第10話 駆け引きは苦手

「オフィーリア様、お呼びでしょうか?」


 合図をすると、カークウッドが部屋へと入って来た。オフィーリアは椅子に座ったまま、彼を見ていた。

 黒のスーツに薄く色の入った片眼鏡モノクル。バシェルのような風格はないが、それでも仕事の出来る執事といった印象を受ける。


「右腕は大丈夫なの?」

「幸い、傷は浅かったので。心配してくださり、ありがとうございます」

「お礼を言うのはこちらよ。助けてくれてありがとう」


 カークウッドは頭を下げた。

 彼が自分を殺しに来た人物かもしれないと考えると内心穏やかではない。それを顔に出さないように気をつけながらオフィーリアは微笑んでみせる。


「…………」


 だがそれ以上、何を言えばいいのか分からなかった。そのまま黙ってしまう。微笑む為に上げた口角が引きつり始めた。


「……あの、もうご用件はお済みでしょうか? でしたら私は失礼したします」


 何も話さないオフィーリアを見て、カークウッドは慎ましやかに訊いた。


「あ、ちょっと待って」オフィーリアは慌てて呼び止める。「えっと……」


 上手く言葉が続かない。訊きたいことがあるのにどう話せばいいのか〝あたし〟であるオフィーリアには分からなかった。こんな時、〝わたし〟ならばどうするだろうか。生命の危険と隣り合わせで生きてきた〝わたし〟ならどう切り出すだろうか。


「オフィーリア様?」


 不思議そうなカークウッドの声と表情。何か言わなければ。こう駆け引きを匂わせるような言葉を。


「あ、貴方、この部屋に来るのは初めてではないわよね?」


 咄嗟に思いついた台詞をオフィーリアは言う。


「は?」カークウッドは間の抜けた声を上げた。「いえ、まぁ。オフィーリア様のご用の折に、何度か伺わせていただいていますが……」

「そ、そうよね」(違う、そうじゃない!)


 オフィーリアは心の中で叫ぶ。彼女は自分を殺しに来た夜の事を、暗に言ったつもりだったのだ。


「申し訳ございませんが、これ以上用件がないのであれば本当に……」

「ふ、不愉快です」


 次に思い浮かんだのは、庭師の攻撃を防いだ時にカークウッドが言った言葉だった。それは仮面の男が言った言葉でもある。同一人物ならこれで気づくだろうか。

 だがカークウッドの反応はオフィーリアが期待していたものとは違った。


「……失礼しました」


 憮然とした表情でカークウッドは言う。オフィーリアにも彼が苛ついているのが分かった。細められた目が、片眼鏡越しに皇女を見ている。

 これ以上引き留めることは無理かもしれない。そもそもが彼女の思いこみなのではないのか。カークウッドの冷たい視線に晒され、オフィーリアの額に冷や汗が浮かんできた。

(あー。あの目、怒ってるよね……って目! そうだ!)


鬼火ウィルオウィスプ!」


 助けてくれた時にカークウッドの右目に見えた青白い炎。あれを見た時なぜそう思ったのか。


 ――その右目、まるで鬼火ウィルオウィスプね。


 〝わたし〟の言った台詞が思い出される。あの時オフィーリアは、仮面の男の右目を覆う青白い炎を見て、同じことを思ったのだ。だから〝あたし〟もカークウッドを見て同じことを思ったのだ。


「先程から訳の分からないことを言っていると思ったら、そういうことですか。いつから気づいていたのですか?」


 カークウッドの雰囲気が変わった。慇懃な態度は相変わらずだが、オフィーリアを見つめる視線は先程とは別の意味で冷たかった。部屋の温度が下がったような錯覚に陥る。

 期待していたとはいえ、突然の変化にオフィーリアの表情が固まった。


「に、庭師から助けてくれた時に、貴方の右手と右目に青白い炎が見えた気がしたから。やはりあの仮面の男は貴方だったのね」


 言ってから、オフィーリアは唾を飲み込んだ。口の中がやたらと乾く。


「あの時に……魔眼を使ったのは一瞬のはずですが」

「魔眼?」


 オフィーリアの問いに答えるように、カークウッドは右目の片眼鏡モノクルを外した。薄く色のついたレンズに隠れて分からなかったが、その瞳は変わった色合いをしていた。瞳の中に二色が混在しているのだ。青とグレーの部分的な光彩異色オッドアイ。光彩のほぼ中央を境にして左右二色に別れている。

 刹那、青白い炎がカークウッドの右目に宿った。


「私の右目は魔眼です。この目を通して物体の構成式が見える。そして――」カークウッドの右手に、目とおなじ青白い炎が宿る。「魔眼で見た構成式はこの右手で触れることで壊すことができます」

「壊す……あの時、剪定鋏を壊してたのね」

「それも見たのですか。存外、目ざといのですね。皇女殿下は」

「!」


 いつの間に距離を詰めたのだろうか。気づくとすぐ目の前にカークウッドの姿があった。くすりと笑うその顔は妖しい美しさがあった。

 オフィーリアは驚いて立ち上がった。その椅子で椅子が倒れる。


「あたしを……殺すの?」


 カークウッドを見つめるオフィーリアの目は怯えていた。それ以上逃げることができないのは、怖くて体が動かないからだ。


「あの夜は自分を殺せるかと私に挑んできたのに、いまは随分と怯えているようですね。皇女殿下は死にたいのではなかったのですか?」

「死にたい――わけないでしょっ!」まるで別人のような表情でオフィーリアは叫んだ。「死んでたまるか! 今度こそお婆ちゃんになるまでキッチリ生きるんだ!」


 叫ぶと体に力がみなぎった。震えが止まり体が動く。オフィーリアの右手が閃いた。

 だが彼女の右手がカークウッドの頬を叩くことはなかった。右手はカークウッドの左手に掴まれてしまう。振りほどこうとするが、少女の力ではそれも叶わない。

 カークウッドは興味深そうにオフィーリアを見た。二人の顔が近づく。


「は、離せ。離……して」


 恐怖とは別の意味で、オフィーリアの鼓動が早くなった。つい口調が弱々しくなる。


「最初に会ったときと随分印象が違いますね。そちらが素ですか?」


 掴んでいた手が離された。オフィーリアはその場に尻餅をつく。


「それに、よく見ると、変わった構成式をしている。継ぎ接ぎ? いや二重になっているのか?」


 カークウッドはしゃがむと、オフィーリアの顎を右手で上に向けた。いつの間にか右手の炎は消えている。


「ちょっと、近いっ」


 オフィーリア顔を背けた。同時にカークウッドの右手を払う。


「いまが素っていうか、多分……〝あたし〟だからよ」

「? どういうことですか?」

「〝わたし〟が〝あたし〟の生まれ変わりだからだと思う」


 オフィーリアの言葉に、カークウッドは眉をしかめた。

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