第17話

 シャワーを浴びている間、ずっとセイジは落ち着かない気持ちだった。魔術で温度調整されたお湯がセイジの髪と体を濡らしていく。髪を洗うのも体を洗うのも、いつもよりも念入りにしてしまって、「俺は女子か!」と自分でツッコミを入れる始末だった。

 セイジの部屋ではカマルが待っている。

 バスルームがリビングと直結していて暖簾でしか脱衣所が区切られていない関係で、カマルがシャワーを浴びている間、セイジとイオは二階のセイジの部屋にいるようにしている。妙齢の女性の恥ずかしい場面を見てしまうようなことがないようにセイジは気を付けていたし、イオも自分の部屋に入ればいいのだがそれ以上に気を遣ってセイジの部屋に来るのが恒例となっていた。

 これだけイオも気を遣うくらいカマルに懐いているのだ。それはカマルが毎日イオにおやつに美味しいお菓子を作ってくれるからかもしれない。今日はマドレーヌだった。イオは大量に焼かれたマドレーヌのほとんどを食べて、ミルクティーをお代わりし、堪能していた。セイジは一個しか食べられなかったし、カマルは遠慮していたのかお腹が空いていなかったのか、一個も食べなかった。

 夕食後にカマルが最初にシャワーを浴びて、部屋で待っているセイジとイオの元に声をかけに来てくれた。入れ替わりにシャワーを浴びに行くイオを見送ってから、カマルはセイジの部屋に入って来たのだ。

 湯上りで濡れた髪が艶やかに光り、シャンプーとボディソープの甘い香りがする。


「セイジ様、今夜、私を、セイジ様のものにしてください」


 熱っぽい目で見つめてくるカマルに、セイジは思わず唾を飲み込んでいた。そうしたいとずっと思っていたが、我慢し続けていたのは、カマルがこれまでの経験で傷付いていて、自分に価値を見出せず、セイジやイオによくしてもらった対価として身体を差し出そうと考えていたからだった。


「カマルさん、無理することはない。カマルさんの心の準備ができたときで」


 紳士的に止めたつもりだが、カマルはそっとセイジの胸に手を添えてしなだれかかって来た。


「セイジ様は優しい方です。私が一人で部屋で勉強していると、リビングに連れ出して、分からないところを教えてくださる……。私は、セイジ様のことを……私が思っていいのか分かりませんが、それでも、セイジ様の優しさに惹かれているのです」


 がらがらと理性が音を立てて崩れていく音がする気がした。抱きしめるとカマルは僅かに震えたが、じっとセイジを見上げて金色の目を見開いている。顔を傾けて近付けると、長い睫毛が伏せられた。

 唇を重ねた瞬間、甘く蕩けるような感覚に襲われる。頭の芯が痺れて快感に流されてしまいそうになる。


「カマルさん、それは自分を大事にしたうえでの答えなんだな?」

「はい……セイジ様は私を魔族としてでも魔王の異母姉としてでもなく、ただの一人の女性として扱ってくださいます。私はセイジ様のことを思う権利があるのか分からないのですが、セイジ様のものになりたいのです」

「権利も何も……カマルさんは素敵な女性だ。素晴らしい女性だ。俺はカマルさんが欲しい」


 まだ躊躇いがあるのだろうが恥じらいながらも勇気を出して告白してくれたカマルに、セイジの理性は完全に崩れ落ちていた。それでも最後の一欠けらの理性がセイジを留める。


「シャワーを浴びてくる。その間に、カマルさんが怖くなったり、嫌になったりしたら、部屋に戻っていい。今夜のことは忘れて、カマルさんとはまた同じように過ごすから」

「嫌になんて……なりません」

「それなら、ここで待っていて」


 もう一度口付けてセイジはカマルを部屋に置いて一階に降りたのだった。ちょうどシャワーを浴びて出てきたイオがほこほこと湯気を上げながら、濡れた髪をタオルで拭いて部屋に歩いて行っている。


「師匠、にやけているのです。気持ち悪い」

「ほっとけ! 俺は今日が正念場なんだ!」


 告げて脱衣所で服を脱ぎ捨ててバスルームに駆け込んだセイジは、熱いシャワーで高ぶりそうになっている自分を落ち着けることにした。

 いきなり獣のように襲ってしまってはカマルは相当怯えるだろう。遊んできた女性たちとカマルは全く違う。慣れていないし、異母弟である魔王に下着姿にされて体を触られ、口付けをされるようなことまで経験しているのだ。

 できるだけ優しく甘く溶けるほどに可愛がりたい。考えるだけで高ぶって来る欲望をセイジは必死に抑えていた。



 シャワーを浴び終えて二階の部屋に戻るまでに結構な時間がかかったはずだった。カマルに考える猶予をセイジは与えたかったのだ。

 部屋に戻るとカマルはベッドに座って待っていた。居場所がなさそうにベッドの端に座っている。セイジが戻ってきたことに気付いているはずなのに顔を上げないカマルの隣りに座ると、僅かにカマルが震えているのが分かる。

 ネグリジェの上から膝を撫でて、ゆっくり太ももに手を滑らせると、カマルが弾かれたようにセイジを見た。潤んだ金色の瞳は恐怖を抱いているようには思えなかった。


「カマルさん、いいか?」

「セイジ様……はい」


 震える声で答えて目を伏せたカマルの頬に手を添えて唇を重ねる。ネグリジェを捲り上げようとすると、カマルはセイジの胸を押して少し離れて、すっぱりとそれを脱いでしまった。

 下着姿になったカマルの身体をベッドに横たえる。


「あの、私、何をすれば……」

「カマルさんはそのままで、俺を感じてくれてればいいよ。嫌だったら俺を押し退けて」

「魔王が……」


 カマルは下着姿でセイジもパジャマを脱ぎかけているような状態で魔王の話題が出て来て、セイジは固まってしまった。


「そこでその話する?」

「だって……女性の方が色々するものだと……」


 魔王と他の魔族の女性が陸み合う場面を見せられていたカマルは、間違った性知識を教え込まれているようだ。


「それは全部忘れて、俺の記憶だけにして」


 全てを書き換えるつもりで、セイジはカマルの身体を撫でる。膝から太ももまで撫で上げて、腰を通って柔らかな胸に触れる。びくりとカマルの身体が震えたのは恐怖からではないと思いたい。

 唇に口付けて、胸元にもキスを落として、セイジはゆっくりとカマルの身体に触れる。怖がらせず、不安になることもなく、カマルがセイジを受け入れてくれればいい。

 シーツの上に広がる艶やかな黒髪と褐色の肌が美しくて、セイジは目がくらみそうだった。

 抱き合って眠った夜、セイジは深い眠りに落ちていた。腕の中で暖かいカマルが寝息を上げている。それを感じながら、セイジも安心して眠りについた。

 抱き合った遊びの女性とは行為が終わればさっさと立ち去っていたし、同じベッドで眠るようなことはなかった。口付けすらもしないことがほとんどで、身体にあんなに丁寧に触れて相手に負担のないように時間をかけて愛撫したこと自体、セイジには初めてだった。

 適当すぎる女性関係とは全く違う満ち足りた時間を終えた後の気怠い体は心地よさすら覚えていた。そのままぐっすり眠ったセイジは翌朝さっぱりと目覚めた。


「カマルさん……愛してる」


 腕の中で眠っているカマルの髪に口付けてそっと囁くと、びくりとカマルが動いたのが分かった。


「せ、セイジ様、い、今の……」

「起きてたのか?」

「まどろんでいました。聞き間違いじゃないですよね?」


 問いかけるカマルにセイジは苦笑する。


「聞き間違いじゃない。俺はカマルさんを愛してる」

「わ、私も、セイジ様を……」


 腕の中で恥じらいながら言うカマルに口付けようとすると拒まれてしまう。胸を押されてセイジは若干不満だった。


「ダメです、歯を磨いてから」

「イオが起きてしまう」

「ダメですー!」


 嫌なことははっきりと嫌だとカマルが言えることに安心しつつ、セイジも笑ってしまった。

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