第2話 熱帯雨林の花柄プリントを過ぎると水中だった

 その駅に来るのは久しぶりだった。ターミナル式の駅は空中にあるのだが、窓がなく密封された地下のように重苦しい。手塚治虫描く未来のディストピアはこんな感じだろうか。


 ここはおれが知っているいつもの駅ではない。この場所は大阪のはずだが、どうやら様子が変わっているようだ。音楽もなく、無音のやけに静かな場所で、無表情の人々が軍隊のように黙々と歩いてくる。なぜ、何の音もしないのだろう。


 おれは時間がたっぷりあった。これからどこに行ってもいいし、行かなくてもいいのである。久しぶりに関西に来たのだから、その辺を歩いてみようと思った。


 だが、この大阪駅は変だ。おれが知っている場所ではない。しかし案内板を見ると、きっちりと矢印と共にこちら西宮、姫路などと書かれている。やはり今いる場所は関西で間違いないようだ。ここはもしかして過去なのだろうか、それとも、もう一つ別の異次元めいた個所なのか、おれは気になったが目の前はまさしく現実なのである。


 おれは外に出てみたかった。ここは地上数階らしいが外が見えないので不安だ。時間も季節も分からない。無表情な人々が追い立てられるように何かを急いでいる。


 ここからどちらに行けばいいのだろう。まずは地上に出たい。下に降りればいいのだろうと思うが出口が不明だ。移動用の通路は床が動くようになっており、立っているだけで目的先に自動で着くようになっている。これに乗ればいいのだなとおれは思うが、どれも駅に向かって突進してくる自動通路ばかりである。


 床はチューブのようなものに囲われ、やや未来SF的な作りになっている。だが、その未来仕様も経年劣化し、ひび割れや透明樹脂の曇りが甚だしい。


 なぜ周囲に音楽がないのだろうと思いつつ通路を探し、下へ降りるチューブをようやく見つけた。


 うん、これでいいはずだ。とりあえず外に出よう。梅田周辺を歩いて、それから、下り電車で兵庫方面などどこかへ行くのもいいかもしれない。おれは居ても立ってもいられなくなった。無表情の人々に突進される恐怖もあったが、この不気味に静まり返った場所から離れたかった。


 下に降りるチューブに乗ってみるとキューブリック映画やスターウォーズ式に見慣れた白色電灯通路であった。床のゴムも白く、一枚おきに点線で進行方向矢印が記されている。こうして突っ立ってればいいんだな、とおれは手すりに触れた。と、動いている床を更に猛然と走り過ぎていく人がいる。この自動移動床は、そういうものなのだろうか。白い電気、白い通路、窓のないチューブ、ぼんやりと無思考にただ移動板に身を任せてはいけないのだろうか。次々と後ろから高速の走者たちが走り抜いていく。ひょっとしておれがここに立っていると皆の邪魔だろうか。急ぐ必要は何もないが、おれも走らねばならないのだろうか。


 どうにも面倒な気分でいると、自動床が小休憩所のような場所に着いた。これは工事用の中継ぎ地点なのだろうか。小型のビニールハウスのようなつくりで洋風椅子が急誂えの洋風敷石に置かれている。


 移動用チューブはそこで何本か交差しているようで、来し方、行き方、そこで乗り継ぐこともできるし、方向を変えることもできるようだった。


 おれは追われるのに疲れたので、そこで一服しようと思う。小柄な人物が掃き掃除をしている。もしかして子供だろうか。


 そこにいる不安そうな顔の男が、おずおずとおれに何かを尋ねてきた。


「あの、この先はどっちにいけばいいんでしょうか」


 彼はおれと反対側のチューブからこの場所に着いたようだった。それなら、おれが来た方へ行けばいいではないか。何を訊いているんだこの人は、と思いつつ、今来た方を振り向くと、駅方向へ行くチューブがない。工事中のようで、建設予定らしい道はまだ真新しい花壇に塞がれている。


 不安げな男の背後を指し「向こうに戻るしかないんじゃないでしょうか」とおれは言った。


 小柄な子供のような人物は無言で掃き掃除を続けている。さっき彼がにこにこと微笑んでるように見えたのは気のせいだろうか。


 洋風椅子にはサングラス姿のどうやら美女らしい風情をした女性が座っていた。おれは少し彼女を意識していた。不安げな男に行くべき道を示すおれの姿はどうだ。悪くないだろうか。美女風情の姿を直視することはできない。狭いビニールハウス休憩所で、その視線はあまりに露骨すぎるように思える。


 そろそろ乗り継ぎ先の自動床チューブへ移動しなければならない。彼女は荒木飛呂彦描く「リサリサ」のような派手な美人のようだとおれは視界の端から感じ取ったが、ここは終わりだ。為す術がない。


 近未来仕様の移動床チューブであったが中継ぎ休憩地点は前近代式だった。ビニールハウスの出口は手動で開くガラス戸である。建付けも悪く、力を入れて戸を少し浮かさないと左右に動かない。サングラスの奥から「リサリサ」に見られているのをおれは感じた。そこには他に数人の少年たちもいた。


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 少年らはおれについてくるようだ。まあ短時間、移動に付き合うだけならいいだろう。リサリサの手前、子供らを邪険にすることもできなかった。ビニールハウスは小型植物園めいた温室をイメージしたのだろうか、観葉植物が申し訳程度に数個配置されている。リサリサのスカートには派手な熱帯雨林の木々や花々が描かれており、その場の誂えにうってつけかもなとおれは思った。


 もうここを出よう、おれは外に出たい。空中から地上に降りたい。今、一体おれはどの辺りにいるのだろう。と、休憩所出口の引き戸に逞しい黒々としたカブト虫がくっついている。


「カブト虫がいるよ」とおれは子供らに言った。ほら、オスのカブトだ。

 どうせならおれは彼らにそれを捕まえて欲しかったのだ。カブト虫である。そう他に居るものではない。


 数人の少年、そして一人の少女はあまり虫に興味がないようであった。ほら、こんな大きな強そうなカブトだ、と言っても意味はないようだ。


 引き戸を力づくで開けると向こうは水いっぱいの池である。水の中を歩いて進むしかない。おれは別に不審とも思わず、子供らと池の中を進んだ。水は腰の辺りまであるが、まあ大丈夫だろう。


 メスのカブトを一人の少女が鷲づかみにしている。飛び立とうとしているメスの背にはタマネギのような薄羽が見えている。


 そんなことしたらだめだ、とおれは思うがもう遅いかもしれない。あのカブト虫はまた飛ぶことができるだろうか、おれは不安になった。


 水は重く、なかなか前に進めない。おれはカブト虫のことをまだ言っている。「なんでつかまえないの」と少年たちに訊いた。「そんじゃあ、つかまえてくれればええやん」と彼らは池を泳いだり歩いたりしながら言う。


 虫を触ることが久しく無く何だか怖かったおれは黙った。池の水には巨大な鯉がいるようだ。通常の魚であれば、水中に人がいようものなら、逃げるように離れていくはずだ。しかしその池の鯉たちは侵入者らを嫌ったのか、攻撃するように近付いてくる。


 この魚は何なのだとおれは思う。口をパクパクさせ、猛烈に非難するようにこちらを追い立ててくる。


 水面に白く光る魚の背をおれは蹴飛ばすこともできた。魚の顔が怒った人のように見える。子供たちは魚に気付かないのか悠然と泳いだり歩いたりしている。おれは魚に追い立てられながら、子供らと水中を進んでいた。



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