第4話 ぬいぐるみポーチからはじまる
ぴちゃっ。
ローションがぬらぬらと光る。古いタイプのラブホに入ったせいで、蓄光タイプのローションがお風呂のライトで青く光って、岸辺鈴鹿は褐色の肌にたっぷりとそれを付けた後、真白い歯をむき出して笑う。その歯も青く光り、緊張した面持ちのお姉さんに見せつけると、お姉さんがくすりと笑った。
「これって舐めたらおなか壊すかな?」
鈴鹿が、緊張した面持ちのお姉さんに問いかけると、お姉さんは一生懸命な仕草で鈴鹿を抱きしめた。
「舐めるよ、ぜんぶ。頑張るから、いい子にして」
お姉さんは、精一杯の低音で、鈴鹿の耳にささやいた。
鈴鹿は、お姉さんの首に、腕を回し、ローションでその周りをぬめぬめにする。お姉さんが、フルッと震えると、「あ」と小さくこぼれた声を、鈴鹿は聞き逃さなかった。
「え~、がんばんなくていい~よ♡このままあたしが、手でイカせてみたい♡」
ローションのぬめりを利用する様に、お姉さんの体をスルスルと触る。局部には触れていないのに、お姉さんはびくびくと震える。必死で耐えているような行動は、鈴鹿を楽しませるだけだ。
「鈴鹿ちゃん、──それって、わたしが、下手だから?」
お姉さんは、グッと息を飲み込んで鈴鹿に問いかけた。
「ん-ん♡あたしが、やりたいの♡」
鈴鹿は微笑むと、元々の暖かい手のひらをお姉さんの胸に押し当てて、お姉さんの緊張した真っ白い体を、優しく柔らかく、グリグリと揉み始めた。
マットのうえで、いつの間にか何度もイかされたお姉さんは「どうして?私イッたことないのに」と繰り返しては抵抗したので、鈴鹿はあまりにも楽しくて、敏感になったからだを、何度も何度も味あわせてもらった。ローションは無味で、ゆすぐとすぐに取れた。
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ファミレス店内。夕方、店外の明かりが一斉につき、小さな庭がオレンジ色に輝くさまを、大きな窓からぼんやりと眺めた乾萌果は、はあと大きなため息をついた。
「今日はあたしも気持ち良かったのに、一万円だよ!」
萌果は一万円札を顔の前に提示する鈴鹿に、わかりやすいように懇切丁寧に何が犯罪なのか教えるが、右から左に抜けていくような菩薩顔をされたので、面倒くさくなってやめた。
「どう?純愛にできそう?」
嬉しそうな鈴鹿の猥談を、もう一度萌果は頭の中で順序だててみる。その間に、鈴鹿に問いかける。
「毎回思うんだけど、まず体からの関係をやめたらどーです?まずはデートですよ、そんで思い高まって始めての手繋ぎ!みたいなやつ、絶対体の関係より気持ちいいいとおもうんですけどね」
「シテみたい!って相手と、なんでだらだらどっか行かなきゃなんないの?そんな時間あったら前戯に使った方が相手も喜ぶし」
「はいはい……すみませんでした」
お話にならないなと思った。
「まーでもいちおう、純愛したいんですよね、その人と。話くらいは聞きますよ」
並べた猥談だけでは物足りず、萌果はお姉さんと鈴鹿の出会いを問いかけた。と言っても、どうせ数時間の話なうえ、鈴鹿にとっては体の関係以外、あっさりとした説明になるだろうと、うんざりと耳を傾ける。
「おー、やったね。出会いは、相手が落とし物したんだよね」
ウサギのぬいぐるみだという。お姉さんが半狂乱で探している様子を見かねた鈴鹿が、生来の人あたりの良さで声をかけ、一緒に手伝うことになったらしい。萌果は、自分ではきっと手伝わないような状況に、そういう部分だけは鈴鹿のことを人として尊敬できるなと、口には出さず思った。
「なんか不思議の国のアリスみたいな出会いじゃない?」
鈴鹿が嬉しそうに言うが、(アリスは走るウサギを見つけて追い駆けるんだよ、多分、内容をぜんぜん知らないんだろうな)と萌果は思ったが、黙って話を聞いた。
「探しても探しても見つからないから、なんか手とか足とかどろどろになってさ、じゃーちょっと休憩しますか!って、ぼろいホテルでえっちして」
「eat meまでの展開が早い」
「なにそれ」
「あ~アリスが、ドリンクを飲んででっかくなるんですけど、それに書いてある文字ですよ」
萌果は適当な説明をするが、鈴鹿はそれについては全く興味なさそうにフウンと言った。
(オタク、スグ「己の知識は全員の知識」シテシマウ。)
萌果は反省する。
スラングでの悪口でもある。eat me.
(わたしのあそこをなめろ)とか(とりあえずくたばれ)みたいな意味だと思い、鈴鹿にぴったりだなとぼんやり考えてしまう。
「そしたらね、ホテル出たとこの生け垣に、ウサギのぬいぐるみがいたんだよね!マジ奇跡!」
「へえーすごい」
どんなに見つけても、見当たらなかったものが、生垣に?
萌果は少し、考えてから頭のノートに描き出す。アリスの世界では、謎のティーパーティが始まってしまいそうだ。妙に美味しそうなジャムクッキーが、毒々しい色をしている。
「ホテルのそばをうろうろしてる女がいて、生け垣に置いてったのかもーって受付のおばさんがいってたから!駅で拾ったやつが、ここまで持ってきたのかもなって」
「なんでそうおもったんですか?」
「手紙が入ってた。うさちゃん、実はぬいぐるみじゃなくて、メイクポーチでさ、「駅で待ってました、リサ」って。でも、おねーさんは、「これわたしのじゃない」とか言ってたなあ……」
「ふむ」
萌果が顎に手を当てて、唸る。
「鈴鹿さんの”お姉さん”をAとして、ウサギを持ってきてくれた方を”リサ”とします」
「あれ、そいつ関係者?」
「そうしましょう」
鈴鹿は体以外興味がないため、名前を聞き出す機会がないと、あだ名になってしまうことも純愛から離れてはいるが、その辺りは目をつぶってしまう萌果だった。
「Aさんはリサさんとけんかして、むしゃくしゃしていたんです」
「まじかよ」
「もしかしたら喧嘩の理由は、体の関係かもしれません」
「あれ、めずらしく純愛から離れるじゃん」
「まあ、好き同士なのに先に進めなくてもやもやするのは純愛ともいえます…認めます…それは」
「いったん続ききくね」
「大事だから、触れないって人が、この世には沢山いるんですよ…けだものにはわからないと思いますけど」
「憐れむように見るなよ!」
聞いて損したと言いつつ、鈴鹿は嬉しそうにコーラを飲んだ。
「鈴鹿さんはまたも、便利棒なんですけど、続き言っていいですか?」
「便利棒ってなに?!」
けらけらと笑いながら、鈴鹿が紙ナプキンをちぎって、上手に鶴に織り上げた。便利棒とは、まあ、便利棒だ。目の前のスマホで調べてくださいと萌果は言う。
「Aさんとリサさんは、お互いに意識しすぎて、触れ合うことができなかった恋人同士。でも、お揃いのメイクポーチ──ウサギさんをプレゼントしあったり、お互いの気持ちは通じ合っていた。なのに、些細なことがきっかけで、ぎすぎすしてしまう……もしかしたら、Aさんがリサさんとしたいのに、上手くいかなかったことが原因かもしれません」
そう考えると、お姉さんの「下手」発言も辻褄が合うのではないだろうか?
Aさんは性的に満足をしたことがない。
「それで、ふたりでお揃いで使っていた、大事なウサギさんポーチをどこかに捨ててしまった。
決定的な決裂を感じて、逃げるリサさん。
反省して、ウサギさんを探すAさん。
Aさんと、仲直りしたくて、駅で待っていたのに、そこで、鈴鹿さんと出会って、ホテルへ消えてしまうAさんを見て……追いかけたけど、リサさんは深く傷ついて、自分のウサギさんを置いて帰って行った……」
「あわ~~失恋じゃん……」
「悲恋ですねえ」
「Aさんは頑張って攻めてたけど、ほんとはネコってことを認めて、リサさんとキチンと向き合えば、もしかしたら仲直りしちゃうかもですけどね」
「ねこ……?」
「一般的に、やられる側のことですよ、ネコ同士だと結構大変だと聞きます」
「あ~~、あたしマジでずっと攻めてたいから、そういう人助かる~」
鈴鹿はバリタチってやつか、と、萌果は頭の片隅で思った。
「つまり、おねーさんは、リサをいっぱいイかせてあげられなかったし、自分もイったことないから、この恋が、愛じゃなくて、おわりだっておもっちゃったってわけ?」
「そういう言い方すると即物的ですけど、お互いに相手を想い合いすぎたせいで、という所に純愛を感じたら、どうです?」
わっかんねええと、鈴鹿は笑って、空を仰いだ。
「気持ちいいことできないけど、一緒にいたいって思う感情があるなら、それは、愛だと呼べると思うのに」
「……たまにいいこと言いますよね」
鈴鹿がにへっと笑った。
「ま、ぜんぜんわかんないんだけどね」
「このケダモノ……」
萌果が唸ると、鈴鹿は嬉しそうにうっふっふと笑った。
「そういえば、男性ともお付き合いするんですよね?」
萌果がふと気づいたように、鈴鹿に問いかけた。
「それだってずっと攻めてるけど?抱かれたことってないな~~」
「え、ど、どうやって?!」
「試したいの?!」
鈴鹿がキラキラした表情で聞くので、萌果は、不思議の国のアリスで可愛い鳥さんをつかってクリケットに励む女王の存在を知った時のような、この世の全ての悪を見たような気持ちで、「うげ~」と言った。
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