第9話 庭には死体が埋められている

 これから庭に巨大な穴を掘るということだった。アメリカ風の広々とした戸建て住宅街である。穴を掘る理由は分からないが直方体状に地面を掘り返すらしい。 


 日曜の昼下がり、その家の娘キャシー嬢はスコップを手に、デニムのオーバーオールという定型イメージ通りの健康的な出で立ちである。


 隣人の日本人上原もスコップを持っていたが、これ以上更に掘り進められては困るのである。


 ここには死体が埋められている。


 アメリカ人の彼らが越してくるずっと以前に、上原はこの場所に何かを埋めた。


 彼は夢遊病者であった。


 夢だったのか。記憶がおぼろではっきりと思い出せない。元々住んでいた家族、その父親をいつか上原は朦朧とした意識でこの場に埋めたような気がする。


 あれは何かで見た映画だったのか、映像を自身の記憶と取り違えているのか。それともやはり夢だったのか。隔靴掻痒の思いであったが、誰かに「自分が死体を埋めたかどうか」などと聞くわけにもいかない。隣家にはかつて黒人一家が暮らしていた。今暮らしているのは、元の住人とは別の黒人家族だった。


 小型重機を操る男が庭を掘り返していく。土色のパウンドケーキ型空間は次第に深さを増していく。


 布に包まれた巨大鮭のような物体が土の中に見える。やはりここには死体が埋まっている。夢や映像などではなかった。


 黒縁メガネを掛けた三つ編みのキャシー嬢は、隣人上原の協力を気持ちよく受け入れている。作業が終わったら紅茶をどうぞなどと言われていた。


 人間のような姿の巨大な新巻鮭が重機のシャベルに触れて揺れている。キャシー嬢がその存在に気付かないようにと上原は願った。


 埋まっているのは彼女の父なのではないかと突然上原は思った。何の確証もないが、曖昧な記憶と、発覚寸前の焦りで奇妙な合点をした。きっとそうに違いない。


 キャシー嬢は何も知らず笑顔で上原の方を向いている。彼女が今に後ろを向けば、大きな異変に気付くだろう。


 鮭のようなビニールシートは土中で真黒に汚れていた。


 上原は観念するが、どのように白を切るかなど考えることもできない。果たしてこれは自分が埋めたのであろうか、何かの記憶違いの気もするが、異変物がこの場所にあることは、奇妙な不安の前触れのようになぜだか分かった。


 シートが芋虫のように蠢いている。生きているのか。


 上原は後ずさりし、早くこの場から離れようと思う。すると掘り返された土中で、アメリカ開拓時代風の屈強な男である隣家主人は、どういうことか、かつての姿のまま、呆然と地面に立ちすくんでいる。


 何かの間違いなのではないか、こんなことがあるわけがないと上原は思う。自分は夢を見ている。死体を埋めたのも夢、この景色もまた幻のようなものなのではないか。


 キャシー嬢はまだ後ろを向かない。上原はじりじりと後ずさりする。穴の中にいる人物を彼女が目の当たりにする瞬間を彼は見たくない。彼女の背後で照り続ける強烈な太陽で逆光の中、その表情はよく判らない。早く離れないと。おれはフルーツケーキが食べたいんだ。幻を見ているのか。キャシー嬢がこちらへ近付いてくる。彼女はもしや全てを知っているのか。スコップで襲われるのでないかという恐怖を上原は感じた。体が思うように動かず、走り出すことができない。後ずさりしながら、尻餅をつき、太陽を背にするキャシー嬢の顔を見上げた。


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