勘違い恋愛 

ななし

第一話 優しい嘘ならOK?



 緊張がピークに達していた。入学式から一週間と三日が過ぎ、やってきた月曜日。廊下で立っている奏太かなたはお腹を手で擦った。胃が痛い。精神的なものであるのは間違いなかった。


柚木ゆうきくん、入ってきてください」


 担任の先生の涼やかな声に導かれるように教室内へと進んでいく。転校生もこんな気分なんだろうかということを考えて、教壇のすぐ手前で足を止めた。体を九十度回転させてクラスメートを視界に入れる。クラス中から視線をもらい、嬉しいような嫌なようなそんな複雑な気分になった。


「えっと、自己紹介をしてもらっていいかな」


 にこやかな笑顔を浮かべてチョークを手渡された。絶対にクラスメートたちは黒板に名前を書いて自己紹介をしていないだろうななんて思いながら、小気味よい音を響かせる。書き終わった奏太は振り返って口を開く。


「柚木奏太です。みなさんと仲良くしたいと思っています。よろしくお願いします」


 一礼して微かに笑った。口調が硬すぎやしないかと何度もシミュレーションしたが、結局ゆるいよりはいいかと思ってこういう感じに落ち着いた。実際、クラスメートが不快感を感じているようには見えないので悪くはなかったのだろう。

 彼らの声でざわめく教室をぼんやりと眺めていると先生から声がかかった。


「じゃあ、柚木くんに質問のある人いますか」


 奏太は思わず先生のほうを向いてしまった。そこにはニコニコという言葉がまさにぴったりな表情をしている新米教師がいた。全員揃ったから嬉しいんだろうなというのがまるわかりだった。

 嬉しいのはわかるけれど、そんな小学生みたいなことしなくても。早く、この場から離れたいと思いつつも教師の言ったことを今さらやめてくださいなんて言い出せるわけもなかった。


 ――というか、質問なんてあるのか?


 こんな状況で質問することのできるコミュニケーション強者であり、こちらに何かを尋ねたいと思う人物がそうそういるとは思えない。自分が彼らの立場ならまず間違いなく傍観に徹するに違いない。質問する人がいなければ、教室に居たたまれない空気が流れるのはありありと想像できる。先生もそんな空気を作り出した原因として笑顔が凍るだろう。登校初日にそんな空気に身を置きたくはない。

 奏太はなんとかしようと頭を悩ませていたら、とある男子の手が挙げられた。

 なんて空気が読めていいやつなのだろう。心のなかで拍手喝采を送りながら、耳を傾ける。


「えっと、柚木……くんはなんで入学に遅れたんです?」


 へらっと笑いながらも内容は具体的なことだった。趣味やらなんやらを聞かれるというわけではなさそうだったので胸をおろす。おそらくはそこらへんも気を遣ってくれたのだろう。彼と友人になることを決意すると同時に悩んだ。

 けれど、隠すようなことでもないと思い口にする。


「入学式の日に車に轢かれまして、それで病院のお世話になってました」


 教室にどよめきが走った。言葉だけを聞けば確かに大変なことのように聞こえるのでそれも無理はない。奏太は手を横に振りながら、否定した。


「大丈夫ですよ。念のための入院みたいなものでしたから。大きな怪我もしてないですし」


 実際、腕にかすり傷のみだけしか傷らしいものはない。問題は轢かれた瞬間に気を失ったということと事故の記憶はあまり定かではないというくらいだ。そんな話をして不幸な同級生なんて立ち位置になりたくないので、しないけれど。

 笑顔で説明したからか、心配というような雰囲気は幾分か減った。

 とりあえずもういいかなと思って先生のほうを向こうとしたときにすっと手を挙げている女子が目に入った。いかにも運動部に入りますというような明るそうな子だ。無視するわけにもいかないので右手を差し出して発言を促した。


「えっと趣味とか部活に入る予定なのかとか聞きたいことはいっぱいあるけど、それよりも――のこと覚えてる?」


 クラス内に今日一番のざわめきだった。思わず身動ぎをしてしまうほどの声量。ただなぜ彼らがそんなにも反応を示したのか奏太にはわからなかった。

 質問をした女子は窓側のほうに視線を向けていた。いや、彼女だけではない。クラスの半分ほどはそちらの方向を見ていた。

 つられて視線を動かす。かなり大勢の人が見ていたので特定するのはすぐだった。

 みなみというのは彼女のことを指しているのだろうと思ったとき、彼女は俯けていた顔をあげた。その視線とちょうどぶつかる。

 髪はロング。手入れが大変そうだなと思うくらい長い髪で烏の濡れ羽色をしている。鼻筋が通っていて、涼しい目とふっくらとした唇がいいバランスでおさまっている。

 控えめに言って美少女だった。

 数秒ほど見つめ合い、恥ずがしげに目を逸らされる。奏太はいつの間にか止めていた息を軽く吐き出した。


 ――いや、だれ⁉


 見つめられているということもあって表情をなんとか保ったまま、内心では首を傾げる。彼女のことは初対面という言葉がしっくりきすぎるほど初対面だった。じっくり思い出そうとしても、似ている人物は浮かびもしない。

 そもそも、今まで見知った人物のなかに「みなみ」という名前を持つ人とは会ったことがない。

 そうなると、質問に対する答えは簡単だ。覚えていない――知らないというのが適切だろうが――ということになる。

 ただ、クラスの雰囲気が少しおかしかった。

 こちらを見ている視線に何かしら期待しているようなそんなものを感じる。

 奏太は少し考えて、理解した。

 クラスの美少女が転校生と知り合いだったという偶然とは思えない展開に期待しているのだ。なかなかないけれどあったらいいなという妄想が現実的に起こっている。たしかにわくわくする気持ちもわかる。自分も彼らと同じ立場だったらこの運命の再会かもしれないものを見るのに心躍っていたに違いない。

 けれど、実際には彼女とは初対面だ。

 どう答えるべきなのだろうか。

 正直にありのままを話すことはできる。奏太はいまだに視線の先にいるみなみという少女を見た。深窓の令嬢ふうな彼女は目をうつむかせている。こんな状況は彼女にとっても初めての経験だろう。耳が真っ赤になっているのを見るにとても恥ずかしがっていそうだ。それなのにあなたとは知り合いでもなんでもないですよと言わなければいけない。


 ――地獄かな?


 自分にとっても、彼女にとっても。


 奏太に向けられている期待の視線が失望に変わるのは容易に想像ができる。これからの学校生活のスタートとしてはあまりいいものにはならないかもしれない。ただこちらにとってはそれだけとも言える。

 問題は彼女のほうだ。友達が言い出したことだとしても、見知らぬ同級生と知り合いだろう雰囲気を出してまったくの人違いだということがクラス中の注目を浴びた状態で知らされる。


 ――恥ずかしくて死にそうになるわ!


 今の姿を見るに顔から火が出るという言葉が本当に現実になりそうだ。

 もしかしたら、数日は学校に来れないほどの精神的ダメージを負うかもしれない。自爆という言葉が最も適切だとしても。

 むしろ奏太は彼女の爆発に巻き込まれた被害者だ。それにもかかわらず最後の鉄槌を下す役目を仰せつかっているという意味のわからない立場に立たされている。

 内心でため息を一つこぼす。

 会ったばかりの少女に対して精神的ダメージを与えたくて言うわけではないが結果的に与えてしまう。それで彼女の学校生活に何かヒビが入るとしたら、その責任のいくらかは奏太にやってくることになる。そんなものを持てるほど大きな人間ではないのだから取れる選択肢は一つだ。


「はい、覚えてますよ」


 なんの含みも感じさせないような笑顔とともに肯定した。その瞬間、クラスは真っ二つの反応に割れた。黄色い声をあげながら、喜んでいる女子と男子の一部。もう一方は落胆の表情をしている男子とどうでも良さそうな女子。

 前者は運命の再会に期待していた生徒たち。後者は美少女に淡い想いを抱いていた生徒たちだろう。

 後者のほうの男子たちに対して申し訳ない気持ちでいっぱいになった。これはすべて彼女を守るためなんです、と心のなかでつぶやく。

 それに、このあと彼女と二人きりになったときにすべてを話すつもりなのだ。ああいう状態だったので嘘を吐いてしまいましたと。なので、男子諸君の恋はまだ終わっていないんだぞとエールを送った。

 視線を下げていた彼女がいつのまにかこちらを見ていた。何もしないのも先ほどの言葉が嘘くさくなりそうだったので、小さく手を振って微笑んだ。みなみはそれを見てどこか恥ずかしげに笑った。

 このあと彼女を盛大に曇らせつつ恥ずかしがらせるということを思うとその綺麗な笑みにまったく喜ぶことができない。


「それじゃ、柚木くんは廊下側の空いてる席に座ってね」


 様々な感情入り交ざる教室のなかである意味、空気の読めない先生の声が響いた。時計を見るに一時間目が迫っているから仕方ない――奏太としては助かった――のだろうけれど。

 もう一度軽く頭を下げて、空いている席へと向かった。


 朝の連絡事項を丁寧に話す先生の話を聞いていると、学校に通い始めたという感じがする。廊下に立っていたときに感じていた緊張感が綺麗になくなっているかわりに、変な緊張感が自分を覆っていることに気づいた。


 ――まあ、なんとかなるか。


 緊張感を振り払うようにそう思い込んだ。これから楽しい学校生活が始まるのだと信じることしかできることはないのだし。

 話し終えた先生は一度奏太を見た後に教室を出ていった。と同時に幾人かのクラスメートたちが動き出した。早かったのは前に座っているみなみとのことを尋ねてきた少女だった。


「や、これからよろしくー」


 なんとも緩い挨拶に苦笑した。


「柚木です。これからよろしくおねがいします」

「もっと砕けていいよ。そっちも疲れちゃうでしょ? あ、そうそうあたしは柳野愛海やなぎのまなみね」

「……よろしく、柳野さん」


 いきなり馴れ馴れしすぎるわけにもいかないので、敬称をつけたまま話した。愛海はそれに不満そうな顔をしたが、一旦それは横においておくことにしたらしい。


「それでさ! みなみとのこと聞いたよ」


 来たか、と思った。同時にラッキーだとも思った。

 みなみという少女に対しての情報が欲しかったのだ。二人きりになるまでの間とは言え、彼女の知り合いとして行動しなければいけない。クラスメートに不信がられないように少しでもみなみのことが知りたかった。

 ただ迂闊なことは言わないように気をつけなければいけない。クラスのみんなの前であんな秘密を暴露してしまう女子なのだから。

 だからといって、悪い女子だとは思っていないけれども。

 自分の口にチャックをして耳を大きくする。

 彼女が口を開こうとしたときだった。


「柳野さん!」


 突然、近くで大きな声がしたので肩が震える。

 愛海はにやっと笑った。


「ああ、ごめんごめん。話しすぎちゃったね、あとはお二人さんで!」


 そう言うと席を立って廊下へと歩いていってしまった。

 残ったのは椅子に座ったままの奏太とその隣に立ちつくすみなみ。

 いやに静かに感じる教室内。全員が聞き耳をたてているかのようだった。

 とりあえずは演技をしなければいけない。

 そう思い、なんて声をかけたら自然なのかと悩んでいると彼女から声をかけてきた。


「か、かな……柚木くん。……おひさしぶりです」

「久しぶり――みなみさん」


 彼女の名字を知らないので必然的に名前を答えるしかなかった。

 本当の彼とはどう呼び合っていたのだろう。どの年代での知り合いなのかは定かではないので詳しくはわからないが、名前で呼びあうような間柄ではないような気がした。男というのは女の子のことに関しては恥ずかしがることが多い。


 ――それに。


 あたふたとしている目の前に立っている少女。明らかに名前呼びではなかったような反応だ。その反応に周りがいらぬ勘違いをしてしまっても困るので、名前呼びに対してのフォローという意味で言葉を続けた。


「……えっと、ごめん。久しぶりで舞い上がっちゃって名前で呼んじゃいました。嫌ですか?」


 小首をかしげる。それに対してみなみは一生懸命にかぶりを振った。

 一安心しながら、かなたは頭を悩ませていた。

 彼女とはどういうふうな口調で話せばいいのかがよくわからない。今はとにかく優しい男子というようなイメージで話しているのだけれども。十中八九、「彼」はこんな話し方ではない。


「……柚木くん。ずいぶん変わりましたね」


 かぶりを振り終わったみなみは髪をいじりながらつぶやいた。やはりというべきか、こんな男ではなかったようだ。

 けれど今さら普通に話すのは違和感があるし――恥ずかしい。事情を話すまでの我慢だと自分に言い聞かせながら、口を動かす。


「みなみさんの隣にいても恥ずかしくないようになりたかった……からです」


 恥ずかしげに口元を手で隠し、目を見てはっきりと話す。照れたような反応になっているだろうかと内心では不安だったが、表情には出さないように気をつける。

 奏太としては今までの彼女の生態からして頬を赤らめるか、顔を俯けるかを想像していた。

 だからこそ、対応が遅れた。


「――っ⁉」


 柔らかい感触が体を包み込んでいる。筋肉なんてものがついているのか怪しいほどの腕に体を捕まえられている。顔の近くにある髪から――いや髪だけではないかもしれないが――は、男からは漂ったこともないような匂いがした。

 柚木奏太は抱きつかれていた。

 さすがにこんなことは経験したことがないので、体に力が入りそうになるが、それすらもしていいのかわからない。なすがままになっていると、体をロックしている腕を少し緩めてくれた。


「――覚えてて、くれたんですね」


 今度は違う意味で体が硬直しようとした。


 ――え、なにが?


 その疑問はいつの間にか席に戻ってきていた愛海から答えが返ってくる。


「柚木くんはみなみと、とある約束をしていたのだー!」


 聞き耳をたてていた生徒たちにどよめきがはしる。


「どんな約束なの?」


 至極、あたりまえな合いの手が入る。待ってましたと言わんばかりな顔で愛海は話した。


「それはね……みなみの理想の王子様さまになってくれるってことだー!」


 黄色い悲鳴がクラス中に響く。奏太としては違う意味で悲鳴をあげたかった。

 とりあえずこの抱き合っている状態から脱しなければいけない。


「みなみさん、どこにもいかないので今は離れてくれませんか」


 子供をあやすように優しく語りかけた。


「……うん」


 聞き分けがよろしい子供のようにすぐに離れてくれた。思ったよりもあっさりとしていて、拍子抜けするほどだった。

 その彼女のことを見ると、頬の口角がやや下がっているような気がする。それでもなお凛とした表情が崩れていないのはさすがと言うべきなのだろうか。

 いまだに何やら話している愛海のことを意識の外において――


「約束ってさ、柳野さんが言っているようなことじゃないよね?」


 彼女の耳元で囁くように尋ねた。

 そんな内容なわけあるかと思ったからだ。「王子さまになってくれる」なんて言葉は男女どちらからしても恥ずかしいことこのうえない。恥を感じる前の年齢のことだとしたら、そんな王子さまなんて抽象的な言葉を使うのだろうかという疑問もあった。


「――うん。でも本当の約束はふたりだけの秘密だから」


 同じようにしてみなみは肯定した。けれど約束をしたというのは本当のことらしい。

 約束の内容というのはわからないままだったが、事情を話すまでの関係性だから知らなくても問題はない。

 そう考えて、奏太は気づいた。


 二人きりになるまでの間、彼女の王子さまのように振る舞わなければいけないのでは、と。

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