第15話

 イオとカマルの会話をセイジが立ち聞きしていたのは、イオにはバレている気がしていた。そういうところはイオはとても聡いのだ。どこに隠しても食べ物は見つけて来るし、山で迷っているひとを探すのも得意だった。魔物が発生している場所にはいち早く駆け付けるし、魔王城までの道も迷うことなかった。

 特別な目がイオには備わっている。それをセイジが発見したのはイオが押しかけ弟子になってすぐの頃である。


「ししょー、ここ、へんなものがありませんか?」


 バリバリと結界を破りながら木の杭の間に張られた有刺鉄線の隙間を抜けていこうとするイオを、セイジは本気で止めた。


「有刺鉄線で怪我をするからやめろ」

「もんまでまわるのがめんどうなのです」


 その時点でイオにはセイジが緻密に張った結界が見えていたし、それを破ることもできた。たった六歳の幼児に自分の結界を破られて、世界最強の魔術師の矜持が傷付けられた気がして、セイジはこっそりとイオの気にしそうな棚に焼いたイオの大好物のナッツとレーズンのパンを入れておいたら、見事に見破られた。


「ここにいいものをかくしていますね!」


 それが六年前なのだから十二歳になった今は更にそれが研ぎ澄まされているに決まっている。見たくないものを見てしまうだけに、イオには居場所がない。同年代の友達と遊ばせようとして街に連れて行ったこともあるが、イオが言い当てることを子どもたちは気味悪がって近付かなくなった。


「誰にでも明かされたくないことはあるんだ」

「それなら、もっとじょーずにかくせばいいのです」


 上手に隠すも何も、口に出してもいないのに心を読まれるようなことをすれば誰でも嫌がる。幼いイオにはそれが理解できなかった。六年経ってイオは落ち着いたと思ったから、魔王退治に出かけるというのを快く見送って、英雄になったイオは王宮に召し上げられて、セイジは平穏を取り戻すのだと考えていた。

 セイジの予想を見事に覆してカマルを連れて帰って来たイオは、今度はカマルの心を読んだかのようにカマルに忠告をしていた。


――カマルさんは、自分を大事にしていますか?

――その価値がないと思ってはいませんか?


 カマルはどんな表情でイオの話を聞いていたのだろう。

 確かにこのまま抱いてしまえばセイジは満足できるかもしれないが、カマルの心を本当には手に入れられないと理解していた。分かっていたがセイジにはカマルに駆ける言葉が浮かばなかった。


――大事にしていない自分を捧げることで、師匠へのお礼になっていると思うのならば大間違いですよ。誰かにプレゼントをするときに、カマルさんは自分で価値がないと思うものを贈るのですか?


「あんなことを言う年になったんだな」


 しみじみしながらセイジはベッドに入った。

 目を閉じると浅い眠りがセイジを包み込む。常に周囲に警戒していなければいけない、張っている結界の異常があればすぐに動かなければいけないセイジは、眠りが非常に浅い。

 小さな物音でも目が覚めてしまう。

 眠ったつもりだったが階下で足音がするのに気付いてセイジは布団から出た。異国風のローブを羽織って階段を降りていくと、カマルがキッチンに立っていた。手にグラスを持っているから水を飲もうとしていたのだろう。


「カマルさん、眠れないのか?」

「少し、考えてしまって……」


 時刻は深夜になっていて、魔法の灯りだけで照らされた室内は、青白い光に包まれている。


「ココアでも飲むか?」

「いいんですか?」

「イオがいたら欲しがるけど、もう寝てるからな」


 小鍋でお湯を沸かしてココアの粉とチョコレートを溶かしてミルクで割って、セイジはマグカップに注いだ。カマルの分と自分の分注いで、テーブルに置くと、カマルがおずおずと手を伸ばす。


「いただきます」

「熱いから気を付けて」


 ふうふうとミルクココアを飲んでいるカマルは、ふとマグカップを両手で包んだまま顔を上げた。ぽつりぽつりと語り出す。


「魔王が退治されれば、私も処刑されるのだと思っていました。私は生まれてからずっと魔王の恩恵で生かされていたのです。それはひとびとから略奪したものでした」


 略奪したもので生かされていたから当然自分も魔王と同じ末路を辿るのだと考えていたカマルの気持ちを揺らがせたのは、先ほどのイオの言葉だろう。


「カマルさんが望んだことじゃないだろう。豪奢なドレスも、魔王城での暮らしも」


 カマルは魔王城から死んででも逃れたいと思うほど苦しめられていた。変質的な異母弟である魔王が部下に暴力をふるう場面や、退治しに来た冒険者たちを残虐に殺す場面、挙句の果てには魔王が魔族の女性と陸み合う場面まで見せられた。

 姉だから我慢して来たと言っていたが、魔王は最初からカマルをそういう対象として見ていて、血の繋がりがあるから欲望を果たせず、カマルを見ながら他の魔族の女性を抱いていたのではないだろうか。


「冒険者が酷い目に遭うのも見せられました。特に女性は酷かった……目の前で魔王に凌辱されて、他の魔族に下げ渡されて、最終的には殺されて……私が泣いて止めても魔王はやめてくれなかった」

「それをカマルさんはずっと嫌だったんだろう? 止めようとしていたんだろう?」

「止めようとしても止められなかったんです。こんな私に、価値があると思いますか?」


 冷え切ったココアのカップを両手で包み込むようにして持って、カマルは茶色のココアの水面に視線を落としている。



 ぽたりと雫が一筋カップの中に落ちて冷えたココアの水面に波紋を広げる。声もなく静かにカマルが泣いているのに気付いて、セイジはカマルの肩を抱き寄せた。細い肩は骨ばっていて、抱き寄せた体は柔らかくて甘くいい匂いがする。

 同じボディソープとシャンプーを使っているのに、カマルからは全く違う匂いがしてくるから不思議なものだ。


「カマルさんは悪くないよ」

「セイジ様がそう思っても、世間のひとがどう思うか……」

「俺だって世間一般のひとにどう思われてるかなんて分からない。イオだってそうだよ」


 世界最強の魔術師と、それより強い弟子として、魔物を倒したりしている間はセイジとイオのことを街のひとたちも信頼しているが、そうでなければ気味の悪い師弟だと思われているに違いない。

 強すぎる力は周囲を恐怖に陥れる。信頼できる相手もおらずセイジが二十三歳で王宮を離れたのも、自分の力が強すぎたからだった。


「俺はこの山に来る前には、王宮にいた。周囲に寄って来るのは力を利用しようとする輩で、そういう奴らは俺が断ると手の平を返して俺のことを気味悪がった。俺自身も若くて素行が悪かったし、碌な人間じゃなかったが、周囲はもっと酷かった」


 人間関係が煩わしくて王宮から逃げて隠居しようと思った矢先に出会ったイオのせいで、セイジの人生は大きく変えられたが、それもまた必然だったのではないかと思わされる。

 イオと出会っていなければセイジは完全に山の中に籠って、時々下の街に降りるが、街が魔物に襲われようとどうしようと気にせずにいたかもしれない。無力な人々が魔物に襲われる現場を目の当たりにすれば助けたかもしれないが、わざわざ出向いてまで助けてはいないだろう。

 賞金がもらえることもあるが、イオは喜んで魔物の元に飛び込んで行って、なし崩しにセイジも街を守って来たから、今の街のひとたちとの関係がある。


「俺は優しくもなんともないんだ。最低な男だった。誰にも優しくされたいなんて思ったことはないし、優しくされたこともない」

「セイジ様も複雑だったのですね」

「だからかな。カマルさんが俺を助けてくれたことが、俺にとっては衝撃的だった」


 魔術を使うこともできない、身体的に強いわけでもない。アメジストのペンデュラムでダウジングができて、聖なる水源を探せるという能力はあったが、それ以外はか弱いカマルが自分も毒に侵されて苦しいのにセイジを助けることを優先した。


「今思うと、カマルさんは自分を大事にしてなかっただけかもしれないが」

「そう言われると、答えようがありません。イオ様にも同じようなことを言われました」


 涙に濡れるカマルの目元に口付けたいという欲望をぐっと抑えて、セイジは必死に理性的に話を進めようとしていた。抱きしめているカマルの身体の柔らかさ、甘い匂いに健全な男としての欲望が顔を出そうとしているのを必死に抑える。

 泣いているカマルに無理やり口付けて、流されるままにカマルが抱かれてしまったら、更なる誤解を生みかねない。


「カマルさんに価値がないなんてことはないよ」

「それは、セイジ様が知らないから……」

「カマルさんは俺に隠し事をしているのか?」


 問いかけにカマルは躊躇った後に口を開く。


「分かりません……。大抵のことは喋ってしまったと思うのですが」

「それなら、俺がカマルさんのことを知らないなんてありえない。カマルさんは俺にとって価値のある存在だ」

「それなら、どうして抱かないんですか?」


 涙に濡れた金色の瞳がセイジの姿を映し出す。単刀直入に問いかけられて、セイジは必死に最適解を探していた。


「カマルさんが、心からそれを望んでいないから、かな」

「セイジ様にはお世話になっています」

「お礼とかそういうので身体を差し出すのは違うよ。カマルさんが本当に抱かれたいと思ったときしか、俺はカマルさんを抱きたくはない」


 カマルに魅力がないとかそういう理由ではなく、自信のないままのカマルを抱いてもカマルは身体目当てだったと思うだろう。それがセイジには嫌だった。


「もう今日は遅い。寝よう」


 声をかけるとカマルはすんっと洟を啜って涙を拭いて、「お休みなさい」と小さく言って部屋に戻って行った。

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