第10話 星に輪ゴムを撃つ
インターンのような形で私はその職場に数カ月ほど、期間限定で働かせてもらっていました。
知り合いが勤めている会社で、マンガ雑誌や旅行ガイドを主に出版していました。私は当時まだ大学生でしたので、雑用や簡単な校正の手伝いをするくらいの立場でした。
時間のあるときなど、本棚の整理をしてほしいと頼まれたので、私は好きな本の背表紙を見ながら悠々と、仕事のようには思えない時間を過ごしていました。
片付けていると、会社の本棚には実に様々な物が置かれていました。本だけではなく、郷愁を誘う箱入りのVHSテープも置かれています。『にっかつ邦画傑作選』というセット物のようですが、色褪せた時代物のケースには別の、ドキュメンタリー映画が入っていたりします。
その作業には、無視され軽視されがちな近過去の遺物を掘り起こすような楽しみがありました。
絶版書籍であり、マンガ図書館で陳列されていても不思議ではないような希少本も見つけました。
既に故人となった漫画家たちへのインタビューが掲載された昭和期の週刊誌なども特別に時間を掛けて整理しておきました。
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そのように比較的自由に出版編集部で時間を過ごしているとき、本棚に、私が持っているのと同じCDを見つけました。CDが並んだ棚もあるのです。
エディ・ブリケルという女性シンガーのバンドがアメリカにあり、私はそのデビューアルバムを以前から長いこと愛聴していました。
ジャケットは彼女が描いたアメリカンな猫イラストです。
長く聴き続け、友人らにも貸した私のCDはケースの隅が少し割れているのです。私の持っている物と同じ物が、なぜか目の前の棚にある。
これはどういうことでしょうか。よく見ると、棚に並んだCDの一角はどうやらすべて私の持っているものと同一なのです。
長らく目にしていなかった物もあり驚きましたが、なぜ私の物がこんな所にあるのでしょう。
職場を紹介してくれた知人に、これらCDをすべて貸していたのでしょうか。知人がそれらを職場の棚に置いているのでしょうか。そんなことはあるわけがない気がします。
でも、CDケースの傷や、手触り、繰り返し見たブックレット、収納時に挟まってジャケットに付いてしまった半円型の爪跡など、どう見ても記憶の中のアルバムと同じなのです。
私はそのことを知人に確認しようと思い、これだけは私の物に間違いない、というケースの割れた、エディ・ブリケル&ニュー・ボヘミアンズ『星に輪ゴムを』というアルバムを別の場所に置いておきました。
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その日の夕方、営業部の高木さんが大声で何か怒号のような声を上げていました。
「500円だったのに450円にされちまったよ」と何の話なのかは分かりませんが、本気で悔しがっています。帰社して間もない高木さんは、少し疲れたようなスーツ姿で、周囲にアピールするように声を荒げている。
当初の約束と違う、一体どういうことなんだ、と憤懣やるかたないという姿です。
私はその頃、職場の知人らと一緒に定時で帰宅していました。
営業部の高木さんは「売り上げが悪いのは編集部がゆとりを持ちすぎているのではないか、そんな余裕など一体どこにあるのか」といったことも口にし始めていました。
私は、自身がある程度気ままに職場で過ごせている身分であることが苦しかった。
高木さんは暗に私のことを批判していたのかもしれない。
学生の私は不安げな暗いような顔で知人の顔を窺っていたと思います。
これは定時で帰れませんよね、帰らないほうがいいですよね、と私は目で彼らに訴え掛けました。
高木氏のことなど気にしてもいない風の編集部員たちは「いいの、気にしないで」「いつものことだから」とさっさと帰り支度を始めています。
私は高木さんに怒鳴られるのではないかと思った。自負のある編集部員たちは定時で帰るスタイルを貫いているのです。
私も恐る恐る怯えながら、カバンのあるロッカーを開けました。彼らと一緒にここから今、離れないとどうなるか分からない。
私は高木さんの方を見ないようにして、職場を出ました。不安と後ろめたさで、知人にCDのことを確認するのをすっかり忘れていました。
あのアルバムは私の物だったのでしょうか、それとも偶然、同じ物があの場所にあったのでしょうか。編集部の誰かに確認することもなく、しばらくして私はそこを離れました。
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サブスクリプションとやらでCDもなく、好きな音楽を聴き放題のこの頃ですが、私は自身のスマホでエディ・ブリケルのイラストジャケットを見る度に、あの出版社の本棚を思い出します。
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