第5話 慣れ
日が経つごとに、例の夢に対する恐怖は薄れて行った。
(あ、またこの夢……)
気が付けば今日も私は皮張りのソファーに座っている。高級感あふれる調度品が並ぶリビング。そして……。
「聡美」
隣には彼がいる。ブランデーを思わせる、低くて甘い声。武骨で大きな手が、ぎこちなく私の髪を撫でる。その指先への抵抗感も今はもうない。あれほど感じた恐怖も、これは夢だと認識するようになってからは完全に消え失せていた。あの恐怖は孝行を失うという喪失感に基づいたものであり、この男への嫌悪感によるものではなかったのだから。
彼の名が雄斗だと知ったのは、この夢を見始めて5度目の時だった。
「今日は何をする?」
「そうね」
私はスマホを操作し、ファッショントレンドのサイトを覗く。
「このレストランなんていいかも。日本初上陸だって、美味しそう」
「あぁ、聡美の好きそうな店だな。行くか」
躊躇なく立ち上がり、雄斗は身支度を始める。
「ちょうどその付近に大きなショッピングモールも出来たから、一度行ってみたかったんだ。庭園のライトアップも見事らしいから、夜までゆっくりそこで過ごそう」
「素敵」
どんなに高い店でも、雄斗は渋ることなく連れて行ってくれる。とても楽しそうに。それは孝行との現実生活ではまずないことだった。
(これは私の夢だもん、好きにしていいよね)
それに、隣に立つ雄斗だって悪くない。この夢を見始めた頃は「孝行以外の男となんて!」と感じていたけれど、よくよく考えてみれば所詮は夢。目の前にいるこのはち切れそうな胸筋を持つ雄フェロモン駄々洩れの男も、私の脳が作り上げた虚像に過ぎないのだ。それ故に、私の好みの要素が凝縮された存在だったりするけれど。
勿論、私が愛しているのは孝行ただ一人だ。ただ理想の容姿を持ち、相当の贅沢を許してくれる雄斗とのひと時はとても刺激的だった。雄斗が実在の男であるなら、私のこの感情は世間から眉を顰められる類のものだろう。だが、いかんせんこれは夢。魂の解放区にいる時くらい、倫理から解放されても許されるだろう。
「お待たせ」
クローゼットにあったハイブランドのワンピースを身に纏い、私は雄斗の前に立つ。
「今日も、俺の奥さんは最高に綺麗だ」
分厚い胸の中に、ぎゅっと抱き込まれる。
「……聡美が俺を選んでくれたなんて、今でも夢のようだよ」
(いや、夢ですが)
私は笑いそうになりながら、彼の背に手を回す。分厚い胸板で両手は回りきらない。
「さぁ、行こう」
雄斗は私を軽々と抱き上げて、扉へと向かった。
「ちょっと……!」
「玄関までこうしていてもいいだろう? 夜まで君を抱きしめられないんだから」
「もう、仕方ないなぁ」
この夢を見ている間、私は映画の中のセレブなヒロインのようだった。
(昨夜のクルージングも楽しかったな。きれいな夜景と豪華なディナー……)
あの夢を見始めてから3ヶ月も経つと、私はすっかり夢と現の二重生活を楽しむようになっていた。愛する夫との平穏で安心感のある現実、そして理想の男との豪華で刺激的な夢……。今では三日に一度の頻度で、雄斗の夢を見るようになっていた。豪華クルージングは昨夜の夢の出来事だ。
「聡美、なんだか楽しそうだね」
鼻歌交じりに落書きをしていた私に、孝行が背後から声をかけてきた。
「いいことあった?」
「ん? あぁ、担当さんから新しいイラストの仕事の話がきたからね」
「今描いているのが、それ?」
(あっ)
孝行に手元をのぞき込まれ、一瞬ひやりとなる。私が描いていたのは、雄斗の姿だった。昨夜のクルージングの思い出を辿るように。
(まぁ、本当の浮気じゃないし)
少し後ろめたく思いながらも、私は孝行をふり返る。そしてギクリとなった。孝行は目を見開いて私の手元を見つめていた。
「雄斗だ」
(えっ!?)
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