第13話 女兵士の指先

 これからグラウンドでは球技が行われるようだった。一緒にやろうと誘われたが気乗りがしない。この場所から早く立ち去りたい。

 昔付き合っていた女性を見かけた。彼女は素知らぬふりをしているが、こちらに気付いている気もする。何年も会ってないが、以前にも増して品格が漂っている。一緒にいる知人たちは彼女のことは知らない。

 顔を合わせたくなかった。これから始めるらしいドッジボールにしても早々に球に当たって外野に逃れたい。

 澄ましたような彼女は、私の知らない女性と二人でコート近くにいた。

 知人たちを急かし、私は逃げるようにその場を離れた。


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 これが彼らの普段通りなのか、沈黙が続く車の中で、私は知人たちに唐突に質問をした。音楽サブスクリプションサービスは何を使っているか、どんな音楽を最近聴いているか、などと。

 車内の誰からも返事がない。

 興味がないのか、答えたくないのだろうか。六人で車に乗っていた。

 私は一人で喋った。

「配信で、ラジオとか選択すれば延々と音楽聴けるよね。どんな音楽かなんて、ジャンルや曲名とか分かんないことも、あるよね。」

 車の中はやはり誰も何も言わない。

 知人らは五人の仲良しグループであり、私よりも年下の青年たちだった。

 私は答えが出てくるであろう質問をしようとした。

「今まで聴いた中で一番好きな曲、記憶に残ってる歌とかってある?」俺はなぜこんな質問などしているのだろう。

 車内はやはり沈黙が続いた。しばらく後、隣のヒップホップ風青年が物憂げに答えた。

「芸人の、カンポーキムラが歌ってる、なんとかいうやつ」

 車はまた沈黙した。

 私はその芸人名は知っていたが、プロレスマニアという位しか知らず、歌を出しているとは知らない。

「どんな歌かなあ」と私はなぜか冷や汗をかきながら言った。

 ヒップホップ青年と私の数語以外、誰も何も言わない。

 車はどこへ向かうのか猛速で道路を突き進んでいるようだ。

 つまらなそうにヒップホップ青年は口先で歌い出した。

 有名な歌なのだろうか、私はそれがどんなジャンルの音楽なのか見当もつかない。コミックソングなのか、演歌なのか、もしかしたらロック調なのかもしれない。

 私は何とも言えず、黙っていた。


 前席から哄笑が響き、歌声は止んだ。後ろを振り向き冷笑を浮かべるのは小柄な野生児めいた青年である。

 バスケのユニフォーム姿の彼はしかし、笑うだけで何も言わない。

 ヒップホップ青年は笑われたことを気にしていないのか、歌い止めただけで、怒るような気配はない。ヒップホップの彼はとにかくつまらなそうだ。憂鬱なことでもあるのかもしれない。

 野生児のような彼は何に笑ったのか分からない。芸人の歌など、そもそも存在しないのかもしれない。

 存在するが、歌が下手だったのかもしれない。

 私は後部座席の真ん中で妙に気を回していた。


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 追跡物のカーアクションよろしく車は通行止めらしいフェンスに正面から突っ込んだ。

 一体これは何なのか、フェンスなど強行突破して良いのか。

 私は一抹の不安を覚えながら、「香港映画みたいだ」と言った。


 無言の車はスピードを上げ続けている。

 窓の外を見ると、ここはどこなのか、周囲は漢字と英字ばかりの明らかに外国の景色だ。日本語が全くない。

 次々と過ぎる窓から、インターナショナルスクールなのか青い制服を着たアジア風学生たちの姿が校舎や体育館に見えた。

 一体、どこを走っているのか、車はまたもや通行止めの柵を正面突破している。監視カメラがあるのではないか。こんな暴走をして逃げ切れるわけがない。

 ここはどこなのか、と車内の誰かに聞いて返答が来るとは思えなかった。

 運転席の男はジャバ・ザ・ハットのような大男であった。

 ここはもしや外国の租借地ではないか、学校も法律も、警察もすべてここら一帯は外国のものなのではないか。

 港の波止場付近で、ジャバ・ザ・ハット操る車はUターンした。

 目の前に修道服姿のシスターたちがいる。周囲の日は沈み、周囲のネオンは野卑に輝き始めていた。

 カーキ色の制服を着た女兵士たちが、修道女性らをライフルで小突きながら追い立てている。

 車はしばらく止まっていた。よそよそしい半透明のネオンがフロントガラスに映っている。

 目の前で尼僧たちが倒れた。と見ると後ろの女兵士らが銃を構えている。彼女らは修道院女性らに発砲した。

 学生のようにも見えるシスターは突っ伏し、眼鏡姿の老賢者のような尼僧は銃弾を浴びながらも両膝でかろうじてその場に立っている。

 指揮官のような老女の兵隊長が、短銃で老シスターを至近距離から撃ち抜いた。

 女兵士たちはナイフの汚れを拭くように、毎度の習慣のように信者たちを撃ち殺した。

 車から一部始終を見た私は言葉がない。監視カメラの通報が彼女ら兵士に届けば、私たち異民もすぐに殺されるかもしれない。

 若い女兵士たちはどうにもピクニックにでも行くような気軽さなのである。彼女たちが持つ武器、ライフルや機関銃などはいとも簡単に車を撃ち抜くだろう。

 私はパニックに近いような感情を押し殺した。

 殺傷後、若き女兵士らは談笑しながら歩いている。彼女らは、私たちの時間を止めるのに、引き金に触れたその指先に少し力を加えるだけでいいのだ。

 私は撃ち殺されるかもしれない。彼女らの視界から隠れようと、私は座席から体を滑らせ、ずり落ちようとした。


 どこをどう逃げたのか分からないが、私は暗い坂を歩いていた。女兵士らから離れることができたようだった。私は一人で歩いていた。ありふれた車のことなど兵士たちは気にも留めていなかったのかもしれない。

 貧困街のようであった。租借地のスラム街なのか、反日活動が行われているのか、炎の描かれた恐ろしい看板や、強迫的な巨大文字が至るところに目に付く。

 ここにいては危ないと、私はやけに暗い坂を上った。反日組織のメンバーなのか、それとも物乞いなのか、数人が私を追い掛けてきたが、もうじき振り切れそうだ。

 恨めしそうな男が一人、執拗に私にまだ付きまとっている。

 彼が小声で何かを言っているのか、それとも何も言っていないのか、私には分からない。坂の中腹から見下ろすネオンの街はまるでおぞましい炎に包まれているかのようにも見える。

 私についてくる男は腹を空かせているようだった。

 赤と黒の寂れたモノクロ印刷のような坂を、疲れ切った私は歩いていた。肉屋の看板が目に入った。吊られた赤い巨肉がどす黒い棒に揺れていた。


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