第七話 人形の部屋

 スマホの明かりだけで見渡す暗い部屋にあったのは、多少の小物が入る棚が一緒になった文机と三段ほどの本棚が一つ。障子でその先が見えない内窓があるだけの、殺風景な部屋だった。


 部屋を間違えたのだろうかと周りの部屋も確認したが、大量の人形は何処にもない。


 部屋の縁を足が超える。重たい空気が肩に乗る感覚がした。書庫とは違いここの本棚には何も入っていない。文机に近づいてしゃがみ、小さい棚を開ける。


 そこには若草色の和綴じの本が一冊。表紙に題名はない。特に警戒するでもなく本を手に取った。その本からは何も感じなかったからだ。右手で持ちながらその本を開くと、ミミズがったような文字が書いてあった。


「ケホッ……ケホ」

「!?」


 突然の出来事に、朔冬は思わず立ち上がる。ライトで照らすまでもない、明るい部屋と廊下。隣の部屋から咳き込む声。部屋と部屋を仕切っているのであろう襖の先から、小さい咳き込む声が聞こえた。暖かくも冷たくもない湿度だけが高い、まとわりつくような風が頬を撫でる。


 隠しきれない動揺を鎮めるように、肺に溜まった空気を吐き出す。和綴じの本は手の上で開かれたままだ。閉じようにも、右手に縫い付けられたように動かない。


(何が起きて……)


 隣の部屋につながっているのであろう襖に手をかけようとした。左手が空を切り、咄嗟に手を引っ込めた。触れたはずの襖は水面のように波紋している。そっと左手を襖に近づけ、もう一度触れようとする。手が空間に食いこむ。ぞわりとする、肌を逆撫でするような感覚がした。しかし、歯を食いしばって耐え、今度は引っ込めずにそのまま空間に潜り込む。先程の感覚が全身に広がる。一瞬、視界が暗闇に包まれた。


 視界が開けた先は、前の部屋の間取りによく似た夕暮れの和室だった。ヒグラシの鳴き声がうるさい。その部屋に、布団で眠る白髪の少女。追いかけてきた何かと同じ見た目だ。その少女は苦しげに息をしている。熱でもあるらしい。


 廊下と部屋を仕切っていたのは、他の部屋とは違う障子の戸だ。その障子に人影が映る。


「あぁ恐ろしや、恐ろしや。あの見た目、モノノケに憑かれているに違いない」


 その人影がこの部屋に入る様子はない。しばらくして、その人影が立ち去り新しい人影が現れる。


「あの子どもは厄災を招く。幼くして、老女の髪に血染めの瞳を持ったバケモノめ」


 その人影もこの部屋には入らない。


 どれくらい経ったのかはわからない。永遠に夕暮れ時の部屋の片隅に座りこむ。この部屋から出ようにも、どこもかしこも固く閉じられ動かない。水面のように揺らぐこともない。朔冬は完全に閉じ込められていた。その少女と、共に。


 あれから何回か廊下を人影が通っていったが、恨み言のような呪いの言葉を吐いていっただけだった。


「何を見せたい?」


 朔冬は寝たっきりの少女に呟く。返事が返ろうが返らなかろうがどちらでもよかった。


 少女のまぶたが開く。ボサボサの髪のまま起き上がり、幼い子どもの悲しげな顔が、追いかけられた時に聞いた「置いていかないで」の言葉と重なった。


 少女の瞳が一瞬朔冬を向く。目が合った気がしたが、直ぐに反らされた。


 大きく響く無数の足音。大人のものと思われるその足音が近づき、障子の前で止まる。朔冬はどこかで、その障子は開かれないと思っていた。それが、勢い良く開かれる。入ってくるのは男が三人に女が一人。少女の目が恐怖で見開かれる。その入ってきた四人は誰も彼も、釣った目をしていて、どこか鬼のようだった。


「   、    」


 何を言っているのかわからない怒号。男二人がかりで少女を押さえつけ、女は障子の側で眺めており、もう一人の男の手には鎌が握られている。嫌な予感がした。見てはいけないと、そう、朔冬は思った。その思いとは裏腹に瞼は開かれたままだった。


 躊躇ちゅうちょはなかった。彼らは、部屋から少女を引きずり出し、廊下の先にある中庭で事に及んだ。上がる、か細い悲鳴とそれを掻き消すような怒りが込められた大声。飛び散った赤に鉄錆の臭い。撒き散らされたザクロと赤い線を引いて転がってきた白い小さな球体。


 その繰り広げる惨劇は、少女を すだけでは終わらなかった。


 小さかった少女が、正真正銘の化け物と化す。その家の一家と思わしき人達は全て  された。


 静寂に満ちたその屋敷に次にやってきたのは、少女と同じぐらいだったろう、少年少女達だ。恐らくそれは、人間から化け物になった少女を鎮めるためのにえとして。


 その先を朔冬は知ってしまった。耳に甲高い悲鳴がこびりつく。思考と正気が引き裂かれる。どこかで、バキンと何かが割れる音がした。




    †




「――、――! ――サ―! サク!」


 虚空を見ていた瞳が焦点を結ぶ。


「…………ルカか」


 いつもの間にか倒れていたらしく、黒の双眸そうぼうが見下ろしている。


「いや、もう、驚かせんといて! 戻ってきたら倒れとるとか心臓に悪いわ!」


 ごめんと言いつつ起き上がろうとして、床についた左手に痛みが走る。


「っ……」

「何?」


 手から血が数滴垂れる。その垂れた先にあるのは鏡の欠片だった。少し視線をずらせば、琴葉から手渡された魔封じの鏡が割れていることに気がつく。


 最後に見た光景が脳裏をよぎる。栗毛のフワフワとした髪に、虚空を見据え微笑む彼女の姿が。


「コトハ、」

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