第11話 二人分の記憶

「あたしには二人分の記憶があるの。オフィーリアとしての記憶と梨愛りあとしての記憶」

「リア? それは誰ですか?」


 倒れた椅子を戻し、オフィーリアとカークウッドは向かい合うように座って話をしていた。カークウッドの右目と右手にあった炎は消えており、いつものように片眼鏡モノクルをしている。


「〝あたし〟よ。多分、でもあたしは〝わたし〟でもあるの」

「……皇女殿下の説明を聞いていると頭がおかしくなりそうですね。それは二重人格ということですか?」

「二重人格とは違う……と思う。梨愛はね、この世界の人間じゃないの。別の世界の日本という国の少女なの」


 カークウッドは口元に手を当ててなにやら考え込んでいるようだった。オフィーリアの説明を頭の中で反芻しているのだろう。

 彼が沈黙していた時間は数分くらいだっただろう。だがオフィーリアにとってそれは、何時間もの沈黙に思えた。オフィーリアが痺れを切らしたその瞬間、カークウッドが口を開いた。


「なるほど」

「信じてくれるの!?」


 予想外の言葉にオフィーリアが驚きの声を上げる。自分でも確信がないものを、この男は信じてくれたのだろうか。


「他の世界の人間の生まれ変わり……という話ならにわかには信じられません。三文芝居でも、もう少しまともな筋書きを用意するでしょう」


 だがその期待はあっさりと打ち砕かれる。カークウッドの言葉にオフィーリアが頬を膨らませた。


「でも、もしそれが本当なら、オフィーリア様の構成式が複雑なのはそのせいかもしれません……どうかしましたか?」


 不満げな表情をしていたオフィーリアだったが、カークウッドの言葉を聞くうちに奇妙なものでも見るような表情へと変わっていた。


「あたしを殺そうって人に、やたらと丁寧な対応されるのは変な気分ね」

「今の私は〝カークウッド〟ですから、あくまで皇女殿下の執事として対応させていただいているだけです」


 まるでそれが当たり前のことであるかのように、カークウッドは言う。オフィーリアはどこか納得できないようだ。


「そういうものなの? もうばれてるのに」

「そういうものです」

「貴方、変なこだわりがあるのね」


 オフィーリアがため息をつく。彼女は理解するのを諦めたようだった。


「ところで、さっきから言ってる構成式ってなんなの?」

「〝存在の形〟を示す……設計図のようなものでしょうか。あまり知られていませんが」

「?」


 その説明だけでは理解できない。彼女の顔はそう訴えていた。カークウッドは少し考えた後、目の前のティーカップを指さした。


「例えばこのティーカップ。魔眼を通して見ると文字のような、幾何学模様のようなものが集まってティーカップの形を作っているのが見えます」カークウッドの右目に青白い炎が宿る。「ティーカップはその構成式によって〝存在の形〟を与えられ、この世界に存在しているのです。そして構成式が見えた状態でこの右手で触れると、構成式を壊すことができる」


 今度は彼の右手に青白い炎が宿った。カークウッドはその手でティーカップの取っ手を摘む。

 キンッ――という硬質な何かが割れるような音が室内に響いた。だがティーカップそのものに変化はない。


「?」


 不思議そうなオフィーリアの目の前でカークウッドはティーカップを持ち上げて見せた。正確にはその取っ手だけを。


「あ。え? とれて……る?」

「これは、構成式の一部を壊して、取っ手がない状態に変えたのです」

「なんかすごいことしてるような気はするけど、ティーカップを普通に壊すのと何が違うの?」

「一番分かりやすい違いは断面でしょうか。普通に壊せば取っ手がくっついていた跡が残ります。でも構成式を壊した場合、最初から存在しなかったようにできます」


 身も蓋もないオフィーリアの問いかけにもカークウッドは表情を変える事なく答える。

 オフィーリアはティーカップを見る。確かに表面には取っ手がついていた痕跡はなかった。初めから取っ手のないカップであるかのようだ。


「そして、これを人間の構成式に対して使えば、殺すこともできます」


 そう言ってカークウッドは炎を纏った右手をオフィーリアに見せた。一瞬、ビクッと彼女の体が震える。


「ティーカップのように物体に変化を起こすこともできますし、構成式のどの部分を壊すかによって、外傷もなく人間としての機能を壊すこともできます」

「暗殺向きの力……ってことなのね」

「正確には暗殺にしか向かない……でしょうか」右目と右手の炎が消える。「魔眼で認識できないと構成式を壊すことはできません。右手で触れるだけでは壊せない。そして構成式が見えるのは、基本的に・・・・こうして触れることのできるものだけです」


 そう言ってティーカップを指で弾いた。澄んだ音が響く。


「ですから油断すると怪我をすることもある」


 カークウッドは右の前腕をさすった。スーツに隠れているが腕には包帯が巻かれているだろう。それはオフィーリアを助ける為に負った傷だ。


「……ごめんなさい」

「貴女が謝ることではありません。これは私のミスです」カークウッドは笑ってみせる。「もし生まれ変わりの話が本当なら、貴女の構成式が複雑なのはオフィーリアという存在とリアという存在――二つの構成式を持っているから……かもしれません。私が貴女の頭の構成式の一部を壊したにも関わらず生きているのは、リアの構成式がそれを補ったからだと。

 そして、貴女が大けがを負っても今まで死ななかったのもそれが理由かもしれない」

「あたしが今まで死ななかったのも?」


 生物には自己治癒という力が備わっている。〝存在の形〟を定義する構成式が壊れない限り、構成式に沿った形へと戻ろうとするのだ。しかし四肢の欠損などのように損傷が激しいと構成式の要求する形へと完全に戻ることはできない。

 但しこれには例外がある。魔術という存在だ。司祭の使う神聖魔術の中には欠損すら治してしまうものもある。


「先程、基本的に触れることができるものでないと魔眼で構成式は見えないと言いましたが、例外が一つだけあります。それは魔術です。魔術ならその術式を構成式として見ることができる。そして、魔眼で捕らえることができればそれを壊すこともできます」


 術式は魔術の要だ。魔力により術式で〝存在の形〟を示し、現象をこの世界に顕現けんげんさせる。それが魔術の基本だ。そして術式に強い魔力を与えることでより強固な現象としてこの世界に現すことができる。


「恐らく、魔術の術式と構成式の根本は同じです。だから魔眼で見て壊すことができる。そして術式は構成する時にも魔力を使います。では仮にすでに存在している構成式に魔力のような力を直接与えることができたらどうなるか?」


 オフィーリアは真剣な顔をしてカークウッドの次の言葉を待っている。カークウッドの表情がふと緩んだ。


魔術付与された道具マジックアイテムの術式ならいざ知らず、人間の構成式に対しそんな方法があるとは思えませんが――」


 カークウッドの魔眼がオフィーリアをじっと見つめる。「ない」と言われて拍子抜けしかけたオフィーリアだったが、動かない視線にどぎまぎし始めた。


貴女に限って・・・・・・言えば存在するかもしれない。貴女の構成式は継ぎ接ぎになっている。それも傷跡に沿って」


 オフィーリアは自分の裸を見られたような気がして、両腕で自分を抱きしめた。心なしか顔にも朱がさしている。


「変態っ!」

「? いきなり何を言っているのですか、貴女は」カークウッドが呆れてみせる。「貴女の構成式が継ぎ接ぎになっていることから推測できるのは一つ。貴女は二つある構成式の一部を代償にして、怪我を負った部分の治癒を行ったのではないかと。より強い力で〝存在の形〟に肉体が戻るように」

「それは……どんな怪我でも治ってしまうってこと?」

「いいえ。限度はあるでしょう。恐らく傷跡になっている部分の構成式は治癒を行う際の代償として消失しています。それなのにいま貴女が無事なのはもう一つの構成式がそれを補っているから。実際、私の壊した構成式の一部も継ぎ接ぎのようになっています。

 だから傷跡と同じ場所に怪我を負えば、その奇妙な治癒の力は起こらない。そして同じ場所を壊せば今度こそ貴女を殺せる」


 カークウッドが悪戯っぽく微笑んだ。「殺す」という物騒な言葉がなければ、軽口を叩くほど仲の良い友人へと向ける表情に見えただろう。だが彼はオフィーリアを殺しに来た暗殺者だ。一度は命を助けてくれたが。

 しかし不思議とオフィーリアはカークウッドを怖いとは思わなかった。暗殺者カークウッドと二人きりで、今すぐここで殺されても不思議ではないというのに。それはカークウッドが妙なこだわりを持って彼女に接してくれているからかもしれない。

 オフィーリアは肩の力を抜くと、落ち着いた表情で口を開いた。

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