第二話 白髪の少女

 昼間ではあったが、玄関先の廊下は薄暗かった。誰も住んでいないのは本当のようで、廊下に溜まった埃と砂に土足のまま上がった。そして、真冬の寒さは風こそ凌げるものの、外と変わらない、それよりも寒さを感じる冷たさだった。


 ぎしり、ぎしりと廊下の床板が鳴る。三人分の足音とは別に、もう後ろから一人の軽い足音。最後尾の朔冬が振り向く。


「……誰?」


 白髪に紅い目の七歳ほどに見える着物姿の少女だ。その少女に咄嗟とっさに朔冬は声をかけてしまった。薄暗い廊下の中で佇む少女は白髪も相まってほのかに光っているようにも見える。少女は問には答えず、朔冬をじっと見つめていた。その目が、どこか蜘蛛の目に似ているなと朔冬は思った。自身のクモ糸にかかった獲物を見る、捕食者の目。そのかかった獲物は目の前に――――


「サク、どうしたん」


 少し先を歩いていた琉海が戻ってくる。朔冬は視線だけを琉海に向けた。


「……ここに俺以外に誰かいるか」

「ちょ、気味悪いこと言わんといて」


 そして決定的な言葉を投げかける。


「サク以外おらへんって」


 目の前の少女は変わらず、朔冬の前にいる。その事実に朔冬はため息をつきたくなる。まだ、知らぬフリはできるだろうか。


 できないだろうなと内心呟く。朔冬は少女に問いかけてしまった。それが返されるまで、少女との縁は切れないだろう。それが何故かと問われれば、そういうものだからとしか朔冬は答えられない。


(らしくないミスだな)


 どうも警戒していたのが裏目に出たらしい。朔冬にとって彼らが見えることも聞こえることも事実だが、こういう空き家で最も警戒するのは犯罪者や、悪人の類いだからだ。実際、関わらなければ何もしないことも多いあちら側より、生きている人間と出くわすの方がずっと凄惨なことになる。


(でも、今回は逆か)


 この家が少女のテリトリーならこの状況はだいぶ不味い。


「? サク行くで?」

(コトハとルカは先に帰すか)

「サークー?」


 琉海に目の前で手を振られる。


「……何」


 気がつけば少女はもう近くにはいなかった。手を振られた瞬間に視界が遮られ消えてしまったようだった。


「コトハは?」

「先に行ったで」


 こういう場所で単独行動は不味いだろうと朔冬が思った瞬間。


「キャアーァァ!!」


 甲高い悲鳴が屋敷に木霊する。




     †




 急いで駆け付けると、琴葉は開けたふすまの前で腰を抜かしていた。琴葉が無事だったことに安堵して、上がった息を沈めながら側にしゃがむ。


「どうかしたのか」

「サ、サク君。ごめんなさい。この部屋にびっくりしちゃって」


 その部屋にあったのは、おびただしい数の人形だった。長い黒髪の日本人形に、金髪碧眼のヨーロッパからの輸入したと思われる人形と、おかっぱのこけしに木彫りの着物姿の女性。あらゆる人形がこの部屋にぎっしりと鎮座し、それ全てがこちらを

 そう、見ていた。おびただしい数の人形が全て。襖を開ければ自然と全ての人形と目が合うように配置されている。

 襖を開けてこれなら、悲鳴が上がってもしょうがないだろう。


「ちょ、サク、速いわ。いつもはボーっとしとる癖に」


 悪態をつく琉海も、その部屋を見た瞬間にうわとかすかに悲鳴が上がる。朔冬は琴葉に手を貸して立たせた。


「なんやこれ気色悪いな」

「……ただの人形だろ」

「ほんと、サクは冷静やな。心臓動いとる? 常に止まっとらん?」

「動いてるけど」

「そこは冷静にツッコまんといて」


 実際、ただの人形なのは数体だけで、ほとんどは何かがいているのは黙ろうと朔冬は思った。


「もう帰らないか」

「何ややっぱり怖いんか」

「…………」


 無言で琉海に朔冬はにらみ、琴葉の言葉を待つ。


「うー……ん。もうちょっと居たいかな」


 さっきの悲鳴の割には琴葉の目は生き生きとしている。琴葉は怖いことが好きで、きっと先ほどのも今となっては楽しんでいるのだろう。一種のお化け屋敷の感覚で。それがどんなに危ないことかは朔冬は理解している。


「そう。わかった」

「ワイは怖いんやけど」

「一人で帰ればいいんじゃないか」

「ひっど」


 しかし、琴葉がまだ居るというなら、それを優先しよう。最終的に、琴葉が無事に帰れればそれでいい。


 刹那、ドンっという衝撃が三人を襲う。床から突き上げられるような、まるで、屋敷が震えるような。


「な、何や」

「今の何?」

「…………」


 走ってきた廊下を塞ぐように白髪の少女が立っている。


「どこ、いくの」

「…………」


 答えてはいけない。


「……女の子?」

「……!?」


 琴葉が少女の存在に。琴葉は見えないはずなのに。それだけ少女の力が強まっているらしい。


「待」

「どうしたの? 迷子?」


 琴葉が少女に近づく。朔冬の手が空を切った。


「こんな所で迷子……? とりあえず、お名前言えるかな」

「迷子はないやろ。ワイらの後つけてきた麓の子とかちゃうん」


 琴葉がしゃがみこみ少女に声をかける。それに続くように琉海も近づいた。


「どこか、いくの」

「いくのちゃん?」

「いや、どこに行くのか聞いてるとちゃうの」

「あっ、なるほど。私は、まだここにいるつもりだけど」


 その答えに少女が笑う。子どもに似つかわしい純粋な笑み。朔冬にはその笑みが恐ろしいものに見える。


「そう、なの。ずっと、いる?」

「? それは無理じゃないかな。夕暮れ時には麓に戻らないと」


 少女の顔が曇り、異様な雰囲気をまとう。


「ずっと、いっしょ、いて、くれないの」

「一緒に、」

「ずっとは無理だ。ここにはいない。邪魔したのは悪いが帰らせてもらう」


 朔冬が琴葉の言葉を遮る。少女の先程の異様な雰囲気が爆発でも起こしたような威圧がかかる。


「……ッ」

「おいて、いくの」

「おいてなんて」


 琴葉はその雰囲気に気づいていない。


「逃げるぞ」

「サク君?」

「ワイまで置いていかんといて!」


 三人は異様な雰囲気に飲み込まれた屋敷を走り出した。

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