第七膳🐹『春の訪れと天ぷら』

 突然だが、天ぷら屋を開店することにした。


 といってもガチではない。いつものメンバーを前に、自分が料理人となって天ぷらをふるまう夕食会の開催だ。場所は自分が暮らす安アパート。つまり、いつもと変わらない。


 ハムのトゥルーフレンドも誘おうと思ったが、残念ながら海外に行っているとのこと。だから誘うことはできなかったが、代わりに中国へ戻る前の翠鈴スイリンをつかまえることができた。


 白だし、みりん、ごま油。トゥルーフレンドからもらった調味料セットがまだ残っている。せっかくだから、これらを使ってちょっと贅沢な天ぷら屋さんを開店してみよう。


 自分がなぜ、こんなにも料理をすることを楽しんでいるのかはわからない。毎日コンビニ飯とビールで夕飯を済ませてしまってもおかしくない身の上なのに。


 珍客・ハムに初めて食事をふるまったあの日から、料理に対する思いがますます強くなった。

 自分が作ったものをこんなに喜んでもらえるだなんて、思いもしなかった。


 今はただ、共に卓を囲める時間が続いてほしいと思っている。

 ――記憶が完全に戻るよりも。


 記憶が戻ったら、この時間は終わってしまうのではないか。

 なぜか、そんな思いが強くなっていた。記憶を戻したいと願う以上に。


「ワイも、ヤキが回る年なんやろか……」


 準備の途中で、ふとアパートの窓から外を眺める。

 ひらひらと舞い落ちる桜の花びらの中、自分の料理を目指してやってくる友の姿を思い浮かべながら。



  ◇ ◇ ◇



「たーのもーう!」


 ようやくアルとゴザルが取れたらしい翠鈴が、ポニーテールを左右にふりふりしながらやってきた。まだ色々間違ってはいるが。

 彼女が首にぶら下げた小物袋から、ハムがぴょこっと顔を出す。


達月たつきくん、こんにちは。今日は何をごちそうしてくれるんですか?」


「達月、ビールとワイン持ってきた! どっちが合うかや?」


「お、スパークリングと白ワインやな。これならどれも合うと思うで。早速冷やしとくわ」


 達月は翠鈴が持ってきてくれた酒類を冷蔵庫にしまいながら、ハムの質問に答える。


「今日は天ぷらや。野菜から始まって、魚や肉でしめる。一品ずつ、順番に揚げて出して食べてくんや。うまいでー」


「美味しそうですー!」


 ひとりと一匹の胃袋がごきゅりと鳴った。


「そうと決まれば、まずは買い物や。この前行ったとこがええやろ。翠鈴さんも日本に来たばかりやし、きっと楽しいと思うで」


 ひとりと一匹の表情が、さらにうきうきになった。



  ◇ ◇ ◇



 バスに乗って十五分の、大型ショッピングモール。達月の知人がいる鮮魚店。

 前回と違い、今回はどう見ても「買い物デート」に見えるため、知人の「関川さん」は「あらまあ」と意味ありげに笑っていた。

 天ぷらにするとよさそうな、エビにわかさぎ、イカげそのパックを薦めてくれた。


 野菜売り場では、ひとつひとつ吟味しながらゆっくりと見て回る。

 たくさんの野菜を嬉しそうに眺める翠鈴を見てると、なんだか達月も嬉しくなってくる。

 

「翠鈴さん、ひとつ約束してほしいんやけど」


「なんや?」


「ワイが作るもん、全部が翠鈴さんの口に合うかはわからへん。なるべくいろんな食材出す気ではおるけど、中には口に合わないもんもあるやろ。でも、それはワイの腕が未熟なだけやから、その食材がマズいもんだとは思わんでほしい。つまり、日本の食事は美味しいもんやと思ってほしいんや。ええか?」


「大丈夫や、達月の料理は全部うまいから。イルハムおじを見てればわかるや」


 全面的に信頼を寄せてくる、きらきらした目。

 確かに、ハムも達月の料理はすべて美味しく食べてくれている。ホタテのひもも克服したし。


「ちょっと信頼しすぎや」と笑いつつ、心がぽかぽかしてくるのがわかる。

 身も心もあたたかいのは、今日が快晴だからというだけではないだろう。


 ふと、翠鈴が思い詰めたように言った。


「達月。色々ありがとうや」


「ん?」


「イルハムおじの力がとんでもないのはほんとや。周りを巻き込むかもしれん攻撃力と、決してダメージを受けない防御力。それでイルハムおじが悩んでたのは知っとったやが、我には何もできなかったや。誰かと一緒に食事をとるのも怖い。何を食っても食わなくても、自分の体に影響はない。食う楽しみを、もうずっと忘れてたんだと思うや。ハムスターになって、達月に逢って、やっとそれが変わったや。だから、ありがとうや」


 この場で日本語を指摘するほど野暮な達月ではない。

 ハムが話していた荒唐無稽に思える話は、やはりすべて本当のことなのだ。


 翠鈴の小物袋に隠れているハムは、じっとしたままだ。

 どんな気持ちで可愛い娘の話を聞いているのだろうと、同情しつつも少し微笑ましく思う達月だった。



  ◇ ◇ ◇



 帰宅後、早速下ごしらえに取りかかった。


 野菜はサツマイモ・レンコン・カボチャ。ナス・椎茸・タマネギ。

 ピーマン・アスパラ・ししとうがらし。


「……ちと多過ぎか? ま、少しずつ切ればええやろ」


 翠鈴と二人、相談しながら切っていく。

 タマネギと固い根菜以外はハムでも切れるので、こちらもちょこちょことお手伝い。


 魚介はエビ・わかさぎ・イカげそ。

 その他、肉類やおつまみ的なものも用意。


 トゥルーフレンドからもらった醤油・みりん・白だしで天つゆを作る。

 ふるった薄力粉に炭酸水を入れて、混ぜ過ぎないようにさっくりと混ぜる。

 氷を入れて冷やしながら、いよいよ食材を天ぷら粉にくぐらせ、適温に熱したごま油に投下していく。

 食材によって適温が違うので、低温で揚げる根菜や葉ものから順に。


 一品ずつ、少量ずつ揚げていくのはまさに天ぷら専門店のような贅沢気分。

 達月も揚げたてを一緒にいただく。二人と一匹で卓を囲み、はふはふ言いながら頬張る天ぷらは、どれもサクサクといい音を立てて口の中にじゅわっと素材の旨味が染み込んでいった。


「お、これは……アボカドとベーコン!」


「こっちは大葉とチーズアルよ!」


「で、こっちがオクラ納豆や。どれも酒に合うやろ?」


 料理をするため、達月はあまり酒を飲み過ぎないようにしていたが、サクッとした美味しさについついグラスを傾けてしまう。翠鈴にいたっては、早くもビール缶を三本あけ、ワインも一本目を飲みきってしまう勢いだ。ちゃんと帰れればいいが。


 魚介もひと通りぺろりと食べてしまい、最後に用意したのは鶏のもも肉とささみ。

 もも肉は唐揚げとは一味違う上品な風味が漂い、ささみには砕いたアーモンドを衣としてつけた。香ばしさと食感の変化で、最後まで箸が止まらない。


「もぐまぐ、ぽくぽく、さくさく、どっかん!(僕のおやつのアーモンド! ささみに合いますね! めっちゃ美味しいです~!)」


 多すぎると思ったのに。どの食材も、まるで飲み物のように消化してしまった。酒で流し込んだと言うべきか。

 楽しく美味しい時間は、こうしてあっという間に過ぎていった。




 これが、二人と一匹で食卓を囲む、最後の時間となった。


 春は出逢いと別れの季節。


 翠鈴は、「また来るでー」と明るく言い残し、爽やかに中国へ帰国していった。


 一方、ハムは。


 こちらもまた、別の形で、別れの季節が迫ろうとしていた――

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