第2話 現実の温もり
暗がりの中、私は大きく息をつく。安心すると同時に、涙があふれてきた。
(よかった、夢だった……)
まだ体が震えている。
(孝行と別れて他の男の妻になる夢なんて、縁起でもない……)
私はそっと孝行ににじり寄る。若木のような優しい香りが漂ってきた。
(孝行の匂い……)
愛しい匂いに胸のこわばりが溶けてゆく。私は額を彼の二の腕へくっつけた。白くきめ細やかな肌の、品のある腕へ。
「ん……」
孝行の微かな声。暗がりの中にうっすら浮かび上がる右手がこちらへ伸び、優美な指先が私の頭を撫でた。二度、三度。そしてすぐにその動きは止まる。
「孝行……?」
「……」
孝行は気持ちよさそうな寝息を立て、再び眠りに落ちていた。私の頭に手を添えたまま。
(大好き……)
胸苦しいほどの愛しさが突き上げる。どうしてこれほど優しい人が、この世に存在するのだろう。眠っていてでさえ私の気配に気づき、安心を与えてくれる人。
(愛してる……)
今すぐがむしゃらにすがりつき、キスをしたい衝動に襲われる。けれど安らかな表情で、規則正しく胸を上下させている夫を見つめていると、このまま寝かせてあげたい気持ちが上回った。私は孝行を起こさぬよう、額を摺り寄せたまま彼のやわらかなアロマで胸をいっぱいに満たす。頭に添えられた手にそっと触れると、指先がぴくんと動いた。
(孝行から離れる? 私から? 別の男の妻に? ありえない!)
先ほどまで見ていた生々しい夢に、身を震わせる。
(ただの夢で良かった……。孝行の妻でいられて、本当に良かった……)
「聡美、昨夜は何かあった?」
翌日の金曜日。共に仕事を終えた私と孝行は、夕食後リビングのソファーに並んで座り、ビールを飲みつつ映画を見ていた。
「どうって?」
「夜中、僕にくっついてきたから」
「あ、うん。孝行、起きてたの?」
「ちょっと目が覚めたかな。すぐに寝たけど」
「ごめん」
「いいよ。何か怖い夢でも見た?」
「……」
私はソファーに目を落とす。夢の中で見た立派な革張りのものでなく、二人掛けのカジュアルなフロアカウチソファ。孝行と二人で選んだ、温かみのあるデザイン。
「うん、怖い夢だった……」
「どんな夢?」
「……ちょっと話しづらい内容かな、特に孝行には」
「いいから、話して? 悪夢は人に話した方が厄を払えるって聞いたことあるよ」
(厄を払える……)
あんな夢を現実にはしたくない。私は正直に夢の内容を彼に話した。
「浮気者」
話し終えると、孝行はいたずらっぽく笑いながら私の頬をつついた。
「僕を捨てて他の男のものになるなんて、酷い」
「私だって、夢の中ですごく後悔してたよ?」
「僕、聡美に捨てられちゃうのか」
「捨てないって!」
孝行が笑いつつ、私から体を離そうとする。私は慌ててその腕にキュッとしがみついた。
「どうしてそんなことになったのか、夢の中でも意味わからなかったし。孝行の元に戻りたいって思ってた」
「はいはい」
「本当だよ? 後悔しかなくて、ただ悲しかった。孝行を失ったと思って、……絶望してた」
「……」
「すごく、怖かったよ……」
「そっか」
孝行の手が、私の頭を撫でる。まるで幼子をあやすように。
「わかったわかった」
孝行はおかしそうに笑っている。しかも、どことなく嬉し気に。
「もう!」
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