第9話 違和感

 白昼に堂々と皇女が襲われたとあって、さすがに離宮は大騒ぎとなっていた。

 あれからハリエットは運ばれ、カークウッドもどこかに行ってしまった。

 オフィーリアは湯浴みと着替えを済ませて自室で待機していた。扉の外では衛兵が見張りについているはずだ。


 今更ならが体が震えてくる。今度は昼間に堂々と襲われたのだ。手に持ったティーカップが揺れて中身をテーブルに零した。

 なぜ自分が襲われなければならないのだろう。オフィーリアとしての記憶と経験は、あり得ないことではないと告げている。だが明確な理由が分からない。

 彼女を嫌っていた皇后は今、正気を失って王宮の奥に引きこもっていると聞く。離宮へと追いやられたからは会ってもいない。それどころか離宮から離れたことがないのだ。


 いま王宮では何が起こっているのだろうか。全く何も知らないことに、改めてオフィーリアは気づいた。

 扉がノックされる。オフィーリアの返事と共にバシェルが室内へと入って来た。


「オフィーリア様、ご無事でなによりです」


 老執事の落ち着いた声。だがその顔には憔悴の色がみえた。二度目とあってはさすがに心穏やかとはいかないのだろう。


「ハティは?」

「しばらく安静にしておかないといけませんが、命に別状はないということです」

「そう」オフィーリアは安堵の表情を浮かべる。「ハティはあたしを助けてくれたの。後でお礼を言いにいかなきゃね。お見舞いに何かあのの好きそうなものを用意しましょう」

「承知いたしました」バシェルが頷いてみせる。「狼藉を働いた庭師は衛兵が取り調べの為に連れていきました。いずれの手の者かしっかり調べさせます」


 庭師と聞いてオフィーリアの背中に冷たいものが走った。血走った目をした男の顔。あれはとても正気とは思えなかった。


「カークウッドは?」


 自分を助けてくれたもう一人の恩人のことを訊く。


「右腕に浅い傷を負っていましたが、それ以外は大丈夫なようです。いま司祭に診てもらっております」

「そう」


 庭師を取り押さえた時のことをオフィーリアは思い出す。カークウッドの右手と右目に見えた青白い炎。あれは見覚えがあった。そして――


 ――不愉快だな。


 あの声とあの言葉。オフィーリアの記憶にある仮面の男と重なる。カークウッドは自分を殺しに来た仮面の男なのだろうか。もしそうだとしたら、なぜ庭師から自分を助けたのか。


「あとでこの部屋に来るように伝えてください」


 確かめなければならない。自分が生き残るためにも。


「承知いたしました。後で紅茶の代わりもお持ちいたします」


 そう告げてバシェルは去って行く。オフィーリアは老執事が去っていった後の扉をじっと見つめていた。


        ◆


「どういうことですか!?」


 離宮の一室で、カークウッドは声を荒げた。目の前には女司祭に変装したシルヴァが座っている。


「どういうことって言っても、アタシも聞いてないわよ」


 シルヴァは肩を竦めてみせる。


「依頼主とは連絡がとれましたか?」

「ええ。思いっきり嫌みを言われたけどね。こっちの要求もちゃんと伝えたわよ」

「ならなんで他の人間が皇女を襲うんですか? しかもあの庭師、魔術をかけられてましたよ。魔術師を雇ったってことですよね?」

「知らないわよ。依頼主とは別の誰かが狙ってるんじゃないの?」


 大きく脚を組み替えて、敬虔な司祭とは思えない格好でシルヴァは言う。依頼人と〝人形師ドールメーカー〟を繋ぐ役割の彼女にしても、今回の襲撃は寝耳に水だった。カークウッドに接触する為に、あわてて司祭のフリをして潜り込んだのだ。


「一度に複数? そんな価値があの皇女の命にあると?」

「さぁ。あるんじゃない? それにしても……」

「なんですか?」

「その口調。いつもと違いすぎて慣れないなわね」


 シルヴァの言葉にカークウッドの動きが止まった。しばしの間を置いてため息をつく。


「今は〝カークウッド〟ですから、そこは慣れてください。で、本当にあるんですか?」


 気が抜けたのか、カークウッドの表情は穏やかになっていた。


「なにが?」

「みんなが襲うだけの価値が……です。皇女を一番嫌っている皇后は正気をなくして引きこもってるって話じゃないですか。私に依頼が来ただけでも不思議なのに、まだ他にいるんですか?」

「そればっかりは調べてみないとねぇ」


 シルヴァは背もたれに体を預け、頭の後ろで手を組んだ。天井を見上げなにやら考えているようだ。


「皇族絡みだと……次の皇帝は誰かってのが問題になりがちだけど……」


 ペルンデリア帝国では皇女には皇位の継承権はない。継承権を持つのは皇族の血を引く男子のみと、帝国法に定められている。その理屈で言えば他国に嫁いだ第一皇女と第二皇女に息子がいた場合、帝位の継承権を持つことになる。だがその場合は正式に帝国に養子として迎え入れられる。


 そして現在、帝国にいるのは第二皇子であるキーランと第三皇子のイルマのみ。二人ともトビアス帝の側室の子で、それぞれ母親は違う。年齢はキーランが十九歳でイルマが十四歳だ。


「第三皇子はオフィーリア様の実弟だし、皇女様では帝位を継承できない。となると……」

「私を指名したのは第二皇子の派閥……ですか?」

「うーん、どうだろねぇ。トビアス帝もまだまだ現役だし、帝位争いには早いと思うけどなぁ」


 トビアスの治世になってから帝国は安定している。先代が繰り返した侵略戦争で疲弊した国力も戻り始めたところだ。他国との小競り合いはあるが、内乱が起こる気配は今のところ無かった。


「とにかく早急に、依頼人が誰なのかを調べてください。そしてもし他の暗殺者と私を天秤にかけているのなら、この仕事は降ります。私を指名しておいてこの仕打ちは巫山戯ふざけているにも程がある。場合によっては後悔してもらいます」

「おやおや。〝人形師〟は腕だけでなく、プライドも一流だね」


 からかうようにシルヴァが言う。カークウッドはそんな彼女に鋭い視線を向けた。


「私たちのような者が嘗められたらどんなことになるのか、貴女ならよく知っているでしょう?」


 声を荒げたわけでも、力を込めたわけでもない。ただ淡々と事実を述べるようにカークウッドは言う。

 シルヴァが不意を突かれた表情になった。思わずカークウッドから目を反らす。


「悪かったわ。ちゃんと調べておく」

「お願いしますね、相棒」

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