第8話
小屋に戻って水を調べると、浄化の魔術システムも正常に動いていて、澄んだ水がシャワーからもキッチンの水場からも出るようになっていた。水をコップに汲んで、よく成分を魔術で見定めてから、セイジは料理を始めた。氷室に入れておいた街で買ったサーモンを切り身にして、塩で味をなじませて、小麦粉を薄くつけてバターで焼いていく。ついでにパプリカとズッキーニとエリンギとしめじもバター炒めにした。
卵スープを作ってパンと一緒に出すと、イオは躊躇いなく三切れお皿に取って、パプリカとズッキーニとエリンギとしめじのパター炒めも山盛り皿に取る。スープは深皿に分けていたのだが、いつもの習慣でセイジは自然とイオのものを一番多くしていた。
パンは家で焼いているのだが、一斤がすぐになくなってしまう。イオは半分は食べるし、セイジも二枚は食べる。カマルは薄く切った一枚を大事に食べていた。
サーモンのムニエルも一番小さいひと切れを取るし、パプリカとズッキーニとエリンギとしめじのバター炒めもあまり量は取らないカマルに、セイジは心配になってしまう。
「それだけで足りているか?」
「毎食たくさん食べていますよ?」
どうしてもイオと比べてしまうからいけないのだろうが、セイジはそのことに気付いていなかった。女性の食事の量などセイジにはよく分からない。
セイジもサーモンのムニエルを二切れ取って、パプリカとズッキーニとエリンギとしめじのバター炒めは残りを全部もらった。
食べている間はイオはとても大人しい。ものすごい勢いでなくなっていく料理に、イオが満足しているのはセイジも長年の付き合いなのでなんとなく分かる。
「セイジ様、シャワーを浴びたら、お部屋に伺ってもよろしいですか?」
食事を終えたイオが二階のセイジの部屋に入ったのを見計らって、カマルが思い詰めた表情で告げるのに、セイジは落ち着かない気分になりながら、「待っている」と答えた。
今日はあまりにも色んなことがありすぎた。
魔王の手先によって川の水が汚染された事件から、川の魔物によってカマルと共に汚染された川に落ちてしまった。正確には川の魔物を倒そうとしたイオの放った衝撃波の余波に巻き込まれてなのだが、その辺を深く追求するとイオとはやっていけない。
この件に関してはイオにこってりと説教をするつもりだった。
「イオ、お前はもうちょっと自分の力の制御を覚えなさい。今回はカマルさんが聖なる水源を見つけられたから良かったけれど、カマルさんの命も俺の命も危なかったんだからな」
「師匠、サーモンのムニエルの量が少なかったのです。やっぱり、デザートが欲しいのです」
「話を聞け! 自分がしたことに対して、何か感想はないのか」
「三切れでは足りなかったのです」
「サーモンの話じゃない!」
相変わらずひとの話を全く聞かない弟子である。それでもカマルがシャワーを浴びるときにはリビングとバスルームが直結していて暖簾で区切られているだけなので、イオも遠慮して二階のセイジの部屋に入っている。その辺の配慮はできるのに、戦うとなると全く力加減ができなくなるのがセイジには不思議でならなかった。
魔王を倒すと出かけて行ったとき、セイジはやっと一人で隠居できるという安心感と、これからイオが自分の力を制御できないままに生きていって大丈夫かという心配が半々だったが、戻って来たイオにまた振り回されているのを考えると、どこか自分の知らないところで魔物退治でもして名を上げて欲しいという気持ちと、制御できない力で他人から迫害されないかという心配が沸き起こる。
突き放してしまいたい気持ちはあるのだが、それをするにはセイジはあまりにもイオという弟子と過ごした時間が長く、見放せなくなっていた。
「カマルさんに何を作ってもらおうかな。イオは甘くて美味しいものが食べたいのです」
「カマルさんは俺と話があるんだ」
「師匠だけ作ってもらうんですか!? ずるいのです!」
噛み合わない会話にもセイジは慣れ切っていた。
カマルの話とはなんだろう。
昼間に口付けたことが嫌だったとか、ここを出て行くとかそんな話ではないのだろうか。
急に不安になってきたセイジに、部屋のドアが叩かれた。
濡れた髪でネグリジェを着て部屋に入って来たカマルに、イオがデザートを強請る前に「イオもシャワーを浴びて来い」と追い出した。部屋の中にはカマルとセイジの二人だけになる。
胸に下げたアメジストのペンデュラムを握り締めて、カマルが口を開いた。
「セイジ様のお好きなように……」
「え?」
「私は、それくらいしかできません。セイジ様が求めるのであれば、私の身体は好きにしてくださって構いません」
出て行くとか、キスが嫌だったとかそういう次元の話でなくなっている。
セイジは少なからず慌ててしまった。
カマルはセイジがキスをしたことに対して、自分の体を要求しているのだと勘違いしている。
「違うんだ、キスをしたのはそういうのじゃない」
「私、初めてで面白くないかもしれませんが、できるだけ楽しませるように頑張ります」
「いやいや、落ち着いて、カマルさん」
思いつめた表情のカマルも必死になりすぎてセイジの言葉が届いていない。アメジストのペンデュラムと握り締めるカマルの手が震えていた。
「け、経験はありませんが、魔王は私に見せつけるように女性とそういうことをしていました。た、多分、できると思うんです」
「魔王が、カマルさんに見せつけていた?」
「魔王の私に対する執着は異常で……姉だからという理性はあったのでしょうが、私にそういう行為をしている自分を見ろと言って……。とても嫌だったけれど、従わなければ、私は……」
魔王に支配されて逃げることもできないカマルは、魔王が他の女性の魔族と陸み合う現場を見せられていた。食事は制限され、閉じ込められて自由もなく、水源を探させて汚染するように命じられて、行為まで見せつけられていたのならば、カマルが命を絶ってでも自由になりたかったという気持ちがセイジにはよく分かった。自分の弟の行為を見せられるなど拷問に近かっただろう。
「カマルさん、俺はそんなこと望んで……なくはないけど、カマルさんが望まないのに無理強いはしたくない」
「セイジ様……。セイジ様は私によくしてくれます。半分とはいえ魔族の私と暮らすのは大変でしょう。今日だって、魔王が川を汚染して迷惑をかけました」
自分がいるから魔王はこの小屋に手出しをしてくるのだとカマルには分かっている。その通りなのだろうが、世界最強の魔術師のセイジにとって魔王程度怖い存在ではなかったし、川を汚染されたのは面倒だったが解決できる程度の問題だった。
「俺に迷惑をかけているから、俺に身を差し出すようなことはやめてくれ」
「セイジ様……私にキスをしたのは?」
あれはカマルが欲しかったからではないかとカマルに問われれば、セイジは返答に困ってしまう。
「俺はずっと他人に頼ったことなんかなかった。カマルさんは視力を失った俺を、自分の苦しさを我慢して助けようとしてくれた。俺はカマルさんに愛しさを感じて口付けた」
正直に白状したセイジにカマルの金色の目が見開かれる。
「愛しさ、と言いますと?」
「カマルさんに惚れているんだ、多分」
どうしても断定できないのにはセイジの自信のなさがあった。これまで女性と遊んでは来たが、本気になったことはない。本気の恋をセイジは経験したことがない。
これが本当の恋なのか、愛なのか、セイジにはまだ分かっていなかった。聖なる水源の傍でカマルに口付けたのは、カマルが愛しいと思ったからに違いなかったが、それが肉欲とどう違うのかと言われれば、セイジには上手く説明ができない。
「多分、ですか……」
「他人にこんな感情を抱いたのは初めてなんだ。俺にもよく分からない」
「私はセイジ様になら何をされてもいい。それは覚えていてください」
今日は失礼しますと言って部屋から出て行くカマルを、セイジは衝動的に抱き締めたくてたまらなかった。しかし、ここで抱き締めてしまえばカマルはただの肉欲だけを求められたと思いはしないだろうか。
伸ばした手は宙を掴み、部屋のドアは無情にも閉まったのだった。
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