第四話 バスケ? 少しだけできますよ。少しだけね。
「うわー、ぜんぜんわかんなかったー‼」
地理の授業が終わって出た愛海の第一声がそれだった。気持ちはわかる。問題の難易度は復習――奏太の場合、授業を受けていなかったので予習だったが――していないと解けないと感じるほどには難しいものだった。意図せず徹夜をしてしまったが、それがなければ今ごろ自分も彼女と同じようなことを口走っていたかもしれない。
これからも勉強は続けようと心に誓う。
「そういえば、他の授業もこんなふうに小テストとかあったりするんですか?」
テストがあると知っているのとそうでないのとでは大きな違いがある。情報収集の意味で愛海に訊いてみたが、答えは別の人物から返ってきた。
「他にもいくつかありますよ」
腕に教科書を抱えたみなみだった。彼女が言うには英単語の小テストや数学の小テストなどが他にもあるらしいのだが、彼女たちもまだそれは受けたことがないらしい。
「柚木くんは先ほどの小テストは大丈夫でしたか? 授業を聞いていないと難しいと思ったんですけど」
「ぼちぼちってところ、です」
ドヤ顔を炸裂させて「満点だぜ」と言いたいほど自分の中では会心の出来だった。けれど、王子さまとして通っているのでそんなことはできるわけもない。点数も言わないで曖昧な表情をしてみせた。
「柚木くんは満点だったよー」
紙を盗み見ちゃったと笑いながら愛海は謝ってくる。
――あぶねー!
もしまったく問題が解けていなかったら、それすらもバレてしまっていたということだ。人のテストの点数を見るなと言いたいのだがそれは少し難しかった。このクラスではプリントを前に手渡しで送っていくスタイルなのだ。見ようと思っていなくても後ろの席の人のプリントは見えてしまう。裏返しで送ろうものなら隠しているものがあるというのが筒抜けになってしまうし、どうしようもない。結局は見られても恥ずかしくない点数をとるということに落ち着くのだ。
「さすがですね!」
みなみは手を合わせて感心する。
――さすがって……。
その言葉もそうだが何よりも雰囲気でわかる。みなみは奏太ならこれくらいできていてもおかしくないというふうに思っているのだと。あなたの目の前にいるのは大して能がない一般人で、ただ見栄を張っているのだと言えればどれほど楽なのだろうか。昨日の時点で彼女に真実を伝えれなかった時点でそんなことは不可能になってしまっているけれど。
みなみは「かなた」は昔から頭が良かったのだと愛海に語っている。こういうところから噂は広まっていくんだなということをしみじみと思った。
昼は昨日と同じメンバーで食事をすることになった。場所も同じで食堂だ。
熱々のカレーライスを口に運ぶ。市販のルーとは別の辛さが口に訪れる。辛いけれど美味い。語彙力のない奏太にはそうとしか表現できないが本当にそうなのだ。
――こういうところでも知識の無さがバレたりするのか?
福神漬を合間にはさみながら、そう思っているときだった。
「柚木は明日の体育の授業は受けれるのか?」
大毅がコップをテーブルに置きながらそんなことを言った。そして、奏太は重大なことがすっかり頭から抜けていることに気づいた。
――やっべ、運動神経のほうはなんも考えてなかった‼
勉強はまだどうにかなるが、運動――というかスポーツのほうはそう簡単にはいかない。脳内でテンパりまくっている奏太だったが、おくびにも出さないように気をつける。
「医者からなんの問題もないと太鼓判を押されているので、大丈夫ですよ」
今からでも怪我をしていると訴えに行ったらそういう証明書を貰えたりするのだろうか。
――下手したらまた入院になりかねない、かも。
嘘を吐くと碌なことにならないと学んだばかり。一時の楽のために安易な選択は取るべきではないと直感が囁いていた。
魅力的な案だったが、泣く泣くその方法を諦める。
「先週までは体力測定だったんだけど、明日からはバスケなんだ。早くやりてーよな」
「そうですね」なんて言いながら、力なく相槌を打つ。体力測定をしていないのでそれも近いうちにやらなければいけないかもしれないがまずは明日のほうが大事だ。
――バスケ⁉
奏太は中学の頃、バスケ部だったなんてことはまったくない。授業でしかやったことはないくらいバスケとは縁のない生活を送っていた。
イメージだが、バスケは身体能力やセンスといったものが特に大事なスポーツのような気がする。
そんなスポーツを大して運動神経もよくない奏太がやらなければいけない。それもスポーツの才溢れる「かなた」のように。
――いや、無理!
もはや不可能だと断言したくなるほど難易度が高い。だが、不可能だからといってあきらめるというわけにはいかないのだ。
自分の学校生活のため。みなみの精神のために。
「ありがとうございましたー!」
なかなかのお値段のバスケットボールをスポーツ量販店で買って、奏太は走り出した。いずれ追試験という形で行われるであろう体力測定のためにも身体能力の向上は急務だ。荷物を持ちながら走るというのはかなり疲れるが、それも穏やかな学校生活のためなのだから我慢するしかない。
走ることしばらく。家から三駅分ほど離れたところにあるバスケットコートに着いた。マップを確認したところ、近くに民家がない場所はここしかなかったのだ。
汗が首を伝って、地面に落ちる。息が乱れてかなり苦しい。
だが、時間が惜しい。あたりを見回し誰もいないことを確認すると、コートに足を踏み入れる。
奏太にはもちろんバスケの知識なんてものはない。なので、動画サイトを開いて「バスケ 練習」で検索をかける。経験者たちのこれをすれば上手くなれるという本当かどうかわからない内容のものがたくさんヒットした。とりあえず一番上に出てきたものを開いて内容を見る。
『これを見れば一瞬でバスケができるようになーる!』
よくわからない着ぐるみの男性――声がそうだった――がハイテンションで言った。
「嘘くさいな!」
思わずつっこんでしまう。
けれどもっとも再生回数が多い動画がこれだった。再生回数が多いということは効果があるということだろう。
「すみません! 先生‼」
奏太は勢いよく頭を下げた。
昔、何かで聞いたことを思い出したからだ。
本当に何かを覚えたいのなら、教えてくれる人のことを心底信じ、好きになったほうがいいのだと。
確かに教えてもらう人を信じなければ、その人が教える技術を覚えれるわけもないように思える。
この人はスターを生み出しているコーチだと自分に言い聞かせる。何度も自分に言い聞かせる。そう自己暗示のように。
『さあ、まずはドリブルからだな!』
「はい、先生!」
星乃凛は家路を急いでいた。友人の誘いを断れず、部活動の体験入部を一緒に巡ったのはいいがこんなに遅くなるとは思っていなかった。
――大丈夫かな。
家にはまだ小学生の弟が一人で留守番をしている。いつもどおりなら居間でゲームをしているだろうが、何が起こらないとも限らない。早足気味に歩を進めながら、ふと思い出した。
隣の席の男子に花丸を書いてしまったことを。
あれはここ最近のなかでは一番のやらかしだった。いま思い出しても、顔に熱が集まる。満点をとったら花丸を書くというのが弟の問題の丸つけをするときの約束なのだ。それでうっかり書いてしまった。奏太に顔を見られていないかを心配しながら、つぶやいた。
「なんで……」
あんなことをしてしまったんだろうか。少し歩調を緩める。凛はローファーのつま先を見つめながら思案する。
唐突に鞄が震えた。ビクッとしながら、携帯を取り出すと母からだった。仕事が早く終わったので家にいる、弟のことは心配しないでいいという内容だった。
心のつかえが取れたので、一安心したと同時に答えを見つけた。
――奏太と弟がどこか似ているからだ。
顔立ちなんかは全く似ていない。けれど雰囲気が似ているような。具体的にはどこなんだろうかと、同級生の容姿を思い出そうとしたときだった。
リズミカルな音が聞こえる。
ボールを一定間隔でバウンドさせている音。バスケットボールだろうか。
引き寄せられるようにその音に近づいていった。ここらに今はあまり使われていないバスケットコートがあったはずだ。
――え?
柚木奏太がいた。
どうしてという思考で頭がいっぱいになった。
彼はここらに住んでいる人ではないはずだ。一度も最寄りの駅で見たことがない。なら、何をしているのか。
鈍い音が響き渡る。ボールがゴールに弾かれた。
バスケをしに来ているのだ。
凛はぼーっと彼のことを見つめる。格好いいなと素直に思った。
身長はほどほどに高く、筋肉もまたいい具合についている。容姿は中性的というほどではないがどこか女性らしい柔和さを持ち合わせているが、男性らしいところも垣間見える。奏太の容姿を貶すのはそれこそ彼に嫉妬している人くらいのものだと断言できるほど。
――それに。
小テストのことを思い出した。彼は頭もいい。教えられてもいない範囲だというのに苦もなく満点をとっていた。先生にバレないようにこっそり点数を盛ろうとしていたのだが、そんな必要は皆無だった。
――たしか運動神経もいいって……
ガコ――ッとリングに弾かれた音が鳴り響く。
そのボールを追いかけながら、何事かつぶやいているようだ。
彼はバスケ部に入るつもりなのだろうか。一度はそう思ったが、疑問が浮かんだ。
――それにしてはあんまり上手くない?
高校のバスケ部に入るという生徒はだいたいが中学でもバスケをやっていたという人が多い。けれど、素人目から見ても彼が経験者のようには見えなかった。なら、どうしてバスケの練習をしているのだろうか。
凛はまじまじと練習している彼のことを観察して――
そんなことはどうでもよくなった。
彼は一生懸命だった。
――自分とボールしか存在しない世界にいるみたい。
人はここまでなにかに熱中することができるのだと凛は初めて知った。
だからだろう。彼が先ほどよりも上手くドリブルをできたらこちらも嬉しくなる。シュートを外すとこちらも「ああっ」と声が出てしまう。
だんだんと上手になっていく彼のプレーを見てどのくらいの時間が経ったのだろう。
ポケットに入れていた携帯が再び震えた。母からだった。
――まずい。
すでにあたりは暗くなっていた。早く帰らないと怒られてしまうかもしれない。
最後に一度だけ彼のことを見返す。
――頑張れ。
凛は家路を急いだ。
「あれが柚木くん?」
その声に凛は思わず振り返ってしまった。見知らぬ女子生徒だ。体育は他のクラスと合同授業なので他クラスの子だろう。男子と女子は別々のスポーツをすることになっている。女子は卓球だ。体育館の二階にある卓球場で行われるのだが、これといって練習というものはない。
なんでも何回か授業をした後に、どのくらいラリーができるかのテストをするらしいが、逆に言えばそれだけとも言える。
なので、どこか緩い雰囲気が漂っていた。そんなときだった彼の名前が出たのは。
凛もこっそりと盗み見るとそこにはコートに立つ奏太がいた。
男子はこれから試合形式のゲームをするようだった。相手側にはかなり身長の高い生徒がいる。いかにもバスケができそうなそんな見た目だ。
昨日のことを思い出すに奏太はそこまでバスケが得意ではないのだろう。
――大丈夫、かな。
凛の心配など問題ないとでも言うかのように彼は微笑を浮かべていた。とてつもない自信をその笑みからは感じるが――
笛の音が体育館に巡る。
音とともに彼の笑顔が消えた。その瞬間だった。
奏太の姿がぶれたと思ったときにはすでに相手を抜き去っていた。
昨日最後に見たときとはなめらかさがまるで違う。するすると相手がどいているかのごとく抜いていき、最後はバスケットリングにボールをシュートした。綺麗な軌道を描きリングに吸い込まれていく。
誰もが止まったなかでボールのバウンドする音だけが体育館を支配する。彼は再び、微笑を浮かべていた。
その後も奏太は大活躍だった。同じように自分でシュートを決めることもあったし、時には絶妙なタイミングでパスをして味方に気持ちよくプレーさせていたりした。味方は頼もしい彼がいてのびのびと動き、相手も負けん気が生まれたのか必死にプレーをした。
――どっちも楽しそうだったな。
女子はそれを見て、奏太のことを天才だのなんだのと言っている。
けれど、凛は昨日の練習風景を思い出した。才能はあるのかもしれないが、それだけでもない。
そのことを知っているのが自分だけだと思うと――
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