その2


 王歴二○九五年 一月某日



 アザミが母と共に第七王国へ亡命して、二年と少しの歳月が経過した。


 ベッドの上で目を覚ましたアザミは、手短に朝の支度を終え、昨日のうちに準備して教科書を入れておいた赤いランドセルを背負う。


「行ってきます」


「行ってらっしゃい。気をつけてね。ちゃんとゆうや君と一緒に行くのよ」


「……うん」


 台所から母が顔を出し、笑顔で見送る。そんな母にアザミは生返事で返した。


 玄関を開けると、個人宅にしては大きめの庭園が目に入る。キレイに手入れされた庭の奥には平屋の日本家屋があり、玄関から黒いランドセルを背負った少年が出て来る。


「おはよう!」


「……おはよう」


 ふわふわと風船のような雰囲気を漂う少年――ユウヤに挨拶されるも、ここでもまたアザミは生返事だった。


「じゃあ、行こっか」


 アザミとユウヤは門を出て歩き出す。外には雪が積もっており、呼吸をするたびに白い息が漏れた。


「こんなに雪が積もっていると、初めて会った時を思い出すね。あれからもう二年かぁ……。誕生日におじいちゃんと一緒に雪山へスキーをしにいったら、人が倒れているのを見つけて本当にびっくりしたよ。そうそう、二年前と言えば――」


 笑顔で色んなことを話すユウヤだが、アザミはユウヤに何を言われてもあまり反応を返さなかった。


 アザミは今、ヤマガタ州ヨネザワ市にある成宮家邸宅の離れに母と二人で暮らしている。ユウヤの両親はヨネザワ市の研究所で働く研究者であり、父方の祖父は退役軍人だ。比較的裕福な家庭であるため、ヨネザワ市の市街地から少し離れた丘の上に大きな家を持っている。


 アザミの母は国王である父と結婚する前は研究員として働いていたこともあり、第七王国へ亡命後はユウヤの両親が働く研究所で雇ってもらい、更には住宅まで提供してもらった。


 成宮家の人たちはとても親切だ。もちろん、アザミたちが国王の妻とその娘だということは秘密にしているが、身元もよく分からない他国の人間を匿ってくれる人など、そうそういない。アザミもアザミの母も、成宮家には非常に感謝していた。


 しかし、成宮家――厳密には目の前にいるこの少年、成宮ユウヤを信用しているかと問われれば、母はともかくアザミは信用していなかった。理由はアザミの信条にあった。


 アザミの隣を楽しそうに歩くユウヤ。そんな彼に向って、アザミは静かに言葉を紡ぐ。


『読心』


 その瞬間、ユウヤの心の声がアザミの脳内に流れ込む。


『今日は――、で――、学こ――、た――に――、さ――つ』


「(やっぱり……、今日も聞こえない)」


 アザミは落胆した。今日もまた、彼の心の内を知ることは出来なかった。


 五歳という早い段階で精神系の、しかも一級の権能を発現させたアザミに周囲は沸き立ったが、まだきちんと権能をコントロールできない時期に人の心を無意識に読んでしまったせいで大人の醜いところを何度も見せつけられ、他人を信用できなくなってしまった。故に、自分の周りにいる人間は心を読まないと気が済まなかった。


 父をはじめとして、世の中にはアザミの権能が効かないというケースがあるのは体得的に知っていた。しかしユウヤのように権能が中途半端に効かないケースは初めてだった。心の声がノイズがかったようにとぎれとぎれにしか聞こえず、そのことがアザミのユウヤに対する不信感を募らせる原因となっていた。

加えて、


「そういえば今日は学校で六年生は権能操作の授業があるんだけど、僕は使だから毎回教室で自習にさせられるのね。でもこれが暇でさ~」


 自分の権能が上手く働かない相手が、まさかの五級。アザミはこれが一番信じられなかった。


 当初、精神系の権能が効かないのはユウヤの権能に阻害されているせいではないかとアザミは考えていた。しかし、ユウヤの権能が五級と知った時、アザミはより一層、ユウヤを不気味に思った。一体、どんな原理が働いて自身の権能が上手く機能しないのか。そこが分からない以上、アザミはユウヤを一生信用することはできないと考えていた。


「でね、その時同じクラスの――。あっ、もう学校ついてしまったね。それじゃ、六年生の下駄箱はあっちだから、これで」


「……うん、バイバイ」


 登校中ずっと何やら話しかけてきて鬱陶しかったユウヤから解放され、ほっとしながら四年生の下駄箱へ向かう。ユウヤは何かとアザミに話しかけてくることが多く、アザミはそれが面倒だった。


「(初めて見た時は、王子様に見えたのに)」


 アザミは深いため息をついた。


 彼女とて権能を発現する前までは、どこにでもいる女の子だった。絵本の中にあるようなピンチのお姫様をさっそうと助けてくれる白馬の王子様にあこがれた時代もあったが、権能のせいで年相応以上に大人びてしまった今、そんな幻想は持ち合わせていない。あの時は命の危機だったとはいえ、自分より精々二つ上の男の子を王子様と見間違えてしまったことを恥ずかしく思っていた。


 下駄箱で靴を履き替え、教室へ向かう。教室の中に入ると、クラスメートたちが一斉に振り返った。


 アザミは面倒くさそうにすべての視線を無視して自分の席に着き、ボソッと『読心』と呟く。


『四条さん……、今日もクラスで浮いてる。可哀そう』『お母さんが「なんみん」には優しくしなきゃだめっていってたから、私もそうしなくちゃ』『アイツ、あの第二王国からひどい事されてこっちに来たんだよな……。だからいつも暗いのか』『俺が大人になったら軍に入って第二なんて蹴散らしてやる!』


 クラスメートたちの心が流れ込んでくる。大抵、彼らはアザミのことを「可哀そう」と憐れみの感情を向けてくるが、アザミとしてはそれが腹立たしかった。


「(どうせ、いざとなったら見捨てるくせに)」


 第八王国にいたころ、第二王国から逃げて来たアザミと母を憐れむ者は沢山いた。それこそ、今の成宮家のように助けてくれる人もいた。しかし、彼らは皆、第八王国に第二王国の新しい王が攻め込んできて余裕がなくなった瞬間、アザミたちを簡単に見放し、あまつさえ「第二王国が攻めてきたのはお前たちのせいだ、この疫病神が!」と罵倒してきた者さえいた。中途半端な同情という名の偽善が、アザミにとって不快でしょうがなかった。


 だが、可哀そう扱いはまだマシな方だった。


「朝の会を始めるわよ。席につきなさい」


 クラスの担任が教室のドアを開け、教卓の前へ偉そうに立つ。


『チッ、権能の等級が低くて逃げて来た難民風情が偉そうにしやがって』


 四十代半ばの物理的に脂ののった女教師がちらりとアザミを見て、心の中で侮蔑する。


 第二王国で革命が起きて、更には第八王国が完全に占領されて以降、第七王国には大勢の難民が押し寄せていた。難民の中にはもちろん、アザミと同じ小学生くらいの子供も沢山いる。今はまだアザミの通うこの公立小学校に難民の子供はアザミ一人しかいないが、今後さら難民児童の公立小学校での受け入れを増やしていく予定だとヨネザワ市の市長がテレビか何かで話していた。


 しかし、全員が全員、増え続ける難民に同情的ではなかった。自分たちのテリトリーを汚されることを嫌う反対派も存在する。数は多くないものの、街中で心を読んでいるとやはり一定数そういう人たちがいた。


 残念なことにアザミの担任もその手の人間の一人で、アザミには他の児童よりも数倍きつく当たっていた。


「(やっぱり、私の味方なんてお母さんしかいないんだ……)」


 救いようのない現実に、アザミは深く心を閉ざした。


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