第六膳🐹『初めてのハンバーグ』

 突然だが、二人目の闖入者ちんにゅうしゃである。


「たのもーアルー! イルハムおじはいるアルかー!」


 ピンポンピンポン・ドンドンドン!

 呼び鈴とドアの大合唱、近所迷惑この上なし。


「なんや誰や!」


 達月たつきが慌ててドアへ向かい、ドア穴から外を覗くと、ひとりの小柄な女性がこちらを睨んでいる。

 そうっとドアを開けると、いきなりドアチェーンをブチッと引きちぎられ、ドアの隙間からドカドカ乱入してきた!


「なんや! ハムッ逃げやー!」


「イルハムおじ! ほんとにこんな姿にー!」


「おや、翠鈴スイリンじゃないですか。よくここがわかりましたねー」


 のん気におやつのミックスナッツをハムハムしているハムと、ハムを両手ですくい上げて頬にすりすりしている黒髪ポニーテールの若い娘。

 事態についていけない達月の目の前で、娘の切ないながらも力のこもった声が響き渡る。


「捜したアルよ! イルハムおじが、いなくなったと思ったらハムスターになったって連絡が来て……なんで、我より先にこんなジャージ駄犬のやっかいになってるアルかー!」


 と言いながらビシッと指さす先にいるのは、口をあんぐり開けたままの達月。

 凛々しく人差し指を突き出したまま、翠鈴は「あいや?」と目を丸くした。


「髪染めてる日本のジャージ男、だけど、あのジャージ駄犬じゃないアル! イルハムおじ、まさか二人目アルか? そういう趣味アルか?」


「た、確かにトゥルーフレンドも達月くんもジャージの子だけど、いかがわしい言い方やめてください! 二人とも、純粋に僕の友達なんですー!」


 前足でアーモンドやピーナッツを振り回し、必死に弁明するハム。

 いまだに事態が理解できず、ぼーっと突っ立っている達月。


「あー、あんの、どちらさん……?」


 やっと出たセリフは、部屋主とは思えないほど低姿勢だった。



  ◇ ◇ ◇



「達月くん、騒がしくてすみません。この子はファン翠鈴スイリン


 ハムが、ちっこい背筋をビシッと伸ばし、黒ぶち眼鏡をくいっと前足で持ち上げながら説明する。


「僕の娘です」


「……へ?」


 達月は改めて翠鈴を見る。ジーンズを履いた、すらりとした細身の体型だが、常に力の入った握りこぶしと隙のない足運び、きりっとした鋭いまなざしが、あふれんばかりの力強さと活気を漂わせている。闘えば、確実に負ける。


 端的に言って、怖い。

 年齢は達月より上にも下にも見えるが、もちろん怖くて年なんか聞けない。


「む、娘やてっ?」


「血は繋がってませんけど、そういや養子縁組とかもしてませんけど、娘同然なんです。あと二人、この子のお姉さんたちもいます」


 親子やのうて、パパ活か? ハーレムか?

 こんな騒がしゅうておっかない生き物を三人も囲っとんのか。ワイには理解できひんが、ハムレベルの熟達したおっさんだとその域まで到達しとるっちゅうわけか。


 と、思案の末に色々と納得した達月は、

「ハムスターになったハムを心配して迎えに来なはったんやな」と、無難にまとめあげた。



  ◇ ◇ ◇



 ハムによると、翠鈴は中国国籍だがイスラエル育ち。ハムと出逢ったのもイスラエルで、現在は北京の大学に在学中とのこと。休みを利用して、日本まで飛んできたそうだ。


「中国の人やということは、すぐわかったで」


 達月がそう言うと、一瞬不思議そうな顔をした翠鈴は、すぐに茹でだこがスミを吐く勢いで真っ赤になりながら叫んだ。


「話し方アルか! じゃない、話し方でゴザルか! すまんアル、直そうとは思ってるでゴザルが、興奮すると出てきちゃうアルでゴザルよ!」


 もはやどこへ向かっているのかわからない。達月とハムは生温い目でそっとしとくことにした。 


「翠鈴、せっかくお邪魔したんだし、一緒にハンバーグ食べていきませんか?」


「ハンバーグアルか? じゃない、ゴザルか?」


「これです、これ」


 ハムがローテーブルの上をてとてと歩き、広げてある本に掲載されている写真のひとつを指す。


「美味しそうでしょ?」


「うん、まあ……というか、ずいぶん古い本でゴザルね」


 二人が見ている料理の本は、あちこちに油や調味料がはねた跡があったり、湿気でしわが入っていたりと、キッチンで使い込まれたことがありありとわかる、年季の入った本だった。


「達月くんが大事に使ってきた本なんですよ」


「うちに今あんの、この一冊だけなんやけどな」


 達月も複雑な思いで本を見る。基本的なメニューだけでなく、食材の選び方や下ごしらえの仕方、分量の測り方まで懇切丁寧に記された、初めて料理をする人にもわかりやすい本だ。


 たぶん、自分はこの本を見ながら必死に料理を実践し、覚えたのではないだろうか。相変わらずおぼろげな記憶をたどっていくと、そのときのワクワクするような期待、失敗したときの悔しさ、美味しかった味の数々が思い出されてくるような気がする。ハンバーグは、本の一番目に掲載されているメニューだ。


「ところで、イスラエルって食いもんが厳しいって聞いたことある気がすんやけど、平気か?」


 ふと思いついたことを達月が訊くと、ハムが再び背筋を伸ばして眼鏡をくいっと上げた。


「ユダヤ教徒でもイスラム教徒でもないから大丈夫ですよ。僕もイスラエル生まれだけど、普通に豚肉食べてたでしょ?」


「小さい頃、母が肉団子のトマト煮込みをよく作ってくれたでゴザル。この本見てたら思い出した……。作り方、もっと教えてもらえばよかったでゴザル……」


 しんみりと本に見入る翠鈴と、どこか寂しそうな様子を見せるハム。

 彼女の母は、もう会えない場所にいるのかもしれない。達月はそう思った。


「どうや。今日来たばっかの人にこんなこと言うのもなんやけど、一緒に作ってみんか? 教えたるで」


「えっ?」


「二人で作ればあっという間や。ほんまはハムと作ろう思うたんやけど、よう考えたらハムの手じゃハンバーグやのうて『そぼろ』になるさかい」


「僕だって、できることは手伝いますよ! 翠鈴、前よく料理してくれてましたもんね。姉さんたちにもよく褒められましたよね」


「そか、じゃあ期待できるわ」


 翠鈴はうっすらと頬を染め、こくんと頷いた。


「イルハムおじが、そう言うなら……」



  ◇ ◇ ◇



 せっかくなので色々食べてもらおうと、三種のハンバーグを作ることにした。


 達月がよく作っていたチーズ入りハンバーグ。

 メタボが気になるハムのために、餃子の時にも作った豆腐ハンバーグ。

 翠鈴の懐かしの味に近い、トマト煮込みハンバーグ。


 達月が本を見せながらざっと説明すると、翠鈴は素早く流れを理解した。あとは調理の順番や入れるものの確認など、達月と相談しながら順調に進めていく。要領のよさ、丁寧かつスピーディーな手つきに達月は感心した。

 フリル装着のハムも、大葉やチーズなどをちっちゃなナイフで器用に刻んでいく。タマネギを刻むのは、つぶらな瞳がだばだばになるのでさすがに無理だった。 



【チーズ入りハンバーグ】


 タマネギのみじん切りをじっくりと炒め、合い挽き肉と混ぜ合わせる。卵とパン粉、塩コショウにナツメグ、牛乳と小さめにカットしたチーズを入れて、さらに混ぜる。チーズをタネの中に入れ込むのがポイント。

 フライパンで両面に焼き目をつけ、中まで火を通す。フライパンから取り出し、フライパンに残った油にソースとケチャップ、シメジを入れて素早く煮詰める。ソースとケチャップの比率で好みの味が決められる。ハンバーグにかけて出来上がり。



【豆腐ハンバーグ】


 鶏挽き肉にタマネギと水切りした豆腐、卵に調味料を入れてひたすらこねる。何度も手に叩きつけ、空気を抜きながら小判型に丸めて、フライパンで基本通りに焼いていく。食べるときに、大葉と大根おろしを乗せて、ポン酢をかける。



【トマト煮込みハンバーグ】


 少し小さめに作った牛挽肉のハンバーグを、基本通りに焼く。スライスしたタマネギやシメジ・エリンギなどを加え、コンソメとトマトピューレを入れて煮込む。野菜から水分が出るため、水はあまり加えなくてもいい。塩コショウで味を調える。翠鈴に話を聞きながら、ニンニクやジャガイモなども入れてみた。

 


 どのハンバーグも、焼き始めるとじゅうじゅうといい音が立ち上がる。

 油と肉汁の香りが香ばしく、嫌でも食欲が刺激される。


 作っている過程の、このワクワク。これが料理の楽しみだ。

 この親子(?)は、自分と同じ高揚を感じてくれているだろうか。


「いただきます!」


 みんなで手を合わせ、ローテーブル上に並んだ皿の数々に敬礼!


「もごもが、パクパク、ごきゅごきゅ、モッキュン!(この、チーズと甘めのソースがタッグを組むと無敵ですねえ! 特製ソースと肉の香りが絶妙なバランスで絡み合っています! 豆腐ハンバーグは、また全然違う味だからモリモリイケちゃいます! ポン酢と大葉の酸味と爽やかさ、クセになります~!)」


「この、味……」


 翠鈴のきりりと勇ましかった表情が、煮込みハンバーグを前に切なげに震えている。母の味を、母の思い出をかみしめるように、一口一口、ハンバーグを大切に味わっている。


 ハムに比べて静かに食事を済ませた翠鈴は、「美味しかった、です」と、達月に向かって深々と頭を下げた。


「あと、ドアチェーン、弁償するアル、です」


 美味しい食事は、人の心を素直にしてくれるものらしい。

 彼女の存在は、もう怖いものではなくなっていた。


 二人の人間と一匹のハムスター。

 国境も種族も越えた小さな食卓で、今日も料理が穏やかに彼らの時を紡いだのだった。

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