第18話 窓の外にはメカゴジラの炎 

 週一度の書道クラスを私は楽しみにしていた。

 この数カ月間、臨時の特別講師が授業を行っていた。

 講師は男だったが、音楽者であった。

 全く有名ではない彼の実験音楽作品を私はインターネットでたまたま見つけて一人好んで聴いていた。

 書道講師として彼がこの学校にやってくるずっと前から私はその音楽を聴き続けていた。

 彼は講師としての資質はよく分からないが、生活のために不定期で講師業をしているようだった。

 私はネットからの印象で、彼はまだ若い男性なのだろうと勝手に想像していたが、実際は四十代も半ばを過ぎているようであった。

 音楽は東洋的な静けさと不気味な絢爛さに満ちていた。

 彼は劇団やファッションショーへの楽曲提供を長く続けているようだった。

 私は彼が作る音楽のマニアだった。私は当時高校生だったので、正直に自分の気持ちを伝えるということはできなかった。

 彼は自分が音楽制作を行ってることなどおくびにも出さず、また授業は乱暴というか、投げやりなところもあったので、彼が作る神秘的とすら云える音楽と、その人物像とはひどくかけ離れていた。


 彼は男子生徒らと肩を叩き合ったりするような、男っぽいような人物だった。

 私はクラスでも目立たず、離れて様子を眺めているような駄目な生徒だったので、男同士のふざけ合いなどは最も苦手な類だった。

 講師の音楽者としての活動名は東洋思想の一端から採ったらしい名前だった。


 あるとき、校内で書道の段級認定証が配られたことがあった。

 コピー用紙に印刷されたものであるが、私は密かに尊敬している人物から配られる認定書なるものが、意味もなく重要そうな気がした。

 男子生徒がまた配布物を奪い合ったりして悪ふざけをしている。

 講師も注意をせず、生徒らのやりたいようにやらせているので、私もその騒ぎに加わってみたい気もした。(が、もちろんできなかった。)


 認定証はそのとき私も貰えるはずだった。クラスの全員ではないが、ある段階に達した者は、そのコピー認定証を授与される資格があるのだ。

 幾人かの男子生徒は机の中に放り込み、そのまま仕舞いっ放しのようだった。

 講師は私の分が足りないことを気づいていないようだった。

 

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 私が彼の音楽ファンであることを知っている生徒が教室に一人だけいた。

 彼はサッカー部員だったが、なぜか私と気が合った。

 彼は周囲の目を気にしながら、実は自分はクラシック音楽が好きなのだと教えてくれたことがある。胸ポケットのイヤホンから協奏曲らしい音楽を聴かせてくれた。

 彼は東雲という名だった。

 彼は私が書道の認定証を貰っていないことを気づいているようだった。

 授業の後、私は昼休みに職員室へ行こうとしていた。

 東雲は短髪の男っぽい人物だったが、私のことが気になったのか、一緒についてきてくれると言う。


 職員室には先客がいた。書道講師がミュージシャンでもあると知った女子生徒たちのようだった。

 三人組の彼女らの中には、私の苦手な女子生徒がいた。

 皇室の妃と同じ名前の彼女は、男子生徒だけでなく女子たちからも嫌われているようだった。丸々と太った彼女はいとも容易く平然と嘘をついてしまうのであった。

 私は東雲と一緒に職員室の隅で待った。彼女たちの話が済んだら、認定証の件を講師に話そう。

 自らを「肉子」と自称する彼女は、小さい点のような目でこちらを見遣った。

 私は素知らぬふりをするように窓の外を見た。

 

 窓の外にはどういうことかメカゴジラが周囲の街々を破壊する景色が映っている。

 あれは映画の撮影なのだろうか。横浜港で映画の撮影でもあるのだろうか。

 メタリックな銀色に光る巨躯ゴジラが炎をコンテナや貨物船に向けて放射している。

 これは実写なのだろうか。

 私は窓の外を指差し、書道講師の元へふらふらと歩いて行ってしまった。

「あれ、何なんですかね」と言おうとしたが、周囲は別に奇異とも思っていないらしい。

 CGの投影撮影のようなものなのだろうか。白昼に迫力のある映像だ。まるで本物のようだ。

 

 私はサングラス姿の講師に緊張した。近くで見ると、私よりも背は低く、随分弱々しく見える。

 私が尊敬し続けている彼も、歳を取っているのだと思った。


 彼は機嫌がそのとき悪かったのかもしれない。

「近頃の高校生たちときたら」などと説教のようなことを話し始める。

 私は男なので化粧などはしないが、彼は私の頬が赤いとか何か文句を言っている。


 私は彼の作る音楽が好きなのであって、彼自身を好きなのではない、と思おうとした。肉子たち女子三人がどこかで様子を見ているかもしれない。

 私は講師の暴言じみた態度がショックで顔色を失い、言葉もうまく出てこなかった。

 隣にいた東雲が講師に説明してくれた。

 こいつの認定証がさっき足りなかったんです、どこかに紛れているかもしれないので、探してください、と。

 私は講師に辛く当たられたことで暫し茫然としていた。私はちょっとした衝撃や動揺で今にも涙がこぼれ落ちないか気になっていた。

 東雲から話を聞いた講師は、私たちの目の前で慌ててプリント認定証を探し始めた。

 本の束を持ち上げ、ファイルをめくり、机の中を探し回っている。

 以前から私がずっとその音楽を聴き続けていた当の作者が、白髪交じりの頭で、腰を屈め、私の認定証の在り処を必死に探っている。私は立ったままその姿を見た。

 講師があまりにも懸命に探し始めるので、私は身動きできず、そこにしばらく突っ立っていた。


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