第2話 タイムスリップ!?嘘でしょ

 木造の駅舎には「高崎駅」と書かれている。駅沿いの線路側を親子3人が歩いていた。先頭の父親らしき男は、雪駄履きで皮のコートを羽織り、肩で風を切って歩いている。母親は行商のように大きな風呂敷包みを背負っていた。


「ねぇ、お父ちゃん。ここはどこ?どこ行くの?名古屋のお家に帰るんじゃないの?」


 小学校低学年であろう娘は父親を咎めるように聞いた。父親の光男は足を止め、振り返った。


「おう華坊。いっぺんに色々と聞くねぇ」

 

 そのあとにパンと両手ではたいてから


「よっしゃ、全部答えたるわ」


 と華と呼んだ娘に目線を合わせた。


「実はな、華坊。北海道でニシンで失敗しちまった。金目のもんは売ってきた。それでも名古屋までの汽車賃が足りん。汽車賃はここまでだ。そんで、ここは群馬県は高崎市。どうだ、わかったか」


 光男は小気味良く、一息で言った。

 華はぽかんと口を空けた。が、すぐに事の重大さに気が付いて目をむいた。


「えーー帰れないのーー!?」

「そうともよ、金が無ければ帰れんわな」

 

 光男は、かかかと高らかに笑った。


「ちょいとアンタ、笑いごとじゃないよ!わたしは群馬なんて初めて来たよ!こんな見知らぬ土地でどうやって、生きていくんだい!」

 

 母親の咲子は血相を変えて怒鳴った。光男はそれも介さず笑っている。


「なあに大丈夫よ。俺にゃあ神通力があるんだ。何とかならぁ」

「何が神通力だい。だったらニシンで大損なんてしやしないよ!」


 咲子は光男の肩を強めに叩いた。

 その横で、急に不安になった華は泣きだした。


「えーん、お母ちゃん、お腹すいたよーー」

「華坊、メシはちょっと待ってろな、お父ちゃん、ちょいと用事があるんだ」

 

 光男は、慌てて角にあった交番を指差した。


「こ、交番??ちょ、ちょっとアンタ!警察に御厄介になるようなことしたのかい!」

「してねぇよ!道聞くだけだ!悪さしたんなら逃げ回るだろうよ」

「あ、ああ。そうだよね…」

 

 咲子と華は、意気揚々と勇み歩いていく光男の背中を見送った。


 

 交番から戻ってくると光男は手帳を見ながら、見知らぬ町を突き進んでいった。咲子と華も後を追って、早歩きになった。


「ねぇお父ちゃん。どこに行くのー。お腹空いたよー」

 

 たまらず華は、光男のコートを引っ張った。


「そうだよ。突然、高崎で降りるってどういうことだよ!どこに行くんだい」

 

 咲子も不満を口にした。


「ああ、ちょいと人を探してんだ」

「え!ホントかい!それを早くお言いよ。その人に会えば何とかなるんだね!」

 

 咲子は、ほっと胸を撫でおろした。知り合いでもいれば、汽車賃くらい工面できるかも知れない。


「お。こいつはひと雨来やがるか」

 

 光男は空を見上げて呟いた。遠くで雷が鳴っている。


「お父ちゃん怖い」

 

 華は耳を塞いで怯えた。


「よおし、俺の神通力で雷なんざ吹き飛ばしてやる!」


 天を仰いで両手を大きく広げた。

 

 その瞬間、閃光とともに爆音が鳴り響いた。


「ひゃあ!」

 

 地響きが起きた。どうやら近くに雷が落ちたらしい。雷鳴と共に大粒の雨が降り出した。


「ちょいとアンタ何してるんだい!」

「お父ちゃんのバカ―!」

「お、俺のせいかー!?」


 親子三人は、慌てて軒下に向かって走り出した。


 

 夕立は、嘘泣きのようにケロッと上がった。雨上がりの町は、陽の光を浴びて輝いて見える。光男達は再び歩き出した。


「いやぁすぐ止んでよかったな」

「本当だねぇ。この辺りは雷が多いのかねぇ」


 路地を抜けると、中華料理と書かれた暖簾がはためいていた。店先からラーメンのいい匂いが、道に漂ってきた。


「お母ちゃん、お腹すいたー」


 華の腹の虫が、また鳴き出したようだ。


「アンタ…お腹空いたねぇ」

「ああ、腹減ったなぁ…」

 

 光男と咲子も昨日から何も食べていない。しかし、お金がない。仕方ないの

は承知だから、そのまま通り過ぎようとした。すると、怒鳴り声が聞こえて来た。


「だから!こんなおもちゃのお金じゃダメだよ!」


 暖簾の向こう側で、店主と若い女が言い争いをしているようだった。


「ラーメンが35円で餃子が40円って書いてあるでしょ!500円で足りるじゃないですか!これ500円玉ですよ!よく見てください!」


 若い女は壁に貼り出されたメニューを指さしながら大きな声を出していた。確かに壁には中華そば35円、餃子40円、他にもビール大180円、特級酒140円と書いてる。


「もう何回言わせるか!この世に500円玉なんでないよ!もういいよ!警察来てもらう!」


 店主は呆れて、奥にいた妻に交番に行くよう促した。


「おいおい、どうしたい。若い娘さん相手に穏やかじゃねぇな」


 光男は暖簾をかき分けて、店の中へ入って行った。


「あ〜あ、あの人の世話好きがまた始まったよ」


 咲子は手を額につけ、天を仰いだ。華は鼻をクンクンさせて店の匂いを嗅いでいる。


「なんだ、アンタ!」

 

 店主は唇を尖らせた。


「通りすがりの者だけどさ、何があったんだい。話してみなよ」


 光男は諭すように言った。


「この女、さっきからおもちゃの金出して喚くんだよ!なんだよ500円玉って!」

「ちょっとお!何度も言ってますど、アタシ、ちゃんと払うって言ってるんですよ。500円玉で払うって言ってるのに、おじさんが受け取ってくれないじゃないでか!」


 若い女は店主に喰ってかかり、


「何よ!昭和レトロで値段も超安くて、いい店だと思ったのに…」


 と毒突いた。


「ちょいとアンタ。あんまり関わんないほうがいいんじゃない?この娘さん変わってるよ。500円玉ってなんだい」

 

 咲子は光男に駆け寄って、耳元でささやいた。光男は首を傾けて、若い女の顔を覗き込んだ。


「な、なんですか…」

 

 女は光男の眼差しにたじろいだ。


「ふーん…よしわかった!」

 

 光男は振り返り、店主にむかって


「75円だな。俺が払ってやるよ」

 

 と首からぶら下げていた御守りから綺麗に畳まれた100円札を取り出した。


「ちょっとアンタ、お金持ってたの?」

 

 咲子は目を丸くしている。


「ああ、今思い出してな。とっておきの金だが仕方ねぇ。この子が嘘ついてるとは思えねぇ、可哀そうなこの子を助けてやろうじゃねぇか」

 

 と100円札を店主に渡した。


「オヤジ。これで文句はねぇな」

「へ、へえ…、まあ、そりゃあいいけど…」

 

 店主は今まで怒っていた分、苦笑いを浮かべてカウンターの奥へ入っていった。


「え?え?100円札??」

 

 若い女は100円札を見て、目を白黒させている。


「じゃあ姉さん、気を付けて帰るんだぞ」

 

 そう言って、暖簾をかき分け、店を出て行った。


「お父ちゃん、食べて行かないの?ねえ食べないの?」

 

 華は懸命に食い下がるも、咲子に手を引かれて出て行った。


「もうちょっと我慢しようね」

 

 咲子は、ぐずりそうな顔の華の頭を撫でた。そんな二人を気にも留めずに、光男は手帳を見ながら、歩き出した。


「ほら、早くおいで」


 むくれ顔の華は歩く速度は遅くなっていた。


「あの!待ってください」


 と中華料理屋から若い女が追いかけてきた。


「これ!お釣りです」

「お、忘れてたぜ。慣れねえことするもんじゃねぇな」


 光男は振り向き様に照れ臭そうに笑った。お釣りの25円を手渡された。


「あの、私、美濃遥海っていいます。えっと…それから、い、今って何年ですか!?」


 と、興奮気味に訊ねた。


「なんだよ、薮から棒に…」


 光男は困惑した。


「本当にアンタ、大丈夫かい?今年は昭和33年だよ」

 

 横から咲子が心配そうに答えてあげた。


「しょ、昭和33年!?」

 

 遙海は目をむいて驚いた。しかし、瞬間的に思考がまとまった。

 見慣れないレトロな街並、激安のメニュー、100円札のこと、親子の身なり、今起きている全ての事を合わせると、一つの答えが出た。


「タ、タイムスリップ!?」

 

 と思わず大きな声を出した。親子は遙海の声に驚いた。


「アタシ、あの!令和から来たんです!令和っていうのは今から、えっと、ずっと未来で…」

「れいわだって?なんだい、この子は。病気なのかい?家の人も心配してるだろうから早くお帰りよ」

 

 咲子は哀れみの表情になった。


「び、病気じゃありません!ホントに未来から!」

「うんうん、わかった。じゃ!そういことで!」


 お人好しの光男も呆れ顔になって、親子三人歩き出した。


「し、信じてもらえないよね…未来から来たなんて…。スマホも通じないし…どうしよう…わ、私も信じられない…」


 遙海は呆然と立ち尽くした。


「あ、そうだ!」

 

 思い立った遥海は親子をまた追った。


「ちょっと待ってください!」

 

 親子は立ち止まった。


「まだ何かあるのかい」

 

 咲子の言葉には少し怒気が滲んでいる。


「さっきのお礼、ラーメンと餃子、すみませんでした。あの、これ…」。


 遙海は頭を下げ、腕時計を外し光男に渡した。


「おいおい、いいのかい?随分立派な時計だぜ」

 

 光男は腕時計をかざして言った。入社祝いで買ったイタリア製の時計だった。


「はい!さっきのお礼です。お金も使えないし、何もないから…」

「あら!舶来もんだねぇ。あんた一体何者だよ。服装も変わってるけど、よく見りゃ上等な生地だしね。いいとこのお嬢さんなのかい」


 咲子は、さっきまでの態度をコロリと変えてニコニコしている。


「しかし、ラーメンと餃子で、こんな立派な時計じゃ割に合わねぇぜ」

「この子がいいって言ってんだからいいんだよ」


 訝し気な光男を咲子はせっついた。


「よし、姉さん。それじゃあ、家まで送ってやるよ。家はどこだい?」

 

 光男はせめて家まで送ることにした。しかし、遥海は、そう言われた途端、泣きそうな顔になった。


「…それがわからないんです。というか、この世界に帰る場所はありません…。会社に雷が落ちたのは覚えてるんです。でも気が付いたらここにて…」

「雷?さっきのかい」

 

 咲子は光男と顔を見合わせた。


「雷?あーお父ちゃんのせいだ!神通力のせいだ!」

 

 華は光男を指さした。


「え?神通力…?何ですか、それ?」

 

 遙海は親子の顔を順番に見た。


「ま、まぁ旅は道連れって言うしな。思い出すまで一緒に来るか?これも何かの縁だしよ。へへへ」

 

 どうやら光男は、自分のチカラで、遙海に雷が落ちたと思ってしまったようだ。


 遙海は誘われるまま、道中を親子と共にすることにした。親子は知り合いを探していると言った。行く当てもないし、一人でいるよりも誰かと一緒に居たかった。


 やがて、入り組んだ路地を行くと、お世辞にも綺麗とは言えない長屋に辿り着いた。井戸端会議をしていた住人たちは、見かけない客人に好奇な視線を送っている。

光男はお構いなしに住人の輪へ入って行った。

 

 二言三言、住人と言葉を交わすと、咲子たちに手招きをした。


「おい、やっと見つけたぜ」

 

 光男の目が光るのを遥海は見逃さなかった。


 貧乏長屋には洗濯物がはためている。光雄は、一番奥の家の前に立った。

徐に戸を叩くと、少々大きな声で名前を呼んだ。


「こんにちはあ、定吉さんおりますかね」

 

 返事はない。構わず続けて戸を叩く。


「すみませーん」


 暫くすると家の中から、


「おう、いるよ。いるから、ちょっと待ちな」

 

 と迷惑そうな声が聞こえてきた。それでも止まない戸を叩く音に、


「わかったって言ってんだろ、何だよ、うるせぇな」

 

 と勢いよく戸が開いた。痩せた下着姿の若い男が現れた。寝ていたのか寝癖がついている。


「さっきから、居るって言ってんだろうが!」

 

 若い男は凄んでみせたが、光男は微動だにしなかった。

 むしろ、ひるんだのは若い男のほうだった。


「い、い、い、井野さぁーーん!!」

 

 若い男は光雄の顔を見るなり、名を叫びながら後ずさりをはじめた。


「探したぜ、定!よくも、てめぇ一銭の足しにもならねぇクズ権利売りつけやがったな」

 

 若い男の胸ぐらを掴み、外へ引きずり出した。


「北海道に行ってから、人使っておめぇの事、ずっと探していたんだ」

 

 シャツの胸倉を掴んだ、光男の腕に力が入る。


「違う!違う!違うんだ!俺も、俺も、騙されたんだ!」

 

 定吉は、腰を抜かしそうになりながら、光男にすがりついた。





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