第5話 ガラスの飛翔体

 地上数百メートルの空中に集団で暮らしているのである。眺めが良いというのはここに来て最初の数日だけだ。空中からの景色は雲海や山々が遥かに見えるだけで気象状態が詳しく分かる程度、あとはガラス窓が牢獄のように思える。


 私たちは集団でその建造物に住んでいた。誰が何の目的で建てたのか分からぬビルである。私は数ヵ月、その空中閣で寝起きしている。周囲には私よりもここでの生活が長い、ひょっとしたら生まれてからずっとここで生活している者もいるのかもしれない。


 レストランもある。病院も学校もある。建物内ですべての生活を一応まかなえるのである。


 私はうんざりしていた。レストランのピンク色の制服を着た女性も、空中暮らしにほとほと嫌気が差したようで、動きに全く生気がない。まるでここは集団牢獄のようではないか。洗濯や着替えをする気も失せたのか、彼女たちの制服も薄汚れている。


 私は地上に戻りたくなった。地面を歩きたい。


 ここは宇宙ではない。重力もある。しかし窓の外はいつも空だ。雨雲の中、稲妻の閃光が明滅する夜間など、ここに来たばかりの者は珍しそうに写真を撮ったりしているが、それもじきに飽きるだろう。


 地上を両足でしっかりと歩きたい、と思った途端、私はその考えに強迫的に取り憑かれた。


 地上に帰るにはどうすればよいのだろう、もちろんこれまでに同様の考えをした者がいたはずだ。


 私はここまで来た手段を思い返した。男が箱を操っていた。私は彼と箱に乗って空中移動を楽しんでいた。天上に張られたロープを彼は自在に操り、浮遊箱を空へ飛ばすのである。


 落ちるのではと不安だったが、彼はどうやら手慣れたもののようで、素早くロープを手繰り寄せ、ずっと高い空中へ、木製の飛翔箱を飛ばしていく。

 これはおもしろいなと私は気軽に楽しんでいた。


 そうだ、あの箱で戻ればいいではないか。ここまで来れたのだから、きっと地上へも戻れるのではないだろうか。


 私は空中楼閣で何人かの協力者を厳選した。出口のない塔内での暮らしを芯から耐え難く苦しんでいるらしい数人に声を掛けた。彼らはすぐに私に同意した。


 死んでもいいからここから抜け出したい。これ以上この場に居続けるくらいなら死ぬ覚悟で地上に帰りたい。


 私は楼閣のコンシェルジュだとかいう女性に話し掛けた。


 ここは一見快適に見えるが、自由がない。確かに医療や教育、娯楽も一通りきちんと揃っている。だが地上に戻れない。


 私たちは地上に帰りたいと女性執事に訴えた。


 彼女は心配げな顔で私たちに言った。地上は危険です。みなさまがここにいる間に地上は激変し危機が発生しました。


 何を言っているんだ、この人は。彼女は人間ではないのではないかとふと思った。ホログラムか人工装置かもしれない。地上に危機が起きたとは、一体どういうことであろうか。私は地上へ帰る飛翔箱の在り処をすでに調べていた。ホログラム女性の後ろである。彼女はいつもこの場所に笑顔で立っているが、眠ってすらいない。


 エレベーターは壊れています、と殺気立つ私たちを見て彼女は言った。ここにいる方がみなさまのためです。救われた方々のここは最後の居場所なのです。


 何を言っているのだろう。地上に核戦争でも起きたというのか、もしくは大地震か。私は信じられなかった。地上の草、地上の土の匂いを嗅ぎたかった。ふわふわと空の上で生活をし続けるのはもう無理だ。


 壊れたらしいエレベーターに私たちは乗り込んだ。


 それは墜落します、と女性は心配げに大声で警告した。


 墜落するのか、その前に地上は見れるだろうか、どんどん高速で飛翔箱は地上に近付いていく。これは壊れているのか。問題なく動作しているように見える。


 ガラスの向こうに地上が見える。数人乗りのガラス箱は高度を落としている。


 地上に人がいないことに気がついた。本当に何か起こったのだろうか。ここは大都市だったはずだ。驢馬を引く男が砂漠を歩いている。地上に建物がない。一面の砂漠に太陽が照り続けている。


 彼女が言うことは本当だったようだ。このエレベーターも墜落するようだ。私は顔をガラスに近づけ、地上をもっとよく見ようと目を凝らした。


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