第14話

 食事を終えるとカマルがイオのためにシフォンケーキを焼いた。卵黄と卵白を分けて、卵白を泡立てる作業は大変そうでセイジも手伝ったが、イオは待っているだけで手伝おうとしない。

 料理に手を出されると面倒だったので、イオにはキッチンに入らないように教育してきたが、そろそろ料理を覚えてもいい年頃なのかもしれない。


「イオ、料理を覚える気はないか」

「イオは調理用具を壊すか、食材を消し炭にするのです。もったいないから料理はしません」


 はっきりと断られてしまった。イオはときどきやってもいないのに先のことを口にするが、それが外れていたことはない。未来視が若干できるのではないかとセイジは思っている。カマルを聖女と決めつけたことだって、イオには見えていたのかもしれない。何が見えていたのかはセイジには予測もつかないのだが。

 焼き上がったシフォンケーキの粗熱を取ってミルクティーと一緒に食べるイオはものすごく幸せそうだった。ワンホール丸まる食べそうだったので、カマルとセイジの分は先に切って取っておく。それでも四分の三は確実に食べていた。


「お腹がいっぱいになったら眠くなりました。イオはシャワーを浴びて寝るのです」


 確かに今日は色んなことがありすぎて時間も遅くなっていた。イオがシャワーを浴びている間自分の部屋にいようと階段を上がっていくと、カマルも付いてくる。真剣な表情のカマルに、何か話でもあるのかとセイジは部屋に招いた。


「セイジ様、今日はご迷惑を……」

「カマルさんは、毎日のように俺に『ご迷惑を』って言ってるけど、俺は全然迷惑だと思ってないよ。カマルさんがまたここに戻ってきて嬉しい。イオも同じことを思っていると思う」


 答えるとカマルの金色の目が潤んでくる。


「魔王の元へ戻るつもりはなかったのです。街を出ると魔族に攫われてしまって、連れ戻されていました」

「魔王のカマルさんへの執着は酷いからな」


 目の前でカマルは見せつけるように魔王に口付けをされていた。あれがカマルを泣かせた原因なのだとしたら、セイジは元々魔王を許す気はなかったが、尚更すり潰して二度と回復できないようにしてやりたかった。特に股間辺りは念入りにすり潰したい。

 物騒なことを考えるセイジに、カマルが身を寄せてくる。


「次に魔王に囚われたら、私はどうなるか分かりません」

「そんなことは絶対にさせない」

「それくらいなら、私はセイジ様に……」


 カマルの濡れた瞳が間近にある。豊かな胸がセイジの腕に触れていた。間近から見るカマルの瞳は月のようで吸い込まれそうに美しい。頬に手を添えて、セイジは自然とカマルの唇に口付けていた。

 角度を変えて深く口付けてもカマルが嫌がる様子はない。舌を絡める口付けにカマルは目を閉じていたが、口が離れた瞬間、はぁっと大きく息を吸い込んだ。


「い、息が……」

「こういうときには、鼻で息をするんだよ」

「は、はい。すみません、慣れなくて」


 必死にセイジについてこようとするカマルは健気で可愛いのだが、セイジは浮かれてばかりはいられなかった。まだカマルの本当の気持ちを聞いていない。


「カマルさんは嫌じゃないのか? 俺とこういうことをするのが」

「セイジ様になら何をされても構いません」

「そういうことじゃなくて、俺のことが好きなのか?」


 問いかけるとカマルが困ったように目を伏せる。その動作にセイジはまだカマルに手を出すときではないと悟った。


「俺は身体が欲しいんじゃない、カマルさんの心も全部欲しいんだ。身体だけで満足するような男じゃない。もっと強欲なんだ」


 一度腕に落ちてきたら二度と逃げられないように閉じ込めてしまう自覚が、セイジにはあった。初めて愛しいと思った相手なのだ。生涯放したくないと思っても仕方がないだろう。

 自分でも初恋をこじらせている自覚はあったが、セイジは自分の気持ちを偽るつもりはなかった。


「カマルさんの気持ちは?」

「セイジ様がしたいように……」

「違うんだ、カマルさん。俺は一時の遊びじゃなくて、カマルさんと長くいい関係でいたいんだよ」


 必死に説明しているときに、遠慮なく部屋のドアが開いた。




「師匠、シャワー出ましたよ。次、どうぞ!」

「イオ……分かった、シャワーを浴びてくる」


 こうなるとムードも何もないので仕方なくセイジはリビングに降りて行って暖簾で区切られた脱衣所で服を脱いでバスルームに入った。魔術で温度管理された暖かいお湯が体に降り注いでくる。シャンプーを泡立てて髪を洗って、身体も洗って、さっぱりして出て来ると、リビングに人影はない。

 ルームシューズが熱かったので素足のままで階段を上がっていくと、セイジの部屋の中でイオとカマルが話している気配がした。


「カマルさんは、自分を大事にしていますか?」

「私が、私を大事に?」

「その価値がないと思ってはいませんか?」


 イオの問いかけにカマルは大いに戸惑っているようだった。畳みかけるようにイオが告げる声が聞こえる。


「大事にしていない自分を捧げることで、師匠へのお礼になっていると思うのならば大間違いですよ。誰かにプレゼントをするときに、カマルさんは自分で価値がないと思うものを贈るのですか?」

「そんなことは……。でも、私は聖女でも何でもない、半分が魔族の女です」

「イオはカマルさんを聖女だと思っています。イオには分かるのです」


 自信満々で言うイオにカマルが「いいえ」と言い返す。


「私が聖女のはずがありません。私の父は前魔王で、弟も魔王なのです。人々に私は疎まれている……ここを出れば私は処刑されるでしょう。魔王に守られて生きて来たとはそういうことだと理解しています」

「カマルさんは全然分かっていないのです。誰もカマルさんを処刑するなどと言っていません。言ったのはカマルさんを取り戻したい魔王の手先でしょう? そういう魔族の言葉を信じて、カマルさんはイオや師匠の言葉を信じないのですか?」


 責める口調のイオにカマルが黙り込むのが分かった。助けに入らなければいけないのだろうが、イオがこんなにも真剣に話をしているのが初めてで、セイジは出て行くことができない。

 ドアの前で立ち尽くしてセイジは二人の話を聞いていた。


「カマルさんはもっと自信を持って、自分を大事にするのです。自分を大事にしない限り、師匠はカマルさんから何を受け取っても嬉しくはないと思うのです」


 言い放ってイオが部屋から出て来る。慌てて扉の後ろに隠れたが、イオの視線を感じて、セイジはイオが自分が廊下に突っ立っていたことに気付いていると感じ取った。


「自分を大事に……」


 呟きながらカマルも部屋から出て行く気配がする。階段を降りて二人が一階に行ってしまってから、セイジはドアの後ろから姿を現した。イオとカマルの話を思い出してため息をつく。

 ずっと聡い子だとは思っていたが、イオがあんな風に感じていたなんてセイジは考えもしなかった。イオにとってもカマルはもう大事な相手になっているのだろう。

 大事な相手が身を投げ出すようなことをイオは許さない。それだけの強さがイオにはある。そのイオの言葉を受け止めたカマルにも自分を変えるだけの強さがあるのだろうか。

 セイジにはまだよく分からなかった。

 一つだけ分かっているのは、自分がカマルを愛しいと思っていることだけ。


「カマルさん、俺はあなたを抱きたいし、生涯の伴侶にしたい」


 世界にたった一人、運命の相手がいるのならばそれはカマルだとセイジは確信していた。出会ったときからその姿に惹かれていたし、性格を知れば知るほど思いは強くなった。

 決定的にカマルが好きだと思ったのは、自分の苦しさをものともせず聖なる水源を探してカマルが川に落ちて魔術が使えなくなったセイジを導いてくれたときだ。こんなにも強く美しいひとはいないと実感した。

 セイジにとってカマルは奇跡のような存在だった。

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