隣人の殺人鬼
勝哉 道花
高校3年、冬、大学受験
高校3年、冬、大学受験。晴れて合格通知を受け取った僕が最初に連絡をいれた相手は、両親でもなければ母校でもなく、大学近くにある不動産屋だった。
大学入学を機に、1人暮らしをする事を決めていた。理由は、実家からでは大学までが遠かったからだ。
けれどそれ以上に、僕には早くあの家を出なければ、という思いがあった。あそこを出たら僕はもう二度と、あの家の敷居を跨ぐつもりはなかった。
幼い頃から「お前には取り柄が何もない」と言われてきた。
愛想もなければ、人を楽しませるだけの会話のセンスもない。せめて何か人に誇れる才能でもあれば、という一縷の望みからピアノや絵画といった芸術的な習い事をさせられた事もあったけれど、どれも平均的で取り柄と呼べるものにはならなかった。
水泳や空手といったスポーツをやった事もあった。でも結局、取り柄らしい取り柄にはならず、全て3日も経たない内にやめる事になるのがオチだった。
唯一の救いは、僕よりも優秀な弟が居た事だと思う。僕と違ってなんでも出来て、愛想のいい弟。彼は、生まれて直ぐに両親の興味を僕から自分に移してくれた。おかげで弟が出来て以降、僕は両親から取り柄がないと言われる事はなくなった。
僕に目もくれなくなった両親に、少し寂しさを覚えつつもホッと安堵した事は今もよく覚えている。もうこれで両親を失望させなくて済むのかと思うと、肩の荷が下りたような楽な気持ちになった。
次に両親とまともに話したのは、高校に通いだして3年目の春の事だった。高校卒業を目前とした僕に、両親は「大学にだけは行きなさい」と言った。
高校卒業後は就職を考えていたので、両親の言葉には驚かされた。でも「お金は出すから、大学にだけは行きなさい」世間の目を気にするように告げられたそれを断る理由は、僕にはなかった。両親の望む子にはなれなかったのだから、せめて大学にだけは両親が望むように行こうと思ったのだ。
きっとそれが、彼らの子供として生まれた僕ができる、最後のことだろうと、そう思ったから。
合格通知を握ったまま電話をかけた不動産屋に紹介されたのは、とあるアパートの1室だった。大学最寄りの駅から徒歩20分程の場所にあるアパートの1室。2階角部屋。隣人は最近引越したの事でいない。部屋の間取りは1Rしかなかったが、1人で暮らすには充分な広さだ。
駅から多少遠いという事で、家賃も相場より安く、僕は不動産屋に案内されると同時に即欠した。
大学入学、3日前。受験勉強の傍らで行っていた単発バイトで稼いだお金で買い揃えた家具と私物を持って、僕はアパートに越してきた。
家を出る時、両親は見送りに来なかったけど、弟が荷運びの手伝いを申し出てくれた。ありがたい申し出だったが断った。両親は弟が僕に構うのをあまり良く思っていなかった事を知っていたからである。
弟が僕に言った。「何かあったら帰ってきていいからね?」まるで僕が帰ってくるつもりがない事を知っているかのようだった。
そういう言葉はきっと、本当ならば年上の僕が言ってやるべき言葉なんじゃないだろうか。
そんな事を考えながら、「あぁ」だとか、「うん」だとか、曖昧な返事だけを残して、僕は弟に背を向けた。我ながら、なんて取り柄のない返事なんだろうな、と思った。
1人での暮らしは思っていたよりも孤独なものではなかった。誰もいない部屋で目覚め、誰もいない部屋で過ごし、誰の部屋で眠りにつく。ただそれだけの生活。
それが何かに似てると気づいたのは、暮らし始めて2日目のことで、それがなんであるかに気づいたのは3日目の夜のこと。両親や弟がいながらも、誰とも同じ時間を過ごせずに暮らしていた、あの家に居た頃の自分にそっくりだった。
大学が始まっても僕の生活は何も変わらなかった。大学には様々な人間が居たけれど、僕の周りには誰も居なかった。
講義室で、食堂で、渡り廊下で、中庭で、校門で。誰かと誰かが笑い合いながら過ごしていく光景を横目で見る度に、どうして皆、そんなに誰かと一緒に居る事ができるのだろうと思った。
広い大学内。見渡す限り人で溢れるこの場所でも、僕は孤独にしかなれなかった。
夜。誰もいない自分の部屋で、なぜ、僕はこんな人間なんだろう、と考えた。
なぜ僕は、皆のように、弟のように、両親のように、人と接する事が出来ないんだろう。何かひとつ、これが自分の取り柄だと誇れるものがあったら違ったのだろうか。
でも僕以外に誰もいない部屋では、僕の疑問に答えてくれる者はいない。いや、きっとこの先もずっと、僕の疑問に答えてくれる人はいないのだろう。
だって答えをくれる者が居るという事は、僕の傍に誰かが居てくれているという事だ。
それを孤独と、人は決して言わない筈なのだから。
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