第24話 計画の破綻
「一体何が起こったというのだ!?」
部屋に入って来るなり、マーコムの拳が机に振り下ろされた。その音の大きさにユスフが驚いて体を震わせる。あまりの剣幕に魔術師は慌てて椅子から立ち上がった。
二人がいるのは王宮にある巨大な城館。宮廷魔術師たちが控えている区画の一室だ。
「マーコム殿、落ち着いてください」
机越しとはいえ掴めない距離ではない。ユスフは近づいて掴まれないよう、両手のひらをマーコムに向けて言った。
「いきなりどうされたのですか?」
「イルマ皇子の件だ! ユスフ殿はもう皇子は――」
「マ、マーコム殿。声が大きい。ここは仮にも王宮なのですぞ!」
言われて、マーコムは自分が何処にいるのか思い出したようだった。口を閉ざし、焦ったように辺りを見回す。ここはユスフの個室なので二人以外に人間はいない。外から誰かやってくる気配もなかった。
「……イルマ皇子の病状が快復したぞ」声を潜めてマーコムが言う。
「馬鹿な。それは確かなのですか?」
「ああ。キーラン殿下が私の所に駆け込んできた」
イルマが病に倒れたのはマーコムとユスフの仕業だということは、キーランも知っていた。彼自身が指示したわけではない。だが自らが帝位に就くためにも、マーコムの動きを黙認していたのは確かだ。
「昨日から急にな。今は意識もはっきりしているらしい」
「まさか誰かが
「それ以外に考えられん」
声を潜めたことで落ち着いたのか、マーコムが近くの椅子に座り込んだ。
「あれはまだ知られていない私独自の術式です。破術をするにしても
「だが現にイルマ皇子は生きている」
「体の中の触媒は残っているはずです。もう一度魔術をかければ……」
「馬鹿者」マーコムは顔を上げてユスフを睨んだ。「宮廷魔術師はもう目を付けられておる。お前はその筆頭だぞ。簡単には近寄らせてはくれまい」
「しかし、誰がいったい……
ユスフも椅子に座り直した。机に両肘を付き手を組と、それで口元を隠すように顔を乗せる。視線は床へと向けられていた。
「……昨日、オフィーリア様がイルマ皇子に面会したらしい」
「オフィーリア様が? 外の魔術師を連れて来たのですか?」
「いいや。執事と二人きりだそうだ」
「ならば
「わからん。私がキーラン皇子派だというのは周知の事実だからな。詳しい情報がこちらに流れてこんのだ」
それっきり二人とも黙ってしまった。途中までは上手く行っていたのだ。イルマを排斥できれば次の皇帝はキーランにほぼ決まる。オフィーリアを担ぎ出す連中はいるだろうが、そちらも近々手を打つはずだった。だが、ここ数日でずべてがひっくり返ってしまった。
おかしくなったのはオフィーリアの暗殺を企てた辺りからだ。イルマ派を一気に叩こうとした結果がこれだ。
「引きこもり皇女と侮っていたのが悪かったのか」
マーコムがぽつりと呟いた。
〝死なずの〟オフィーリア。二度も死の淵から甦った、ペルンデリア帝国第三皇女。天運というものがあるのなら、彼女はそれを持っているのかもしれない。
「いずれにせよ、いま一番邪魔なのはオフィーリア様だ。このまま行けば〝聖痕〟を持つ皇女どころか、聖女として祭り上げられるぞ。そうなったらこれから先の脅威になりかねん」
そしてそれは遠い未来のことではない。間近に迫った危機なのだ。特にマーコムとユスフにとっては。
「向こうに魔術に対抗できる手段があるのなら、いままでのような小細工は無駄でしょう。私が直接乗り込みます。離宮の警備の方を抑えてください」
ユスフがマーコムを見て言う。その表情には以前、様子見を持ちかけたような余裕はなかった。会心の魔術が破られたのだ。心中穏やかではないのだろう。
「分かった。手間をかけさせるが頼む」
ここまで来たら後には引けない。やるなら徹底的にだ。ユスフを見返すマーコムの目には、そんな決意が込められていた。
扉のすぐ外――ローブを着た女性がその場を去って行く。短く切りそろえられたダークブラウンの髪が微かに揺れた。彼女の歩みに足音はなく、気配すらも殺した動きだった。
◆
昼下がり、オフィーリアは離宮の庭園を散歩していた。
「貴女も懲りませんね。また襲われるかもしれないというのに」
呆れたようなカークウッドの声が聞こえる。
「しくじったのに何度も同じ手は使わない。そう言ったのは貴方でしょ? それにずっと部屋に引きこもっているのは
振り返ることなくオフィーリアは答える。その足取りもしっかりしており、恐る恐る歩いているという様子はない。それを見てカークウッドはため息をつく。
「脳天気というか、度胸があるというか……何か動きがあればすぐに連絡がくるでしょうから、明るいうちはまぁいいでしょう」
それは王宮を見張っている者がいるということだ。誰とは言わない。だがオフィーリアには分かっていた。シルヴァが見張ってくれているのだ。
「それにしても……なぜ貴方がここにいるんですか?」
「ハティはオフィーリア様付きのメイドです! オフィーリア様にはハティが必要なんです!」
オフィーリアのすぐ後ろ、カークウッドの横を歩いていたハリエットが慌てたように言う。傷がすっかり回復した彼女は、今日も元気だった。
「いえ、貴女ではなく」
そう言ってカークウッドはオフィーリアより向こう、まるで斥候のように先頭を歩く人物に目を向けた。
「えっと……メイナード団長から皇女殿下の護衛につけって言われたッス」
答えたのはスケアクロウだった。いま彼は近衛騎士団の制服を着ていない。かといって騎士としての重装鎧を着ているわけでもない。
上半身は
今朝、王宮からこちらへやって来たのだ。
「いやぁ、離宮は初めってッスけど、すごい庭園があるんッスね」
スケアクロウは軽口を叩きならが辺りを見回す。景色を楽しんでいるように見えるが、彼の動きには隙がなかった。
四人はオフィーリアを中心にして先頭にスケアクロウ。後ろにカークウッドとハリエットという配置で歩いている。
この前のように賊が現れれば、すぐに対応できるだろう。
「この庭園はオフィーリア様のお気に入りなのです! もちろんハティも好きなのです!」
なぜか胸を張ってハリエットが言う。その様子を見たわけではなかったが、容易に想像できてしまいオフィーリアがくすりと笑った。
「ハティちゃんも気に入ってるんッスね」
「駄目です。ハティをハティと呼んでいいのは、オフィーリア様とハティの部下であるカークウッドさんだけです。スケアクロウさんは近衛騎士団なので、ちゃんとハリエットと呼んでください!」
「えー。せっかく可愛い
スケアクロウが情けない声を上げた。
可愛いと言われて満更でもなかったのか、ハリエットが大きく目を見開き、一瞬嬉しそうな表情になる。だがすぐに表情を引き締めた。
「ハティはそんな安い女じゃないのです。でも、しょうがないですね。ハティと呼ぶことを許してあげます。オフィーリア様の護衛をしているので特別です」
「マジッスか。ハティちゃん、これからよろしくッス」
スケアクロウが振り向いて言う。その顔にはやんちゃ坊主が浮かべるような笑顔があった。
そんな二人の様子を見てオフィーリアは笑い、カークウッドは呆れた表情で見ていた。
突如、四人の前に空から鳩が降りて来た。剪定された庭木の上に止まる。
スケアクロウの表情が一瞬にして変わった。お調子者から騎士のそれへと。
「待ってください」
何やら動こうとしたスケアクロウを止めるように、カークウッドが言った。鳩はカークウッドを見ると、彼の元へと飛んで来た。
「私への連絡です」
鳩の脚には小さな筒と反対の脚には足環が取り付けてあった。足環は鳩の向かう先を設定できる
カークウッドは筒の方を取り外すと、中から小さな紙切れを取りだした。
「思ったよりも早く動きそうです。覚悟はよろしいですね、皇女殿下?」
カークウッドはオフィーリアを見て言う。オフィーリアは表情を引き締めると執事へ頷いてみせた。
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