第6話 ささやかな鉛筆画

 教室ではいつものようにプリントが配布された。何のためか分からない。私は機械的に前席から回ってきた紙を一枚取り、後ろに回した。


 私は隣席に友人がいるのがうれしかった。彼に会うのは何年ぶりだろう。小学校のとき以来だからもう随分と時間が経っている。


 彼とはよく一緒に遊んだものだ。彼は電気屋の息子だったが、将来は本屋になりたいと言っていた。なんと久しぶりだろう。


 私はかつて居た教室になぜかまた居るのである。自分の姿は子供のままのようだった。周囲は何の不思議もなさそうに変わらず喧しくしている。私は、まあこれでいいのだと思う。おかしなことはないし、別にいいのではないか。


 午後の教室には窓から西日が差している。私は久しぶりに会う友達が傍にいるのがうれしかった。


 彼は配られたプリントの裏に絵を描いている。窓の外に鳥が飛ぶのが見えた。


 おれも絵を描こう、そして彼に見せようと思った。退屈な授業をどうにか凌ぐには落書きでもして時間をやり過ごすしかない。彼はすらすらと藁半紙の裏にイラストを描いている。おれは何を描こうか、似顔絵をふざけたタッチで描いてみよう、きっと面白いに違いない。


 私は教師や生徒の顔を見回した。誰の顔を描こう。やはり誇張して描くべきは相変わらず驕慢そうな女性教師だ。今は何の授業なのか、終わりの会、というやつなのか判然としないが、いつかこの時も過ぎるだろう。


 絵を描き始めた途端、教師の姿が消えた。一体どこへ行ったのかと振り返ると、教師が教室の後ろから猛然と私たちの方へ近付いてくる。


 おれは驚いたが、どういうことか教師は友人の(イラストをまだ描き途中の)プリントを取り上げ、そのまま教室から持ち去ってしまった。教師は怒り心頭に発したのか、何も言わずに立ち去った。


 暇つぶしのささやかな鉛筆画を奪われた彼は、いつものことだと平然な顔をしている。女教師は自身に従わぬ児童らがどうしても気に食わぬらしい。


 おれはまだ絵を描き始めたばかりだったので教師は気付かなかった。


 おそらく女教師は彼が謝りに来るのを待っているのだろう。教室の誰もがそう感じた。いつまで経っても教師は戻ってくる気配がない。


 おれはそのような仕打ちをする女教師が憎くてたまらなかった。絵を描くぐらい、いいじゃないか。くだらない連絡事項や退屈な授業など、聞く側の身にもなってみろと思った。お前の授業など一切聞きたくない。平然を装った友人はしかし、周囲からの「謝りに行け、さもないと俺たちは家に帰れないんだぞ」という無言の圧力を感じ始めていた。


 おれは彼の代わりに職員室へ行こうかと思った。落書きはそれほど悪いことなのか。せめて彼のプリントだけでも取り返したい。


 いらないよ、と彼は言うに違いない。無言の教室でおれは身動きできず、彼の顔を見た。


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