第4話 うももももー
夕陽は榛名山を鮮やかに染めている。
幾週か過ぎると、井野家は長屋にすっかり馴染んでいた。華は近所の子ども達と、ままごとをして遊んでいた。
「ささ、たーんと召し上がれ」
華の作った泥団子を皿に見立てた石の上に置いた。
「結構なお味ですこと。ほほほほー」
子ども達は大人の真似をして笑った。
「腹減った♪腹減った♪」
草むらから篠を振り回して、子どもの3人組が現れた。中央の女子が、右と左に男子2人を引き連れている。女子は千恵といって、この辺りの子ども達を仕切っているといわれていた。
「お。うまそうな団子だねえ」
千恵は泥団子を見て、にやりと笑った。
「なんだこれ、団子にしちゃあ長っ細いぜ」
と右側の男子、茂はバカにするように言った。
お客役の智子は、
「ふふ、これはねえ、団子じゃなくてお寿司よ」
と鼻で笑った。
「おすし?」
左側の男子、徹は怪訝な顔をした。
「あ!お寿司知らないのう?そっか!見たことないんでしょう」」
もうひとりのお客役の久美子はからかうように言った。カチンときた千恵は、
「うっせーな!知ってらい!」
と言いながら、泥団子を踏みつけた。華は泣きそうになった。
「何すんのよ!」
智子は千恵を突き飛ばした。
「いってーなぁ!女のクセに生意気だぞ」
「あんただって女じゃない!」
子どもたちは睨み合いになった。
「何やってんだ、おめぇーら」
野太い大人の声がした。
「お父ちゃん!」
振り向くと光男がビニール袋をぶら下げて帰ってきた。
「やべー、華の父ちゃんだ」
「あの人は怖えぞ。定吉が言ってた」
「逃げろ!」
千恵たちは小声で一瞬のうちに相談すると、一目散に走り出した。
光男は逃げていく3人組を見ながら、
「おう華坊、帰ったぞ。…なんだ、あいつら?まぁいいや、華坊!今日はいいもんもってきたぞ」
と笑顔を向けた。
「なになに――?」
光男はビニール袋を持ち上げた。
「肉だよ肉!」
「お肉う!」
華の顔がパッと明るくなった。
「今日よ、所長がさ、売りもんにならねぇトコくれたんだよ」
台所にタライを置き、臓物を広げた。
「下処理しとくから、おまえは漬け込むタレ作ってくれよ」
「あいよ!精つけなきゃね、ニンニクたっぷり入れとくよ」
暫くすると、遙海が帰ってきた。
「ただいまー。ああ疲れた。今日は忙しかったー」
遙海は近所の人の紹介で団子屋の手伝いをしている。
「おお、遥海。遅かったな。団子屋の仕事慣れたか?」
「ええ。みんな、よくしてくれますよ。でも今日はいつもの倍は忙しかったです」
「繁盛してていいじゃねえか。腹減ったろう。メシにしようぜ。メシ」
光男はいつもより浮かれているようだった。
「あら、はるちゃん。お帰り。今日のご飯はお肉だよ」
皿に乗ったホルモンを見せた。
「ホルモン!!」
遥海は声を出して言った。
「はる姉ちゃん!はやく食べよーよー!」
華は遙海の手を引っ張って急かした。
七輪の中で炭は赤々と燃えている。ホルモンは脂を垂らしながら、チリチリと音を立てた。部屋は早々に白い煙に包まれた。
「そら華坊、焼けたぜ」
ご飯茶碗に放り込まれたホルモンは裸電球に照らされ、プリプリに輝いている。
咲子が味付けをした醤油とニンンクの香りは、より一層、食欲を掻き立てた。華は大きな口を空けて放り込んだ。
「うももももー」
口いっぱいに肉の旨味とパンチの効いたタレの味が広がる。
「華ちゃん、美味しい?」
遙海が聞くと、唇を脂でテラテラ光らせて何度も頷いた。
「私もいただきまーす」
遙海も頬張った。
「ん――美味しーーい」
久々のホルモンの味に興奮した。とろける食感と、何より咲子の作った合わせタレが鮮烈で美味しかった。
「お父ちゃん、肉うまい!お父ちゃんも食べな!」
華は箸でホルモンをつまんで、光男の口元に近付けた。光男は酒を一杯煽ると、ホルモンを口にした。
「おお!このタレ、うめぇな咲子。ニンニクが鼻から抜けるぞ!」
「お母ちゃん料理の天才!」
「おばさん、ホントに美味しいです!!」
三人は咲子のタレを絶賛した。
「これ、もっと漬けとけば、味が沁みて、もっとうまくなるよ」
咲子は割烹着で手を拭きながら言った。白い煙は、長屋中に漂っていった。
庭先の茂みから物音した。
「おい、押すなよ」
「声がでかいよ」
「なにあれ。なんか焼いてるぞ」
誰かが、ひそひそ話をしている。
台所にいた咲子は、その声に気が付き、恐る恐る外を見た。
すると、居間を覗く小さな頭が三つが見えた。
「そこにいるは誰だい!」
勢い良く窓を開けると、「わっ」と悲鳴を上げて、子どもが尻もちをついた。
千恵と徹と茂の悪ガキ3人組だった。
3人組は、ちゃぶ台を囲んで、行儀よく座らさせられた。そして、「うまい!うまい!」と言いながら、ホルモンをバクバク食べている。
「おめぇたち、こそこそしてねぇで堂々と入ってこい。うまそうな匂いに釣られて来ちゃいました!ってよ」
七輪で、ホルモンを焼きながら光男は3人を睨みつけた。子ども達は唇を脂で光らせながら、
「すみません、すみません」
と頭を下げた。しかし、箸は止まらない。ホルモンを食べ続けながら、謝っている。
「しょうがねえな」
光男は呆れて笑った。華と遥海も顔を見合わせて笑った。
「咲子、これもっとあるよな」
「おかわりかい?ああ持ってくるよ」
「いやいや、そうじゃねぇ」
光男は箸をちゃぶ台に置き、胡坐をかいている足を叩いた。
「おう、みんなにも食わしてやろうぜ。なあ、こんなうめぇもん独り占めすることぁねぇ」
「そうだね!ご近所さんに配ってくるよ」
「わたしも行く!」
華はホルモンをひとつ食べ、ふたつ食べながら言った。
「おめぇは喰ってていいぞ…」
「しししし」
華は悪戯っ子のように肩をすぼめて笑った。
丸い月は白く輝いている。
長屋では、七輪を囲んでの宴が恒例となっていた。
「ありがたいねぇ、毎回、こんなうめぇもん食わせてもらって」
「いやぁ井野さん、うまいよ。この肉、普段捨ててるんだって?」
住人は焼けたホルモンを箸で突きながら聞いた。
「ああ、売りもんにならねぇ臓物よ。所長がくれるんだ」
と、七輪の炎をウチワで仰いぎながら答えた。
「けど、こんなうまいもん、タダじゃ、もったいねぇやね」
「おお、そうだ。井野さん、こいつで商売してみちゃどうだい?」
「商売?ホルモンでかい?」
光男は焦げそうなホルモンをひっくり返して言った。ナムルをちゃぶ台に置いた咲子は話に加わってきた。
「そうだねぇ。売り歩いてみようかね」
咲子がそう言うと、住人達はやんや、やんやの大喝采を浴びせた。
「そうしなよ!そらいいぜ」
「俺っちも手伝うよ」
「うま過ぎて、みんな、たまげるだろうな」
「おお、知り合いに紹介するよ!うめぇもん食わせてやるってな」
各々が口々に言い、夜は賑やかに更けていった。
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