第5話

 カマルと暮らし始めてセイジが最初にしたのは、カマルの部屋を作ることだった。セイジの小屋は二階建てでかなり広い。セイジの部屋は二階で、イオの部屋は一階で、一階には書庫があったがそこを片付けて二階の書斎に合わせてしまって、カマルの部屋を作った。

 買ってきたベッドは移転の魔術で部屋に飛ばして、テーブルや椅子やソファも揃える。新しい家具にひたすら恐縮していたカマルも、部屋が出来上がるにつれて嬉しそうな表情をしていた。


「これが、私の部屋……」

「これまで部屋はなかったのか?」

「魔王の部屋の隣りに豪奢な部屋が……。豪華な家具も調度品も誰かから奪われたものだと思うと使うのが申し訳なくて、身の置き場がありませんでした」


 本当にカマルは魔王の異母姉で半分魔族なのかと疑ってしまうくらい、欲望というものがなかった。生まれたときから親子二代の魔王に囚われ続けて来た生活でも、カマルは闇に染まってはいない。

 そういうところがイオから見たら聖女と思えるのかもしれない。

 セイジもカマルのことがただものではないのではないかと思い始めていた。


「いつかは出て行かなければいけないのに」

「出て行かなくていいのですよ。カマルさんはずっとここにいればいいのです」


 あっさりと言うイオだが、セイジも同じ気分になっていることは口には出せない。セイジにとってもカマルは大事な相手になっていた。


「最近山に魔物が多いですから、カマルさんは一人で出かけてはいけませんよ」

「魔物が増えている……?」


 イオの言葉にカマルの肩が震える。魔物は魔族が使役するもの。増えているということは魔王が動き出していることを示唆している。


「魔王は許せんな。やっぱり、右腕はすり潰すか」

「師匠! イオは最初から言っていたでしょう。すり潰しましょうと」


 凄惨な場面をカマルには見せられないので小屋の中に入ってもらって、セイジは呪符で封印した魔王の右腕を取り出してきた。丁寧に呪符を剥がしていくと、まだびくびくと蠢いているのが分かる。

 魔王は腕をもぎ取られたくらいでは死なないし、腕の方も残しておけば取り返せば自然とくっ付く。大きな岩を台にして石ですり潰そうとしたとき、褐色の肌に艶やかな黒髪、美しいドレスのカマルそっくりの人影が現れた。ゆらりゆらりと揺れながら、人影はこちらに近付いてくる。


「私の弟の腕に酷いことをしないでください。弟の腕を返してあげてください」


 カマルと同じ声がその人物の喉から聞こえてくるが、カマルのように柔らかで優しい響きはなく、感情が宿っているとも思えない。


「魔王の手先か。カマルさんの姿で来るなんて、小賢しい」


 張ってある結界を厳重なものにするとカマルに似せた姿の魔族は、入って来られずに足止めされている。その目の前で、セイジとイオは入念に岩を台にして、石で腕をすり潰していく。飛び散る血にカマルに似せた姿の魔族が悲鳴を上げる。


「やめろぉおおお! うああああ! 腕があああ!」


 先ほどまではカマルに似せた声で話していたのに、それが野太くなってドレスを着た姿も歪んで変わっていく。右腕のない金髪に赤い目に褐色肌の男性が、痛みに悶絶している姿を見て、セイジはそれが魔王だと悟った。


「右腕とカマルさんを取り返しに来たのですね。今度こそ、息の根を止めてやるのです」


 魔王の右腕をすり潰し終えたイオが意気揚々と駆けて行くのをセイジは止めてしまった。止めている間に魔王は血のような赤い目でセイジとイオを睨み付ける。


「最愛の姉上は必ず取り返す。貴様ら、覚えておけよ!」


 移転の魔術で逃げていく魔王にイオが不機嫌に唇を尖らせている。


「イオは、絶対に逃しませんでしたよ! 一瞬で息の根を止められたのに、どうして止めたんですか?」

「カマルさんが……」

「カマルさんが……お腹を空かせている!? 確かにお昼ご飯の時間でしたね。イオは大事なことに気付いていなかったのです。師匠、早くご飯にしましょう」


 魔王がいなくなればカマルがこの小屋にいる口実がなくなってしまう。それを口に出せなかったセイジに、イオは勘違いをしていた。勘違いしていてくれる方が助かるのでセイジは小屋に戻って昼食を作り始めた。



 レタスとトマトを洗って、レタスは千切って、トマトは切って、厚焼きのベーコンと一緒にパンに挟む。イオには四つ、セイジが三つ、カマルには悩んだが一つサンドイッチを皿に乗せた。

 大きな口でぱくぱくと食べていくイオと対照的に、カマルはサンドイッチを端からちびちび齧って、後ろから具が零れ落ちそうになっている。


「サンドイッチを食べるのは初めてか?」

「はい。なかなか難しいです」

「お行儀とか考えずに、大口でかぶりつけばいい」

「え……はい」


 一生懸命口を開いて噛み付くカマルだが、その拍子に後ろからトマトが滑り落ちて皿の上に乗る。驚いて金色の目を丸くしているのが可愛くて、セイジが笑うとカマルも笑う。


「まだまだ修行が必要みたいです」

「イオよりも熱心だな」

「セイジ様、私に料理を教えてくれますか?」


 食べるばかりで全く料理は習おうとしなかったし、魔術に関しても見ていたら覚えるか、興味がなければどこかに行ってしまうようなイオと違って、カマルは料理を覚えようと考えている。これから長期間カマルと暮らすようになれば、カマルが生活力を点けてくれた方がセイジにはありがたかった。


「お洗濯もします」

「洗濯は自分の分を洗ってもらえれば」

「お世話になっているのです、セイジ様とイオ様の分も洗います」


 洗濯物には下着も靴下も入る。そんなものをカマルに洗ってもらうのは申し訳ないのだが、カマルは絶対に譲らない。


「魔王城では誰が洗っているか分からなくて怖かったので、下着だけは自分で手洗いして部屋に干していました。洗い方は何となく分かります」

「これからも下着は部屋に干してくれると助かるな」

「セイジ様とイオ様の下着もですか?」

「いやいやいや、俺とイオのは気にしないで」


 世間知らずなのか金色の目を丸くして聞いてくるカマルに、セイジは戸惑ってしまう。年齢はセイジよりも一つ年上だが、カマルはとても純粋だった。その純粋さがセイジには眩しくもある。

 十代の頃に王宮でひとの汚さは十分に見て来た。これ以上ひとの汚さを見たくないからこそ、面倒になって山に隠居したのだ。それが今、イオの連れて帰って来た魔王の異母姉に心を奪われそうになっている。

 女遊びはしてきたが、セイジが本気になったことはない。自分は感情が欠落しているので、誰か一人を本気で愛せるなどセイジは思っていなかった。自分は他人を愛せないのだと理解しつつ、たった一人の運命が現れることに憧れていたセイジ。


「お洗濯をするのも、お料理を習うのも、とても楽しいです。魔王城にいた頃と比べ物にならない。毎日が楽しいんです」


 ありがとうございますとお礼を言われて、セイジはカマルの純粋な笑顔に眩しさを覚えてしまう。目が眩むような心も姿も美しいカマルに、自分如きが手を出していいものなのか。

 遊んで快楽に落とすことは簡単である。その術をセイジは知っていた。

 そんなことをすればイオが怒り狂うことも分かっている。


「カマルさん、魔王が退治されたら、あなたはどうするつもりなんだ?」


 問いかけにカマルが洗濯物を干しながら困ったように小首を傾げた。


「分かりません……魔王と共に処刑されるのが正しい道なのでしょうけれど、浅ましくも私は死にたくないと思っています」


 最初にイオに保護されて連れて来られたときには、魔王と共に殺されようとしていたカマルが、今は死にたくないと思っている。外の世界を知ってカマルの中に希望が生まれたのだろう。

 しかし、魔王の異母姉としてずっと魔王の傍にいたカマルを民衆がどう思うかは分からない。

 ずっとこの腕に閉じ込めて守っていられればいいのにと思わずにいられなくて、セイジはカマルの金色の瞳を見つめていた。

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