第ニ話 嘘つきは勘違いのはじまり



 あの後はなんとかクラスの騒ぎを愛海が鎮めてくれた――彼女が暴露したので当然かもしれないが。

 悲鳴が止まなかったとは思えないほど静かな教室で授業には臨むことができた。この学校は勉学がかなりできるほうの高校ということもあるというのと、一週間と少しクラスメートとは差が付いているので授業についていけるか心配だったのだが、まだそれほど進んでいるわけではなかったのでまったくわからないということにはならなかった。


 なんとか授業をやり過ごし、授業の合間は周りに座っている生徒たちと交流を図る。

 愛海が口走ったせいで――というか元はといえば嘘をついたせいなので自分のせいなのだが――、口調は敬語で王子さますごい紳士に対応するというのがデフォルトになった。敬語はまだしも王子さまというのは性に合わないことこのうえない。

 奏太はもっとズボラで面倒くさがりな小心者なのだ。

 けれど、みなみの名誉のためにも今はそう演じる他ない。

 二人きりになれる昼休みか放課後までと思えば我慢できるというものだ。


 脳裏に王子さまのロールプレイはみなみの嘘がバレる心配があるので、しばらくはしなければいけないのでは? と過ったが、ひとまずはその思考は頭から追いやった。


 それに悪いことばかりではない。

 みなみとの関係を聞きに来るクラスメートの女子や男子が向こうから話をしに来てくれたのだ。奏太は人見知りというほどではないが、自ら行動するタイプではない。なので、向こうから積極的に話に来てくれるのはとても助かっていた。彼女との関係を深く尋ねられると答えられないので、その点は誤魔化しながら話すので大変でもあったが。

 何はともあれ、遅れて入学するというのもあり友人ができるかどうか心配していたのだがそのあたりは平気なようなのでほっと胸を撫で下ろす。

 そんなことを考えながら授業を受けているといつの間にか昼休みになっていた。

 朝の抱きつき以降こちらのことを見向きもしないみなみと昼を一緒に――事情を話す――しようと思ったら、先に声をかけられた。


「えっと、柚木……くん? 一緒に昼、食べない?」


 朝に質問をしてくれた心優しい男子だった。奏太はみなみのことは諦めて、笑顔を彼に向けた。


「助かります。お昼を一緒に食べる人がいなかったんです」


 それを聞くと彼はにかっと笑みを浮かべた。


「なら、学食にでも一緒に行くか。そうそう俺は伊岡大毅いおかだいき、よろしく!」


 運動部系の見た目どおりと言っては失礼かもしれないが、なんともさっぱりしていて付き合いやすい性格をしているようだ。それにみなみとの関係を第一声に訊いてこないというのも好印象だった。


「あ、そうそう。もう一人連れがいるんだけどいい?」

「はい、もちろん構いませんよ」


 断る理由なんてなかったので了承して、大毅の勧めに従って学食へ行くことになった。教室を出るときに一度みなみのほうを向いたら、彼女と目があった。だからどうというわけでもないけれど。


「……結構広いですね」


 高校見学というものをしないでこの高校に入ったので食堂は本当に初めて目にした。まず思ったのはここにいくらかけてるんだということだった。それほどオーソドックスな学生食堂ではない。かなりの広さで食堂から見える外の風景も美しく整えられている。テラスなんてものまであり、ここが高校の食堂とはとても思えなかった。


「ここの学食目当てに入学するやつがいるくらい美味いし、なんてったって安い。柚木は知らなかった?」

「場所と偏差値ぐらいしか調べなかったので、知らなかったです」


 とにかく中学の同級生がいないところに行きたいとしか思っていなかったので、食堂が存在することすら知っていなかったくらいだ。高校には売店のようなものしかないと思っていたので、シンプルに驚いたというのが今の心情である。


「お、あそこあそこ。あのぼーっとしてるやつが連れな」


 大毅はぽつんと座っている男子を指さして言った。


 席に座る前に昼食を買うというのがルールらしく、大毅はとんかつ定食。奏太はからあげ定食を買って、席に座った。

 先に座っていた男子は二人が座ると同時に黙々と食べ始める。待ってくれているあたりいい人っぽいが、何も言ってこないのも不思議で対応に困った。

 それを見てか大毅が口を挟む。


「こいつは秋野浩輔あきのこうすけ。むっつりしてるけど、悪いやつじゃないんだ。仲良くしてくれると助かる」

「柚木です。よろしくお願いします」


 声をかけると軽く頭を下げられて、何事もなかったように食事を再開した。いちいち箸を置いて対応してくれているし、悪い人ではないというのは本当のように見える。

 しばらくは昼食を食べることがメインで合間に少し会話を挟む程度だった。話の内容も至って普通で事故のことや勉強についてとか先生の見た目など。学校に来て最も普通に過ごすことができたおかげか食の進みも早くあっという間に平らげてしまった。

 それは大毅も浩輔も同じらしく箸を既に置いていた。


「そう言えばさ結局、琴宮とはどういう関係なの?」


 琴宮というのはみなみの名字だ。

 朝から散々聞かれてきた質問なので、すらすらと口から言葉が出てくる。


「昔に少し会ったことがあるというだけですよ」


 これはおそらく本当のこと――自分のことではないということを除けば――だろう。

 愛海は「みなみのことを覚えている?」という質問をしてきた。

 つまり彼女たちからしても「かなた」が覚えていない可能性について予想していたということになる。それが意味することはみなみとかなたは長期間会っていなかったということだ。

 そんな予想を一時間目の授業中にたてた。いったん落ち着いたことで頭が回り始めて、気づいたというほうが正しいかもしれないけれど。

 それは見事にあたっていたらしく、二人から――みなみから――訂正が入るようなことはなかった。面と向かって話していないので確実ではないが。


「でも先週、柳野はそんなかんじに言ってなかったけどな」

「どんなふうに話していたんですか?」


 これも休憩中に何度か耳にしたのだが、先週の時点で「かなた」の存在に気づいていたらしい。まあこれは理解できなくはないが疑問点はいろいろある。

 いくつかの謎が頭をよぎりながら、大毅の言葉を待った。小休憩の間では時間が足りなくて詳しいことはまだ聞けていなかったのだ。


「なんだっけかな……」


 大毅は腕を組みながら、思い出そうとしている。その横で今まで興味なさげにしていた浩輔が口を開いた。


「名前が一緒」


 ぽつりとつぶやいた言葉を聞いて大毅は頭を上下に動かした。


「そうそう、名前が一緒だって言い出したんだった」


 思い出したのが嬉しいのか、早口気味に説明される。大毅の話を要約するとこういうふうになるらしい。


 まず入学式の日にも来ず次の日にも来ない生徒がいた。先生も何も教えてくれない――まだ情報がいっていなかったのか、それとも個人情報だからだろう――。

 気になった愛海が教壇に置いてある座席表で名前を見たそうだ。その名前を既に親しくなっていたみなみに話したところ様子が変わったらしい。愛海が疑問に思い訊いたところ、恩人かもしれないということをみなみが言った。

 それを聞いた愛海が大興奮して大声で話したせいで、まだ来てない生徒とみなみが深い関係かもしれないというのがクラスの間で共有された。

 今朝の挨拶のとき、やけに集中してこちらを観察していると思ったらそういう事情があったからなのかと得心がいく。けれど、それを聞いても疑問が解決したわけではなかった。


「でも名前を見ただけですよね?」


 同姓同名なんて少ないかもしれないが、国に数人はいてもおかしくない。実際、同姓同名の別人であったわけであるし。

 名前だけで、知り合いだと決めつけるのは早計にすぎるのではないか。


「それな。先週までは俺もそう思ってた。漢字まで一緒っていうのは珍しいけどないわけじゃないから」


 けど、と大毅は言葉を続ける。


「今朝、琴宮と一緒に教室に着いた柳野がその人である可能性が高い! なんて言い出したんだよ」

「それはまたどうして?」

「なんでも顔がまったく一緒なんだと」

「顔?」


 思わず奏太は自分の顔を触ってしまった。それにつられたのか大毅も頬を人差し指でつつきながら話した。


「柚木が写ってる写真を持ってんだって。その写真のと今日の朝に見た新入生っぽいやつの見た目がそっくりだから、こりゃ本人だってことになってな。お前が来るまで教室はすごかったんだからな」


 挨拶の前に見られていたのか。奏太には入学が遅れた緊張のせいで周りを確認する余裕なんてまったくなかった。一足早く、奏太のことを視認したみなみはそれでほとんど確信に至ったのかもしれない。


 ――というか、顔まで似てるのか⁉


 昔の写真だろうから、面影があるとかそんなレベルだろうけれどそれだとしてもこんな偶然があるのだろうか。もしかしたら自分が覚えていないだけという可能性のほうが高いのでは。そう思い、人物を思い浮かべてみるがやはり彼女と会った記憶はない。初対面なのは確実だ。

 名前も顔もそっくりな確率はどんなものなのかを予想しながら、彼女たちの思考を追う。

 顔もすごい似ているけれど絶対というわけではない。と、みなみは思ったのかもしれない。そんなみなみを助けるために愛海が質問タイムのときに訊いてきたのだ。

 それを何事も知らない自分が肯定した。

 疑問に思っていたことが解消されて、すっきりして脳内で叫んだ。


 ――俺のせいか!


 あの場で知らないと言っていれば、王子さまロールプレイは回避できたかもしれない。そう思い、すぐにかぶりを振った。


 ――いや。


 けれどあの場で否定すると、みなみが恥ずかしい目にあったというのは変わらない。むしろ、一週間前から昔なじみ感を出してクラスメートを期待させていたけれどまったくの別人だったという間違いをしていた少女ということになる。奏太が当初思っていた想定より更に酷い羞恥が彼女を襲ったかもしれなかったのだ。そういう意味ではあの場ではやはりああ言うしかなかった。

 最善の行動だったのだ。


「そんなわけでこのことは今現在、学年に広まってる最中だろうな」

「広まってるんですか⁉」


 一年生全員に対して、ロールプレイをしなければいけないのかと思うと目の前が真っ暗になりそうだ。


「琴宮はもともと、あの見た目だから有名だったしな。それに柚木もかっこいいし。美男美女ってことで、もう結構な人数が知ってるはず」


 それを聞いて奏太は胸にちくりと痛みがはしったような気がした。


「格好良くなんてないですよ」


 奏太はかっこよくなんてない。まったく。


「そうか? ま、何にしても注目されてるんだってことを言いたいわけよ」


 周りを見回すと、こちらを見ている生徒は確かにいる。


「ありがとうございます」


 奏太は何も考えないようにしながら頭を下げた。



 放課後になった。今日から部活動の体験習慣が始まるということで足早に教室を出ていくクラスメートがちらほらといる。愛海も大毅もそうだった。奏太は部活に入るつもりはないので、今日までに配られたプリントを鞄に入れる作業をわざとゆっくりとしていた。

 談笑している生徒もいるが、ある程度は人がまばらになったのでみなみに近づく。


「みなみさん」


 足音は聞こえていたはずだが、みなみは名前を呼ぶとびくりと肩を震わせた。


「か……柚木くん。どうかしましたか?」

「いや、少し時間をもらえないかなって」


 近くに座っていた女子生徒が目を輝かせたように見える。それを努めて見ないようにしながら、みなみの反応を待った。


 彼女は小さく頭を下げた。了承という意味だろう。


「じゃあ、行こうか」


 奏太はみなみとともに教室を出た。


 学校から出ることも考えたがみなみが静かな場所を知っているというので真逆の位置関係になり廊下を歩く。見慣れぬ場所に思わず視線が引き寄せられる。それを見て、場所の説明をしてくれた。入学の次の日に学校の施設説明があったそうだ。そのときの内容を話してくれている。

 彼女の足が止まった。

 見たところ空き教室のようで、表札には何も書かれていなかった。入っていい場所なのかわからないまま、中に足を踏み入れる。

 机は無く、使われていない椅子が置物のように奥にあるだけだった。窓に近寄ると、体育館の前で部活動の勧誘をしている運動部の生徒の姿が見える。上級生に話しかけられて困っている一年生の姿や、自ら上級生に話しかけている一年生など。様々な姿が見えて、なんだかほっこりする。


 ――いや、見てる場合じゃない。


 かぶりを振り、廊下側に立っているみなみに向き直る。


「あの!」


 声が重なった。


「みなみさんからどうぞ」


 言ってから、王子さまロールプレイが抜けきっていないことに気づいた。ここは彼女に何か言われる前に先手を打ったほうがいいというのに。


「あの、すみませんでした」


 いきなり彼女は頭を思い切り下げた。


「抱きつくなんてはしたないことをしてしまって」


 はしたないのだろうか。奏太は内心首を傾げながら、手を横に振った。


「いえ、気にしてませんよ」

「それに噂もたってしまいました」


 大毅が言っていた二人の関係のことだろうか。そんなことならクラスで広まった時点で、時間の問題だったのだし仕方ない。

 更に彼女は「それに」と言った。


「わたし、あれからも病院にいることが多くて……同年代の友達なんて柚木くんくらいしかいなかったんです。だから、そのそんなつもりはなかったんですけど、結果的に柚木くんのことを――」


 彼女は口を閉ざした。痛みを堪えるようにして胸に手を置いている。

 わからないことは多かったが、要は彼女は「かなた」をだしにして友達を作ったと思っているのだろう。そもそも自分は「かなた」ではないし――


「僕なんかがみなみさんの役に立てたのなら、むしろ嬉しいくらいですよ? それにみなみさんの穏やかさがあったから人が寄ってきたんだと思います。僕なんて大して力になってないですよ、きっと」


 もっと言えば彼女の美しさのおかげもあるかもしれないが――そういうのは心の中にしまっておく。


「……柚木くんは変わってませんね」


 うっすらと目に光るものが見えた気がした。持ってきたり持ってきてなかったりするハンカチを今日は持っていたので、彼女に手渡す。


 ――って、そんなことしてる場合じゃないって!


 自分は場に流されやすい性格なのかもしれないと初めて思った。


「……わたし、柚木くんがいなかったら生きていなかったと思います」


 急にとてつもなく重いことを彼女は口にした。うんともいいえとも言えない奏太を無視してみなみは話す。


「あなたがいたから……約束があったから頑張れたんです。だから、いつかお礼を言いたかった。ありがとうって……言いたかったんです」


 彼女は深く頭を下げた。


「頭を上げてください」


 とりあえず、そう言うことしかできない。

 というかこの後、どうすればいいのだろうか。



「お礼を言われた後なんですけど、自分はその人ではないんです、てへ」と言わないといけないのか。


 ――言えねー! 全部嘘なんて言えねー!


 いや、無理。さすがにそんなことは話せない。話したら、彼女は失神する。確実に。

 そして、訴えられる。裁判所的なところに。

 口から変なものが出そうになる。本当に下心なく彼女を助けるために嘘をついたのになんでこんなことになっているんだろう。

 変な汗を大量にかいていた。ワイシャツはびしょびしょになっている。

 それでもなんとか微笑を維持し続けた。

 そんなことを頑張っている間に、彼女は落ち着きを取り戻していた。


「……柚木くんもなにか言いたいことがあったのでは?」


 ええ、と言いながら必死に頭を回転させる。


「――ただ、これからも仲良くしてほしいなってことを言いたかったんです」


 本当のことを言い出すことはできなかった。


「それは、こちらこそ! です。昔みたいに仲良くしてくれると嬉しいです!」


 素敵な笑顔を浮かべられた。それに苦い笑いを返すことしかできなかった。


 結局、本当のことを言えないまま学校から出てきてしまった。

 いや、あんなことを言われてしまったのでもう無理だった。このまま騙し続けなければいけない。最後まで。


 ――最後っていつまでだ?


「帰りは電車ですか?」

「いえ、バスです。あそこの」


 学校の前にあるバス停に手を向けながら彼女は言った。

 ちょうどバスが来たので彼女が乗るのを見届けた――走り出した瞬間に手を振られたので力なく振り返した――。

 バスが走り去っていくのを見ながら奏太は深い溜め息を吐いた。


 ――いや、これからどうすればいいんだよ⁉


 それに嘲笑うかのように携帯が鳴った。

 ポケットから出して通知を確認する。

 大毅と浩輔とSNSの連絡先を交換したのだが、浩輔からの連絡からだった。


『柚木奏太はイケメンで勉強ができて運動神経抜群らしい! って噂になってる☆ すごいね♡』


 ――星にハートって……え?

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