第25話 襲撃再び Ⅰ
月明かりのない夜だった。備え付けのオイルランプに灯された火が、館の廊下を照らしていた。
揺らめく明かりの中、廊下を歩く人影が三つ。中央にいるのはローブ姿の男性――ユスフだ。その横には武装した男たち。いずれもこの離宮を警備している衛兵だった。彼らの他に人影はなく、館はずいぶんと静かだった。衛兵の履いている鉄靴の音がずいぶんと大きく聞こえる。三人の向かう先はこの離宮の主、オフィーリアの部屋だ。
ふと、邪魔するように廊下の先に人影が二つ現れた。それを見てユスフたちの足が止まる。
燭台の光の中に浮かび上がるのはカークウッドとスケアクロウだ。
「お出迎えが遅れて申し訳ございません。ユスフ様」
カークウッドが慇懃な様子で挨拶をする。
「お前がマーコム殿の言っていた執事か。横にいるのは……」
「近衛騎士団、スケアクロウッス」スケアクロウが僅かに身構える。
「メイナードが寄越したのは一人だけ、か。警備の者は皆、反対側に回っている。少々騒いだ所で誰も来ないぞ?」
ユスフの言葉に左右にいる衛兵たちが剣を抜いた。
「存じております。もう少し多い人数でお越しになられるかと思っておりましたが、拍子抜けいたしました」
「抜かせ」
衛兵たちが走った。前後にずれて僅かな距離を保っている。廊下は大人が四人、並んで歩けるほどの幅だった。だが二人並んで、同時に剣を振るうには狭い。
「正面切っての戦いはあまり得意ではありません。期待してますよ」
カークウッドが言う。スケアクロウは視線だけで執事を見る。
「意外ッス。俺のこと信頼してくれるんッスね」
スケアクロウは本気で驚いているようだった。
「オフィーリア様の護衛に寄越したのは貴方一人。しかもその若さでマジックアイテムまで与えられてるということは、相当
カークウッドの言葉にスケアクロウはニヤリと笑う。そこに普段見せる軽薄さはない。鋭い視線が衛兵たちへと向けられていた。
「じゃあいっちょ、期待に応えるッス」
ドンという音と共にスケアクロウの姿が消えた。両脚の
驚いて先頭の衛兵が足を止めた瞬間、スケアクロウの体が回転した。左脚を軸に左へ半回転。右脚が鋭く上がり鉄のブーツが衛兵の側頭部を捕らえる。鈍い音が響いて衛兵が吹き飛んだ。
「!」
スケアクロウは振り抜いた右脚を降ろすことなく、今度は脚を伸ばした。半身になりながら残りの衛兵へと蹴りが飛ぶ。衛兵はそれをなんとか躱した。
右脚を引き、左脚一本で立った状態でスケアクロウが相手を睨む。衛兵は距離をとったまま剣を構えている。
先に動いたのはスケアクロウだった。左足のつま先と踵を交互に使い、特殊な歩法で相手との距離を詰める。同時に右脚の膝から先が踊った。相手の剣を軽く弾き、体の正面から外す。そしてすぐに踵で剣を持つ手を叩く。剣を落とすことはなかったが、衛兵の上半身がつられて下がった。バランスを崩し、頭が前に出る。
刹那、右脚が上がった。つま先が相手の顎を捕らえ、見事に真上へと蹴り抜いた。衛兵の体が僅かに浮く。そしてその場に崩れ落ちた。
「くっ! 〝眠れよ汝ら〟」
ユスフは咄嗟に
スケアクロウの頭がぼやけた。瞼が重くなりいまにも目を閉じてしまいそうになる。
「まずいッス」
衛兵を倒すことに気を取られていたため、魔術に
「お見事でした」
すぐ横でカークウッドの声が聞こえた。目の前に青白い炎を纏った手が現れた。その手が軽く額に触れた瞬間、キンッ――という硬質な何かが割れるような音が響いた。
スケアクロウを襲っていた眠気が一気に消える。倒れることなくその場に両脚で立つ。
「助かったッス」
「馬鹿な。あれで
ユスフが驚いた表情を浮かべた。
魔術には術式が必要であり、魔力によって組む必要がある。それには時間がかかる為、通常は予め術式を組み、星気体に刻んでおく。刻んだ術式は呪文を唱えることで呼び出だせる。
魔術を行使するには、決められた手順が必要なのだ。
それは破術であっても変わらない。
しかし執事は術式を組んだ様子もなければ、呪文を唱えた様子すらなかった。ただあの青白い炎を纏った手で触れただけだ。
「貴様、何者だ!?」
ユスフの視線はカークウッドに向けられていた。カークウッドの右目に、右手と同じ青白い炎が宿っていた。それを見たユスフが更に表情を変える。
「それはまさか……魔眼か?」
「そうです〝
「〝式視の魔眼〟……初めて聞く魔眼だが、イルマ皇子にかけた魔術を破ったのはそれか。破術はその右手で行うのだな」
「さすが魔術師殿。理解が早い」
ユスフが後ずさりカークウッドから距離をとる。その額には汗が流れていた。次に使う魔術を頭の中で考える。逃げるための魔術か攻撃するための魔術か。逃げるならもう一度眠りの魔術を使うのもありだ。
一度呪文により呼び出せば術式は消費される。再度、星気体に刻むか術式から組まないと魔術は使えない。但し同じ術式を複数刻んでおけば話は別だ。眠りの魔術はあと二つ持っている。ある程度の範囲はカバーできるから、カークウッドたちに使うのなら一つで十分だ。
だが相手の精神や肉体に直接働きかける魔術は、来ると分かっていれば抵抗されやすい。ふたりとも抵抗に成功すればユスフが逃げることは叶わない。逡巡した後、ユスフは逃げるのではなく、二人を殺すことを選んだ。自分の存在を知っている以上、逃げても意味はない。
「〝凍てつけよ
呪文により術式が解き放たれる。ユスフの視界内の床が、壁が、天井が、その全てが凍り始めた。
スケアクロウが咄嗟に退いた。足元に風が起き背後へ力強く飛ぶ。
カークウッドは床を這うように迫って来る氷に向かって右手を当てる。刹那、氷が砕け床にまで達した右手を中心に、放射状に凍らない場所ができた。
「ほう。破術できるのも限定的らしいな。ならこれはどうだ? 〝刻まれよ汝〟」
ユスフの放った術式が風の刃を生み出した。カークウッドの周りを囲うように発生し、その身を包もうとする。
「ッス!」
突如、カークウッドを守るように風が生まれ、囲っていた風の刃が霧散した。彼の背後、少し離れた場所に片脚立ちになったスケアクロウが立っていた。右脚の鉄製ブーツが燐光を放っている。
「助かりました」
「さっきのお礼ッス」
スケアクロウがカークウッドの横にやってくる。二人はユスフを睨み付けた。
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