第八話 血染めの鎌

 琴葉は誰かに呼ばれた気がして、後方を振り向いた。


「……? あぁ、ごめんね。ちょっと気になっただけ」


 向き直り、対峙たいじした存在に微笑む。伸びた白い髪が琴葉に絡みつく。


「置イていかナイで」

「寂しいのは嫌だよね」


 琴葉よりも倍も大きく、枯れ枝のような手足に大きな頭の異形。長く白い髪に飲み込まれるような近さに琴葉は佇んでいる。


「マッテ、イッショに」

「大丈夫だよ。貴方は一人じゃないから」


 小さい子どもをあやすような口調で、首に絡みつこうとしている髪を撫でる。


「ちょっと、私と遊ぼうか」




    †




「サク……! サク! ちょっと待って! 早いわ!」


 人形達がいた部屋のその先に、キッチンとして機能していたのであろう土間がある。中庭に通じる出入り口近くに置いてある、あれを手に取った。刃の部分が錆びきった草刈り鎌。他のどの相手にも使えなくても、あの化け物相手になら使えるだろう。


「サク!」


 肩を掴まれ引き寄せられる。その方を見れば、肩で息を切らした琉海が立っていた。


「……何」

「何ってことはないやろ。ホンマ、様子おかしいで?」

「別に……」

「とりあえず、その手は止血した方がええんとちゃうん」


 琉海が見た方を見た。左手の鎌を持った部分に血がにじみ、柄を伝って錆びた刃から滴る。


「ほれ」


 手が差し出される。朔冬には意図がわからず、訝しげに見た。


「サク、それ利き手やろ。はよ」


 渋々鎌を右手に持ち替え、左手を出す。何もないのにどうやって、と考えていると琉海が柄にもなくポケットからハンカチを取り出した。


「……何で、ルカがハンカチなんか持って、痛ッ」


 琉海が力を込めて思いっきり、ハンカチを左手に巻き付け縛り、朔冬の痛がる様子を気にも止めずに会話を続ける。


「あぁ、コレ? 前にコトハから借りたんや。サクが返しといて」

「……前って、どれくらい前だ」

「……一年ぐらい前、やろか」

「ポケットに入れてるぐらいなら、さっさと返せ」

「返したいのはやまやまやったんやけど、タイミングがなぁ……のうなってしまっとるし、今持っとるのはサクやし」


 ゆっくりとダラダラとした口調で言う。乱暴な手当が済み、琉海がキリッという効果音がありそうな速度で顔を上げた。


「任せたわ」


 何となくイラついた朔冬は、回し蹴りをかます。だが、琉海にのけぞられて空振りに終わった。思わず舌打ちが出る。


「危っぶな! 顎狙うんは卑怯やろ!」

「別に、避けれたなら問題ないだろ」

「手当てしたのワイやのに、その仕打ちは酷ない!?」

「ムカついたから」

「何で!?」


 ぎゃあぎゃあ喚く琉海を放って、中庭の先、目的地の場所を見据える。


「もーええわ! で、どこ行くん」

「この庭の先、少し山を登ったところに小さい社がある。そこにコトハがいるから」


 言い切ったその言葉を聞いて、琉海が首を傾げる。


「知らへんはずやのに、何で言い切れるん?」


 その問に、朔冬が振り返る。


「さぁな」


 今日の月は赤い。




    †




(話の通じる子だと思ったんだけど、失敗だったかな)

「イッショニ、アソボ。ズット」


 切り刻まれた紙風船と、綿が飛び出したお手玉。


「……次は何をして遊ぼうか。とりあえず、離してくれると嬉しいんだけど」


 両腕に絡まる白髪は、直ぐに千切れそうな見た目と裏腹に針金のように硬い。


(そもそも、私は何でここにいるんだろう)


 人形達と対峙したところまでは覚えている。どうも、楽しくなりすぎると記憶が飛ぶ癖があるらしいと琴葉は思う。改めようとは思わないが。


(まぁ、いっか。考えてもしょうがないし……ここをどう切り抜けるか考えないと)


 魔封じの鏡は朔冬に手渡し、ここに来た時に剥がしたお札はカバンの中。両腕は前で縛られているが、お香の香りと右手の手首に巻いた数珠で怪我はない。ただ、身動きがとれない。


(死にもしないけど、動けもしない。詰んでる?)

「アソボ、アソボ」

「うん、そうだね」


 その時、ガタンッと後ろの戸が開く。月明かりが古びた社の中に射し込む。


「コトハ!」


 両腕を縛っていた白髪が切り払われる。咄嗟のことにバランスを失って一歩たたらを踏んだ琴葉の肩が抱きかかえられた。


「サク君」

「コトハから離れろ、化け物」


 冷徹に言い放つ朔冬の瞳が凍てつき、血が滲んだハンカチが巻かれた左手で錆びた草刈り鎌を突きつける。化け物と定義された存在が数歩怯えたように下がる。


「……ア、…………ア」


 肩を抱かれた状態で斜め上を見上げた琴葉は、横顔が若干青ざめているのと、抱く右手が微かに震え、冷え切っていることに気がつく。


「コトハ、満足したか?」


 その状態でかけられる言葉が、酷く優しい。


「うん。大丈夫」


 そして、その答えが傲慢であることを琴葉は知っている。


「一緒に、帰ろう」


 再度迫る白髪が切り払われ、肩を掴んでいた右手が琴葉の左手を掴む。


「マッテ、マッテ」

「逃げるぞ」

「ちょっと待って」

 振り返り走ろうとしたが、琴葉の足が動かない。


「最後に、鬼ごっこしよっか。捕まえられたらずっと一緒にいてあげるから」

「アホか!」


 戸を蹴破った後、成り行きを見守っていた琉海からツッコミが入る。


「ア……マッテ、イッショ……マッテ」

「なんで最後の最後に煽るんや! アホなんか!」


 走り出しつつ、琴葉は笑う。


「どうせ走るんだし、面白い方がいいかなって」

「面白ないわ!」

「ルカは黙って走れ」

「何で!?」


 松葉屋邸での最後の鬼ごっこが始まった。

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