第17話 青白い月の光

 迷路のようになった場所に絵や冊子が飾られている。中学生たちが美術の授業で作ったものらしい。

 私は数人のグループでその場を案内されていた。

 新築の美術館で、天井は高く空調や照明などの設備も最新のようだった。

 外は猛暑であり、調子に乗った私は上着を脱いで上半身裸で歩いていた。

 一緒に歩いていたグループに、ずっと昔、高校のときに部活で一緒だった知人がいた。

 彼女は美術部で日本画を描いていた。

 今は独立して夫婦でデザイン会社をやっているらしい。

 十数年ぶりに会うが、表情や明るい態度は以前とあまり変わりない気がする。

 積もる話はあるが、今は見学を続けねばならない。

 中学生たちが作ったという大型本コーナーがあった。新聞サイズのモノクロ大型冊子が手作りの按配で配置されている。

 生徒たちは物珍しいのか、大人たちが自分らの創作物を見て回るのを、展示室の陰から覗いていたりする。異様な半裸体の男がいるのを面白がっていたのかもしれない。

 久しぶりに会った元美術部の今井女史を私は気にした。お笑い芸人のように半身裸で歩いているのが気まずくなってくる。上着を車に置いてきてしまった。

 空調の効いた涼しい展示室で服を着ていない私は、他の見学者の方々から危険人物もしくは狂人と思われていたかもしれない。

 壁に飾られた手作りモノクロ大型本を私は見てみたかった。

 今井さんもやはり、そのマンガイラスト風の物もある大型冊子を手に取って見てみたいようだった。

 これは美術品として展示されているのだろうか、それとも手に取って中を見ていいものだろうか。

 上方に飾られた冊子が私は気になっていた。あの作品集はなぜか惹かれる。今井さんも、もしかして同じあの生徒の冊子を見たいのだろうか。

 私は手を伸ばして冊子を取った。上半身裸の男が高い場所に手を伸ばすと、まるで猿が高所のバナナを掴もうとするように見えるかもしれない。

 展示冊子には、店頭マンガ雑誌のような透明ビニールが祝儀袋の帯状に巻かれている。

 半裸体の大猿はビニール帯をずらし、コンビニ雑誌の立ち読みよろしく中を見た。

 今井さんたちは既に他の展示室へ行ってしまったようだ。

 私はビニール帯を直し、冊子を元の場所に置いた。

 裸でいることが急に恥ずかしくなり、私は早く服を取りにいかないとなと思った。


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 私たちは旅館とは名ばかりの民宿のような場所にいた。

 山の中腹にある建物からは遠い山々や近くの川など、見晴らしの良い景色が見えた。

 今日はここで休むらしい。

 私たちは幾つかのグループに分かれて地方の美術館などを見て回る、気安い、休暇だか業務だか分からないような仕事をしていた。

 業界の交流を深め親睦を図る、のが一応のお題目らしい。予算がどうの、余ったんだよ、などと誰かが言っていたが、数日、地方都市に行くのは悪くない気がした。


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 夜は大部屋で雑魚寝のようであった。お金が余っている、などというのは間違いのようだ。布団は人数分敷かれているが、全員ここで寝てしまっても良いものなのだろうか。

 今井さんは子供もいるので今日は泊まらずに帰るものだと思っていた。

 ほろ酔い加減の、いい大人たちは歩き疲れたせいもあるのか、すっかり酩酊して眠ってしまったようだった。

 青白い月の光が部屋を照らしていた。

 川の流れる音が聞こえる。

 動物たちが暗い森で活動を開始している頃かもしれない。


 私は夜中に目が醒めた。酒を飲むとおかしな時間に目が冴えてしまうことがある。


 私の隣には同僚の知人が寝ていた。彼は外見は男だが、精神は乙女の人だった。その向こうに今井女史が寝ていた。その先は襖だった。


 私は手の中になぜか千枚通しのような物を持っているのに気づいた。

 いつの間にこんな物を寝床で持っているのだろう。


 私は今井さんの方を見た。隣の乙女男子は掛布団をはがし、大の字で寝ている。

 今井女史は寝ぼけているのか、隣の人が旦那か子供かと思い違いをしたのか、自身の掛布団を彼に半分掛けようとした。

 私は千枚通しを持ったまま、それをどうしようかと考えていた。

 今井さんが乙女男子に布団を掛けるところを見た。

 月光は部屋を照らしている。


 しばらくして彼女の方からすすり泣くような声が聞こえてくる。

 隣の男が自分の夫ではないと気づいたのか、それとも夢の中で何かを思い出して泣いているのか、分からない。

 胸に突き刺さるような声だった。

 青白い月明かりの部屋で、泣き声はしばらくして止んだ。乙女男から彼女の布団は引き戻され、何も知らぬ乙女男はまた元のまま敷布団に横たわって安眠している。私は手の中にある千枚通しの切先を、なぜかまだ、不安を抑えるかのように細々と撫でていた。

 雲のない月明かりは一層明るく冴えていた。


 もし彼女が私の隣にいたらどうなっていただろうか。無事故では済まなかったかもしれない。私と彼女の間に、出口王仁三郎のいう変性女子(男子の体に女子の心が宿った者)がいて救われたような、だが、心残りだったような気もする。

 

 彼女が泣き止んだ後、私もしばらくしてまた眠った。


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 彼女とは高校のときに何度か一緒に遊びに出掛けたことがあった。

 手をつないだだけで他に何もなかったが、彼女は私の初めての、恋人のような女性であった。

 そんなことなどすっかり彼女は忘れているかもしれない。


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 翌朝、天気も良く、窓からはまた新鮮な山々の景色が見えた。


 数人の女性たちはさすがに身支度や着替えは襖の向こうで行っていた。

 

 朝食後、部屋に戻った私は今井女史に話し掛けた。

 子供は小学何年生だっけ、と私は言ったつもりだった。

 渓流の音で聞こえ辛かったのか、『小学1年生』のような雑誌を、彼女の子供たちが読んでいるかどうか訊かれたと彼女は思ったらしい。

 彼女はうつむいて、自分の子供たちの読んでいるものについて少し話した。

 昨夜の出来事は本当にあったことなのだろうか。屈託ない彼女の姿を見ると、あれは私自身の夢か幻だったのではないかとも思えてくる。


 彼女は「……ってきれいだね」と言った。私はやはり渓流の音のせいか、彼女の言ったことを聞きとれなかった。

 聞き返そうかと思ったが、晴天の空を背に嬉しそうな彼女の笑顔を見ると、何となく言葉が出ずに聞き返しそびれてしまった。


 私は不意に彼女の身長を尋ねた。中学生になる私の息子と彼女とでは、背が同じくらいかなと思った。

 彼女は照れ隠しのように身長を言った。思っていたよりずっと小柄だった。

 窓が広く空の水色が明るい民宿の大部屋で彼女は私を見上げ、どこか少女マンガ人物風に私の身長を尋ねた。

 私が伝えると、彼女はその差を頭で計算してるようだった。私も暗算した。



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