第三話 勉強も運動も中途半端なのが俺なんです



 ベッドの上に崩れ落ちた。疲れたという言葉では足りないほど疲れた。まだこれが登校初日だとはとても思えない。変なところに力を入れていたせいで肩がとても凝っているような気がする。寝ながら腕をぐるぐると回す。

 奏太は腕だけを動かして、ほっぽりだしていた携帯をつかんだ。顔の前に持ってきて、先ほど飛んできていたメッセージを読む。


『柚木奏太はイケメンで勉強ができて運動神経抜群らしい! って噂になってる☆ すごいね♡』


 暗そうな浩輔がこんなメッセージを送っているとはとても信じられないが、間違いなく彼から送られてきている。とりあえず今はそんなことをわきにおいて、内容をあらためて見る。自分が勉強ができて、それでいて運動神経もいいと書いてある。何度見てもそう書いてある。


「どっちも大してできねーよ!」


 家に誰もいないのをいいことに思いっきり叫んだ。ごろんとひっくり返り、枕に顔を埋める。

 あの高校に入れたから勉強は一般的な高校生に比べたらできるかもしれないが、学年で見れば上位五十位にも入れないに違いない。運動もそうだ。大幅に盛りまくっても運動神経抜群なんて言われることはないだろう。


 ――どうすりゃいいんだ。


 どういうふうに噂とやらが広まっているのかはわからないが、クラスの人の間には知れ渡っていると考えたほうがいいかもしれない。早ければ、明日の授業中にでもバレてしまうかもそれない。先生に問われた質問に対して答えられなくて――

 勉強ができると思われているのに、勉強がまったくできない。


 ――恥ずかしくて学校に行けなくなるな。


 それに被害は自分だけにおさまるものでもない。みなみにも被害は及ぶだろう。奏太は暫定的に王子さまという立ち位置にいる。そんな人の昔からの友人という立ち位置はかなり羨ましがられるポジションだが、それが嘘っぱち男だったなら話は違う。彼女もそんなのと友達でいる程度の女子というレッテルを貼られてしまうかもしれない。

 けれど、彼女は心優しい性格をしている。それでもなお「かなた」から離れないかもしれない。そしたら周りはこう思うはずだ。


『あいつに騙されてるんじゃ? と』


 ――正解‼


 芋づる式に全てが明らかにされてしまう恐れがある。最終的にはそんな男にすら心配されていた美少女ポンコツなんていうふうに言われてしまうかもしれない。彼女が被る精神的ダメージは計りしれない。

 この最悪のシナリオを打破するために必要なことは一つしかない。


 ――勉強しよう!



 大あくびをしてしまいそうになり、咄嗟に手で口を覆った。もうここは家ではないのだから気を抜いてはいけない。自分に言い聞かせて、歩を進める。自分の心と彼女の心を守るためと思って必死に勉強をしていたらいつの間にか朝になっていた。学校までは徒歩の時間も含めると二時間ほど登校時間が必要なので睡眠なんてとれるわけもなかった。

 眠くて仕方ないが、そんな姿を誰かに見られでもしたら結局は同じ道のりに乗り出てしまいかねない。身体を意志でねじ伏せていると、教室に到着していた。


「よ――っ!」


 席に座ったら、大毅が机の前にやってきた。


「おはようございます、伊岡くん」


 丁寧に頭を下げると、彼は不満そうな顔をした。


「昨日から思ってたけど、敬語はなしでいいよ」


 男子にまでここまで丁寧に接するのは逆に怪しまれるかと奏太も思い、少し口調を緩める。


「えっと、おはよう。伊岡――っ」


 昨日からずっと敬語だったからか、普通に話しかけるのがとても恥ずかしいことのように感じる。頬に若干の熱を感じるが気づかれていないだろうか。

 大毅は何度も頭を下げた。


「そうそう、そんなかんじでこれからもよろしく」


 それに頭を一度下げることで話さずに対応を済ませた。


「そういえばさ――」

「おっはよー!」


 大毅が何事かを言おうとした瞬間に会話に割り込んできた人物がいた。というか愛海だった。


「朝からうっせーな。も少し柚木を見習え」

「朝だから元気なんじゃん。そのへんわかってないね、伊岡は」


 自分と話すときより雑な言葉で話している大毅。


「二人は友人なんですか?」

「そうだよー」

「ちげ、ちがう。腐れ縁みたいなもんだ、まじで」


 対象的な表情をしているのでどちらの言葉を信じればいいのか判断に悩むところだ。ただこれまでの行いを見て大毅のほうが信用に値する人物なのは間違いない。二人ががみがみ言い合っているのをしりめにひとりでそう思っていると、予鈴が鳴った。


 それから何事もなく時間は進んでいったが、事件は地理の授業中に起こった。


「そんじゃ、教科書仕舞えー」


 地理の教師のそんな声が始まりの合図だった。それに文句をいうクラスメートが何人かいたが皆すぐに教科書をしまい始める。奏太は周りを見回していると、隣の席の物静かで凛としている雰囲気の女子が囁いた。


「小テスト」


 ただこれから起こる事象を言ってくれたからか、すとんと頭に入った。テスト――課題の範囲内を問題化して解かせるもの。


 ――テスト⁉


 まったくそんなものは予想していなかった。テストといえば中間テストという大きいテストしかないと思いこんでいたのだ。冷静に考えれば小テストなんてあってあたりまえだ。

 ただのテストなのになんだろう、この緊張感は。

 奏太は自分の手のひらを見つめる。じっとりと汗をかいていた。もっとよく見ると微かに震えている。

 ただの小テストなのに高校受験のときよりも遥かに緊張しているかもしれない。よくわからないが吐き気まで覚える。けれどここでトイレに逃げ出すなんてことはできるわけもない。


 ――やってやんよ。テストをな!


 ここに来て若干の眠気はどこかに飛んでいき完全に覚醒した脳みそでテストに挑むことができる。配られたテスト用紙を両手で掴む。手汗のせいか持ったところがふやけてしまったが、今はそんなことはどうでもよかった。一問、二問、と数えて全部で十個の問題があった。一瞬にして、内容を確認する。

 

 ――あっ、これ。昨日やったところだ。


 幸運というほかない。何度も確かめるが、昨日予習したところが丸々問題になっているのは間違いない。

 解ける、解ける。まるで解けるのが当たり前かのようにシャーペンを動かしていく。全問回答し終えて、息を吐いた。


 ――まだだ。


 ケアレスミスがないかを確認しないといけない。中学の頃でもこういうミスがないと思っていても実はあるというパターンが何回かあった。食い入るように紙を見つめる。一問一問、指差し確認をして確かめる。三周ほど確認していると教師の止めの声が教室に響いた。もう少し確認したかったけれど時間なら仕方ない。


「じゃ、隣のやつと交換しろー」


 ――隣のやつと交換、だと⁉


 時間の効率化という意味では確かに優れた手法だ。けれど間違っていた場合そのミスが隣の生徒にバレてしまうというリスクがある。それが今の奏太にとっては何よりもまずいことこのうえない。

 けれど教師からそう言われてしまっては交換せざるをえない。隣の少女とテスト用紙を交換した。彼女の用紙の名前の欄に目がいく。


星乃凛ほしのりん


 凛としていると思ったら本当に凛という名前であったことに驚いた。字もとても綺麗で――自分も綺麗に書けるように練習したほうがいいのかもしれない。

 教師が説明を入れながら、解答を黒板に書いていく。解いているときに比べたら採点なんてあっという間だった。

 凛の解答は全て合っていた。自分の答えもまったく同じものを書いた覚えがある。


「じゃ、もとに戻して前に送れー」


 彼女からプリントを返してもらい、用紙を確認する。全てに丸がついているのを確認して肩の力をようやく抜くことができた。

 こんなことを授業のはじめにしなければいけない。地理の授業は要警戒と脳内のメモ帳に記した。

 用紙を前に送ろうとして念のためもう一度用紙に目を落としたところで気づいた。テスト用紙に可愛らしく花丸が書かれている。

 横をちらっと盗み見るとテスト用紙を前に回し終わっていた凛は机に突っ伏していた。耳が赤い。


 ――いや、可愛いかよ。


 照れるなら花丸なんてしなきゃいいのになんて思いながら奏太も用紙を前に送った。

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