第8話 逢魔が時にアイドルはイヤホンを外し

 石段の下には海が見えた。日暮れ近く、地方の港町にいた。尾道のようでもあるが江ノ島のようでもある、市電が走り、木製タール電柱が残る昔らしい町並みだった。


 緑茂る高台からは町へ続く古くからの石段があった。階段は丘の中腹から細くなって更に上へ続いていた。私は夕日が海に落ちていくのをぼんやりと見ていた。


 子供の頃にも何度かここに来たことがある。夕暮れ時の景色はその頃とあまり変わらず、時間が止まりかけたような静けさがあった。


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 私は石段の途中でテレビか映画なのか、映像撮影をしている数人がいることに気付いた。彼らは女優らしき人物の演技を集中的に撮影しているようだ。人気タレントなのだろうか、まだ二十代らしい彼女は撮影開始の合図と共に、カメラの前で次々と感情を露わにする。


 役者というのはああも簡単に素早く感情を切り替えられるのだなと思った。


 薄黒いタール電柱、古い町内掲示板の近くまで彼らは少しずつ石段を上がってくる。段を登りながら彼女は演技している。


 彼女の顔をもっとよく見ようと思ったが、その場から離れた。テレビや映画の撮影というのはそれほど偉いものなのだろうか。我が物顔で周囲を睥睨している。関係者でない者は彼らには夾雑物か邪魔者のようであった。


 追い払われる前にそこを離れた。


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 近くの神社には町内会のテントが張られていた。今日は日暮れ時から地域のお祭りがあるらしい。準備中らしい場所から微かに歌声が聞こえてくる。貼られたチラシを見ると私も知っているかつてのアイドルグループらがやってきているらしい。


 昔、人気のあった彼らももう四十代であろうか、そのファンだった女の子たちも既に子宝に恵まれている頃なのだろうか。


 私はタイムスリップしたような境内の雰囲気につられて境内に入った。かつてのアイドルグループのメンバーは今日、一人で自作曲を歌うという。ギター一本で作詞作曲、歌唱まで今では一人でやっているという。


 彼はステージ脇のテント下、白スーツ姿でパイプ椅子に座っていた。


 私は何となく彼の歌が気になり、スマホで検索し、その場で調べ(イヤホン、ユーチューブで)聴いた。


 彼は元々、詩作が好きだったのだという。動画説明欄に色々と解説が書かれている。


 この歌は素晴らしい。私は続けてもう一曲再生した。情熱が籠っている。不条理めいた少年の、ある喪失感を示すような歌だった。


 彼は今、本当に好きなことをやっているんだなと思った。


 神社にい続ければ、夜半には彼の歌を聴けるようだ。


 境内では、やはり彼と同じグループのメンバーが記念撮影会をしている。

 そのアイドルグループは昨年、二人まで減少してしまったが、まだ活動を続けていた。


 小さな子供たちを連れた二十年前の少女たちがテント前にたむろしている。王子様、とかつて呼ばれていたらしいアイドルは、やはり今でも王子様のようであった。白いシルクシャツに赤い胸飾りが洒落ている。


 時間が過ぎても容貌に変化のない彼はどこか漂泊の異星人めいて、ヨーロッパ俳人風な雅を感じさせた。


 私はしばらく境内にいた。無料記念撮影会は儚げな友愛的雰囲気があり、その様子を見ているだけでも何となく楽しかった。


 夕日の紅赤レンズ色めく港町が見晴らせる古神社に、今でも細々と活動を続ける自主アイドルの二人がやってきている。


 無料撮影会というのはいいものだなと私はなぜか思った。


 私も胸に赤薔薇ピンのアイドルと写真を撮ってもらおうか。奇妙に思われるかもしれぬ不安を隠し、列に誰もいないときにテントへ向かった。男などいないに違いない。


 撮影時、漂泊の異星王子はにこりと私の片耳にイヤホンを入れた。もう片方はそのまま彼が聴いている。


 何の意味があるのだろう。よく分からなかったが不思議な音が聞こえる。実験音楽だろうか。隣に立つと、彼の努めて無感情のような、抑制した空間が感じられた。彼はきっちりとした人のようだと思った。私はなぜだか彼を見習いたいと思った。シャツの襟が首元までしっかり留められている。


 私は彼に何か言おうと思ったが言葉が出てこない。

  

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