第12話

 魔物と魔族の屍が累々と連なる道を、セイジはやりたくないと思いながらも屍を全部集めて山と積み上げて炎の魔術で焼き払っていた。舗装されていない土の道に残る血の跡はどうしようもないが、そのうち雨が洗い流すだろう。


「キャンプファイヤーなのです」

「随分と物騒なキャンプファイヤーだな」

「戦ったらお腹が空きました」


 異臭を上げながら爆ぜて燃える屍の山を前に、イオは座って弁当を広げている。この状況で物が食べられるというあたり、イオの神経が信じられないセイジだが、セイジもレーズンとナッツの入った黒糖で甘くしたパンにクリームチーズを挟んだおやつサンドイッチを渡されると何となく食べてしまう。

 甘いパンはイオの大好物で、イオのためだけに作っていた。イオは喜んで一斤食べてしまうこともあるのだが、これだけイオが喜ぶのだからカマルも喜んでくれるかもしれないなんてセイジは考えていたのだ。


「カマルさんの分を残しておけよ?」

「二切れでいいですか?」

「それ、パンを二等分にしてあるんだからな? 四切れは残しておけよ?」

「それじゃ、師匠にはもうあげません」


 大きな弁当箱にぎっしりと詰まった甘いパンのサンドイッチをイオは独り占めするつもりはなかったのだろうが、セイジにはもう渡さないと言い張っている。渡された一切れを食べていると、上手に焼けていて、黒糖とレーズンの甘さにナッツの歯ごたえと香りがよく合って、挟んだクリームチーズの濃厚さがとても美味しい。

 美味しくできているはずなのに、「美味しいです」と食べてくれるカマルが傍にいない。

 明るい笑顔で純粋に笑ってくれるカマルの存在がセイジにとってここ数日でどれだけ大きくなっていたのかがよく分かる。

 思い詰めたカマルが自分を傷付けるようなことをしていなければいいのだが。

 心配で食べているサンドイッチの味も分からなくなってくる。

 王宮に世界最強の魔術師としていた頃もそうだった。誰かの作る食事には警戒して手を付けられなかったし、自分の作ったものはどこか味気なかった。美味しいと食べてくれるイオが来て、ものすごい量を作らなければいけなくなって、油断すれば自分の分まで食べられてしまうような状況で、ようやくセイジは自分の食事を必死にとることを覚えた。

 カマルが来てからは全く違う生活だった。カマルの作るお菓子を甘いものはそれほど好きではないと言いつつも、少し食べるだけで満たされる。少ししかお皿に盛らないカマルの世話を焼いていると食事も楽しくなった。

 カマルを取り戻さなければセイジはまた味気ない生活に戻ってしまう。


「カマルさんは美しい……俺にはカマルさんを手折る権利がない」

「師匠、独り言が気持ち悪いのです。魔王城に着きましたよ。さっさと魔王をすり潰してカマルさんを連れて帰りましょう」


 晩ご飯までには帰らないとと意気込むイオに呆れつつも、セイジは気合を入れ直す。

 結界が張られてはいるが粗雑な作りで、セイジとイオはすぐに魔王城の門を開けることができた。庭を囲む柵には干からびた肉のようなものが突き刺さっていて、それをカラスが突いている。

 魔王に挑んで負けたものは首を落とされ、四肢をもがれて柵に突き刺される運命なのだと聞いていたが、あまりにも趣味が悪い。

 放っておけなくてセイジは柵に刺さっている干からびた遺体を回収して、集めて魔術の火で焼いた。


「師匠、早く行くのです」

「これで少しは浄化されるだろう」


 身の程を知らず魔王に挑んで死んでいった者たちは気の毒ではあったが、それ以上の感情はない。死した後も死体を穢すような行為にセイジは腹を立てただけなのだ。

 魔王城の中に入って行っても、魔物は襲ってくるが魔族の姿はほとんど見えない。セイジとイオがここに来るまでに魔族の屍の山を作り上げたから、恐れて逃げたのかもしれない。

 お世辞にも清潔とは言えない何か分からない粘液の付いた絨毯を踏んで、魔王城の中を進んでいくと、天井の高い広間に辿り着いた。



 玉座らしき骨で装飾された趣味の悪い椅子に腰かけている右腕のない褐色肌に金色の髪に血赤の目の男性は魔王だろう。その隣りでカマルが下着姿で天井から荒縄で縛られて吊り下げられている。


「うわ! 変態なのです!」

「貴様は勇者! そっちにいるのは、姉上を穢した男か!」


 穢したと言われて、正直セイジは怒りが腹の底からわいてきていた。これまでカマルを苦しめ続けて、自分の元に戻らなければ街を襲って脅したのは魔王ではないか。

 セイジと暮らしている間、カマルはとても幸せそうだった。


「カマルさんを苦しめたのはお前だろうが!」

「姉上の名前を気軽に呼ぶな! 姉上は私のもの……異母姉だったからといって、我慢していたのがいけなかった。姉上はこれから全て私のものになるのだ」


 魔王が椅子から立ち上がり、天井から吊るされているカマルに近寄る。濃い蜜を流したような艶のある太ももに触れて、腰を撫で、胸を通って魔王の手がカマルの頬に添えられる。

 逃れようともがくカマルの顎を掴んで、魔王は強引にその唇を塞いだ。


「カマルさんに、なんてことを! 許さん!」


 セイジが魔術の術式を編み上げるより先に、イオが大きく腕を振るった。

 ぽつりと魔王の胸に穴が空く。何が起きたか理解していないまま、魔王が胸を押さえて後退る。ごぼごぼと逆流して来た血が口から溢れ、穴の開いた胸からは壊れた蛇口のように血が吹き出した。


「おのれ……勇者め……」

「今度は逃がさないのです」


 確実に首をもぎ取ろうとするイオが近付いてくるのに気付いて、魔王は胸の傷を修復しながら、カマルを捕えていた縄を切った。落下するカマルにセイジが駆け寄る。

 縛られたままで倒れて来たカマルの身体を抱き留めると、カマルが泣いているのがセイジには分かった。


「師匠! また逃げました!」


 カマルに視線が向いた隙に、魔王は移転の魔術で逃げていた。追いかけることは簡単だが、今は泣いているカマルの方が気になる。


「魔族の手数も減ったし、恐怖も植え付けたし、しばらくは襲ってこないだろう」

「セイジ様、イオ様……私のことは置いて行ってください……」

「それはできない」


 俯いて顔を見せずに告げるカマルの目から涙がぼろぼろと零れているのが分かる。


「そうですよ! カマルさんのために、イオはおやつのクリームチーズサンドを四切れも残しているんですよ。カマルさんが食べないと、悪くなっちゃいます」

「イオ様……」

「すぐに縄を解こう。カマルさん、じっとして」


 縛られている縄を解いて、セイジはカマルのために上着を脱いで肩にかけた。下着姿のカマルの脚の付け根がぎりぎり隠れるラインに、セイジはそちらに目を向けないように視線を背ける。


「魔王は、私を抱くつもりだった……」

「間に合ってよかった。カマルさん、二度と魔王の元に戻るようなことはやめてくれ」

「ですが、私のせいでセイジ様にもイオ様にも迷惑が掛かって、街のひとたちも……」


 金色の目を潤ませながら言うカマルの身体をセイジは抱き締める。豊かな胸も括れた腰も尻のラインも感じ取れてしまって落ち着かない気持ちになるが、カマルを手放すという選択肢はセイジにはなかった。


「俺の方がカマルさんを閉じ込めているのかもしれない」

「セイジ様が?」

「他に行く場所がないのをいいことに、俺の小屋に閉じ込めている」


 セイジとイオ以外に完璧にカマルを守れる人材がいないのは確かだったが、名のある神殿などに預ければ、魔族からカマルを守って、アメジストのペンデュラムを使いこなす方法を教えられるのかもしれない。そんなことが分かっていても、セイジはカマルを手放すことができない。


「カマルさんに惚れてるって言っただろ、前に」

「それは、多分で、勘違いだったのでは?」

「今回のことでよく分かった。俺はカマルさんを俺の腕に閉じ込めておきたい」


 精一杯の口説き文句にカマルが長い睫毛を伏せる。


「私はセイジ様になら何をされても……」

「そういうことじゃない。カマルさんにも俺のことを好きになって欲しい」

「好きに……」


 自分に選択権があるとは考えてもいない様子のカマルにセイジは囁きかける。


「身も心も捧げていいと思ったら、そのときには遠慮しない」

「セイジ様……」


 抱き締めている腕に力を込めて、セイジはカマルの耳元で甘く囁いた。触れる吐息にカマルの身体が震える。


「師匠、晩ご飯の時間に間に合わなくなります。帰りましょう」


 甘い空気を破ったのはイオの言葉だった。

 さっき一斤近くのサンドイッチを食べたのに、イオのお腹はきゅるきゅると鳴き始めている。

 邪魔をして欲しくはなかったが、これ以上抱き合っていると暴走しそうなのは確かだったので、セイジはカマルから体を離して、移転の魔術で小屋に戻ることにした。

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