第6話
イオの狩ってきたイノシシは熟成させてから数日に分けて鍋や煮物で消費した。臭みが消えるように味噌や香辛料を大量に使わなければいけなかったけれど、カマルは文句も言わず食べていた。
「カマルさんって、嫌いなものとかあるのか?」
何を出しても興味深そうに見て食べるカマルに、セイジは聞いてみた。返事はセイジの怒りを煽るようなものだった。
「肉ばかり出されていて、何の肉かも分からなかったので、それには手を付けず、私はミルクでパン粥を作ってこっそり食べていました」
魔王の好物の甘いお菓子を作るために材料は渡されていたし、厨房を使うことも許されていたので、カマルはミルクでパン粥を作ったり、それに卵を落としたりして食べていたという。それだけでは栄養が偏っただろうが、カマルが病んだりしていないことだけはセイジにも見て取れた。
半分は魔族の血が流れているのでカマルは身体が強いのかもしれない。三十歳だと言っていたが、もっと若く見えるのも魔族の血が流れているからだろう。
魔族は通常の人間よりも長寿である。
魔術師も不老不死を実現させたものはいないが、不老に近く長寿であることには変わりない。セイジは不老であることは人間としての理に反しているので望んではいなかったが、長寿であることに関しては受け入れていた。
「色んなものが食べられて、お庭にも自由に出してもらえて、セイジ様とイオ様がいれば街にも行ける。とても楽しいです」
制限されている生活のはずなのに、カマルは無邪気に幸せだと微笑む。もっと自由にしてやりたい気持ちと、カマルを自分の元に繋ぎ止めて閉じ込めてしまいたい気持ちの中で、セイジは葛藤する。
「師匠、カマルさんと何を話しているんですか? ご飯の話ですか? パン粥って単語が聞こえましたよ」
話に割り込んでくるイオがいなければもっとカマルと親しくなれたのにという気持ちと、選択肢のない状態でカマルに手を出していいはずがないという気持ちも、セイジの中にはあった。
「魔王城で私がパン粥を食べていたという話をしていたのです」
「パン粥は美味しいですか? イオはパン粥を食べたことがありません」
食欲が全ての欲求に勝るイオは、幼い頃に空腹で山の中に捨てられていたせいなのかもしれない。とにかく食い気が激しすぎる。どれだけ食べても太る気配がないのだから、成長期の子どもというものは恐ろしい。
「ミルクでパンを煮るのです。ミルクが甘くてパンがとろりとして美味しいですよ」
「食べてみたいです! 作ってください」
「待て。朝ご飯をあれだけ食べて、これから昼食なのに、パン粥を食べるのか?」
「おやつです!」
おやつにパン粥を食べるという発想自体セイジには信じられないのだが、押しの強いイオにお願いされてカマルはキッチンに向かっていた。キッチンに立ってイオに見守られながらパン粥を作るカマルの姿に、セイジは見惚れてしまう。
長い艶やかな黒髪は邪魔にならないように括ってしまって、ワンピースが汚れないようにエプロンを身につけたカマル。高く髪を括っているのでうなじが見えるのが色っぽい。
金色のアーモンド形の目に長い睫毛、通った鼻梁に、ふっくらとした唇。
褐色の肌の神秘的なところも含めて、カマルはこれまで出会ったどんな女性よりもセイジにとっては魅力的だった。豊かな胸にも、引き締まった腰にも、ついつい目がいってしまうのはセイジも健全な男なのだから仕方がない。
「これがパン粥……ミルクの甘みはありますが、ちょっと物足りない気がします」
「そういうときには、贅沢ですが蜂蜜を垂らすのです」
「蜂蜜!」
出来立ての湯気の上がるパン粥をふうふうと吹きながら食べるイオに、カマルが悪戯っぽく笑って深皿の中にとろりと琥珀色の蜂蜜を垂らす。かき混ぜて食べるイオの表情が笑顔に変わっていく。
「美味しいのです」
「卵を落としたり、塩とコショウで味付けしたりもします」
「それも食べてみたいのです」
今回は蜂蜜で甘く仕上げていたが、卵を落としたり、塩とコショウで味付けしたりすると聞いてイオの青い目が輝く。ふわふわの金髪のイオは美少女と見紛うばかりの美少年だが、美味しいものを食べているときはセイジも恐ろしさを忘れるから不思議だ。
「師匠、軽く食べたらますますお腹が空きました! お昼ご飯を作ってください!」
勝手なことを言って食事を求めるイオに、セイジはため息をつきながらキッチンに向かっていた。
イオが押しかけて来て弟子になってから、セイジとイオの生活は始まったのだが、これまでの間一度も水関係の問題が起きたことはなかった。川から引いている水はいつも澄んで飲み水にできるくらいなのだが、その水が汚染された。
赤茶色に変わっている水が出て来るシャワーを確認して、キッチンの水場からも赤茶色に変化した水が出ているのを見て、セイジは嫌な予感を覚えていた。
すり潰すために生きている右腕の呪符を外したせいで魔王はセイジの小屋の場所を突き止めた。セイジに嫌がらせをして結界の中から出て来させるために水を汚染したと考えて間違いないだろう。
「魔王の仕業なのです! 許せません」
「多分そうだろうな。川の水が汚染されたとなると、別の水源を探さないといけない」
これでは食事の準備もままならないと怒るイオに、セイジも早急に対処しなければいけない問題だと理解していた。川の水を魔術で浄化してこれまで使ってきたのだが、その浄化システムを壊してしまうほどの汚染が行われている。浄化していなければ水はもっと酷い状態で流れて来たのではないだろうか。
「イオ、川に原因を探りに行くぞ」
「分かったのです」
イオと二人で見て来るつもりだったセイジは、残されたカマルは結界の中で安全に過ごせるだろうと思っていた。
「私も連れて行ってください」
「カマルさん……」
「足手まといになったら捨てていって構いませんから」
カマルの言葉にセイジは引っかかりを覚えた。
残していく方が安全だとは分かっているが、魔王がどんな甘言でカマルを引きずり出そうとするかは分からない。水の汚染をやめるから戻って来いと誘われたら、心優しいカマルは行ってしまうのではないだろうか。
「師匠、カマルさんはイオが守ります」
「そうだな、一緒に行った方が安全かもしれない」
そう判断して、セイジはカマルを連れて行くことにした。
山道を歩くのでカマルにはそれ相応の格好をしてもらう。セイジのズボンを履かせてシャツを着せると、ぶかぶかだったが、腰に紐を撒いたり、裾を捲ったりしてカマルは何とかサイズを合わせていた。
ワンピースを着ている可憐なカマルも美しいが、セイジのぶかぶかの服を着ているカマルも可愛いと思えてしまうのだからどうしようもない。
「準備は出来ました。行きましょう」
髪も括って気合を入れているカマルを連れて、セイジとイオは少し離れた川までの道を歩いていた。山の起伏に添って流れる川はかなり水量が多く、流れも速い。流れが速いからこそ綺麗な水を保てているはずなのだが、覗き込んだ川の水は赤黒くなっていて淀んでいる。
「山の動物にとっても大事な水なのに、許せません」
淀んだ川の岸の石の上には死んだ魚が打ち上げられているし、水を飲みに来た鹿が倒れて血泡を吹いて死んでいるのが見える。
「かなり強い毒の呪いをかけられているな」
水の変化に気付かずに使っていればセイジやイオはともかく、カマルには危険だっただろう。大事な姉だと言っていたのに、カマルが傍にいないと殺してしまおうとするようなことを実行する魔王に、セイジは嫌悪感を覚えていた。
手に入らないのならば壊してしまおうなど、身勝手で最悪な考えだ。
「水を汚染している原因はもっと上流にありそうだな。カマルさん、登るがついてこられるか?」
「大丈夫です。頑張ります」
山用とは言えない普通の革靴しか持っていないカマルに、サイズ的な問題でセイジは靴だけは貸せなかった。急にこんなことにならなければ街に買いに行く余裕もあったはずなのに。
次に街に行くときにはカマルのために山用の靴も買い揃えようと思いながら、カマルの手を引いて滑る山道を歩いて行く。川の近くなので土が湿っていて足を取られやすいのだ。
「あっ!」
「カマルさん!」
手を繋いだカマルが川から伸びて来た鱗のある腕に足を引っ張られている。危ないと思った瞬間、イオが手を振るった。放たれる衝撃波にセイジは悲鳴を上げる。
「イオ、やめろー!? 俺たちまで……」
すっぱりと鱗のある腕は切れたのだが、衝撃波に巻き込まれて、セイジとカマルは川の中に落下していた。
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