば、セイジなど軽々と超えてしまうのではないだろうか。
「うみ……うみとは、何ですか?」
「俺も行ったことはないけど、川や湖とは比べ物にならないくらいの大量の水があって、それが塩味がして、魚が大量に獲れるのだと聞いたことがある」
「セイジ様も行ったことがない場所があるのですね」
イオは規格外の弟子だったからセイジに質問してくるようなことはなかった。穏やかにミルクティーを飲みながら、カマルは開いた地理と歴史の本で疑問に思ったことを素直に口にしてくる。
カマルの疑問に答えていると、セイジはイオに「師匠」と呼ばれるよりも余程師匠である気がして心地よい。
「カマルさん、分からないことは何でも聞いて」
「はい、ありがとうございます」
金色の目が嬉しそうに細められるのも、セイジには心が和む瞬間だった。
「セイジ様、魔族と人間が手を取り合えると思いますか?」
ふと真剣な面持ちになったカマルにセイジも真剣な顔で答える。
「カマルさんは半分魔族だけど、俺と手を取り合えている。絶対に無理ではないと思うよ」
そのためには元凶である魔王を倒さねばならない。魔王さえ倒れれば魔族と人間が手を取り合う世界が出来上がる可能性も高まる。魔族の中には嫌々魔王に従っているものもいるだろうし、長く続く人間との争いに疲れているものもいるだろう。
部下を大事にしない魔王から魔族が離れていったとしても、それは自業自得というもの。
新しい世界を作る構想を抱いているカマルをセイジは応援したかった。
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