二人での登校 —— 加藤大揮

「ねえ加藤君 …… 数学教えてくれない?」


 中学三年の初夏、僕が自分の席でいつも通り本を読んでいると、ふと、隣の席からそんな声が聞こえた。そちらを向くと、一人の可愛らしい女子生徒が少し顔を赤らめながら、こちらの顔をうかがうように見ていた。

 もしかしたら僕は、その瞬間に一目ぼれしてしまったのかもしれない。


「僕でよければぜんぜん。でもあまり得意なほうではないけど大丈夫?」


 僕はとりあえず本を閉じ、そう答えた。彼女は、少しキョトンとしながら、でも嬉しそうな顔をしていた。


「でもこの前のテスト数学の点数とても高かったじゃん。教えてくれると嬉しい……かも」


「そっか……なるべく善処するよ」


 言っておくが当時はそんなに頭がいいほうというわけではない。一個前のテストは数学は学年3位、5教科全体で見入ると学年16位という感じだ。だがまあ、こんなに可愛い女の子が勇気をもって頼み事をしているのに、断る理由はない。

 こうして僕は隣の席の女の子・安藤彩紗に、数学含め、いろいろな教科を教え始めた。

 

◇◇◇


「もう夜か……」


 木曜日。昨日のバイトの疲れが出たのか、僕は、大学から帰って自分のベッドに腰を掛けていたら寝てしまったようだ。窓の外を見るともう陽が落ちていて、近隣の家の照明が道を明るくしている。


「それにしてもずいぶんと懐かしい夢を見たな……」


 ———5年前、初めて彼女と話した時の出来事。最近中学の頃の同級生にあったからだろうか、当時の夢をよく見るようになった。まあそんなに思い出などないのだが……

 体を起こしてスマホを見ると、18:30の時間の表示、その下にはいつも通りのゲームアプリからの通知、そして一つのメッセージが表示されている。


『よろしければ明日、一緒に大学に行きませんか?』


 送信者を見ると ”彩紗さん” の文字が。僕は嬉しさと驚きのあまり立ち上がって少しニヤけてしまった。その後、急いでメッセージを開き、返信しようとするのだがが……


「なんて返せばいいんだろう……」


 なんせ僕は女性と一回も付き合ったことがない人間だ。さらに言えば大学入ってからまともに話した女子なんて陽菜と家族ぐらい。バイト先でも業務連絡以外は女性とは話したことはない気がする。

 そんな僕に急に女子から、しかも好きな人からメッセージが来たところでいくら簡単な内容といえど、返信の言葉なんぞすぐに思いつくわけがない。もしここで変な返信をしたら一気に嫌われてしまうかもしれない。でも返信を遅らせても相手に迷惑が掛かってしまうだろう。


「僕はなんて情けない人間なんだろう……」


 こんなんで将来やっていけるのだろうか。少しは女の人との会話にも慣れておかないといけないな。


◇◇◇


「なるほど…………、それで兄貴は私になんて返答したらいいのか聞いてきたと」


 僕は今、妹・七海ななみの部屋にいる。

 悩んでいても仕方ないと、女子であり現役のJKである七海に相談してみることにした。非常に不服ではあるのだが…………今回は自分の立場より恋を優先するべきだろう。


「そうなんだよ————なあ妹よ、この愚兄にいい感じの返答を授けてくれないでしょうか」


「それぐらい自分で考えろ———と、言いたいところだけど我が兄に訪れた初めての恋路だ。プリン一つで教えてやろう」


「お前ほんとプリン好きやな。悔しいが、今回はおごってやるから教えてくれ」


「よろしい」


 こうして約150円を代償に一つの返答を教えてもらった。



 

「こんな単純な言葉でいいのか?」


 あまり彩紗さんを待たせるのも悪いので、七海から授かった言葉 ——— 『もちろんいいよ』 と、メッセージアプリに打ち込む。そして、少し緊張して手が震えながらも送信ボタンを押した。


「そうゆう質問には簡単に返すのがいいんだよ。それと硬くなりすぎないように。そうすればとりあえず何とかなるから。————自分調べやけど」


「僕は初めて妹を尊敬したよ」


「おい兄貴、プリンを一つ増やすぞ」


「やめてくれ、俺の財布に響く……」


「———まあ、何はともあれよかったじゃん。明日頑張れよ、兄貴」


「おう! ——————そういえば自分調べとか言ってたけど……もしかして付き合ってるやつとかいるんか?」


 そう聞くと七海は急に顔を赤くして、少したじろいだ。


「…………愚問だぜ、兄貴」


「その反応、まさかお前……」


「い……いるにきまってるじゃない。毎日ラブラブよ……」


「マジか! まさかこんな妹に彼氏ができてるなんて……。お兄さんは嬉しいよ。」


「兄貴よ。やはりプリンをもう一つ増やすぞ」


その後いつもの調子に戻ってきた妹とどうでもいいような話をしていると母さんが夜ご飯に呼ぶ声が聞こえた。


「「はーい」」


 兄妹二人そろって返事をし、階段を下りて、リビングの席に着く。


 今日の夜ご飯は僕の大好物のカツ丼だった。


◇◇◇


 カツ丼を二杯食べ、風呂に入り、自分の部屋に戻ってくると、ちょうどよくスマホの通知音が一つ鳴った。


『ありがとうございます!それでは明日の7時に梅田駅に集合でもよろしいでしょうか?』


送信者はもちろん彩紗さん。今回も妹に相談して返信しようと考えたが、さすがにやめた。ここで妹に頼っては、僕の尊厳が失われてしまうと感じたのだ。ついでにプリンを追加で求められる気がする。


「単純かつ硬くならないように……」


結局、10分ほど迷って 『うん、いいよ』 と返信した。そうするとすぐに


『では、また明日』


と送られてきたので 『こちらこそ』 と返す。


 そうしてスマホを閉じ、いつもより少し気合を入れて明日の準備を始めるのだが……



「なるほど。今度は何の服を着ていけばいいのかさっぱり分からなくてこの妹に意見を求めに来たと」


 只今、僕の目の前で七海が呆れた顔でため息をついている。

 そう、女の人と二人でなんて出かけたことがない僕は、何を着ていけばよいかなんてさっぱり分からない。ということで、結局妹を頼ってしまった。


「そうなんだよ妹よ。プリンでもゼリーでもとりあえずもう一個おごってあげるから明日の服装をこの兄に教えてくれ」


「はぁー。 てか登校するだけならいつもの地味な服装でいいと思うんですけど……。それにアイロンでもかけてさえなくせば全然いいと思うんですけど」


「そんなもんなんか、服装って」


「大体そんなもんだよ、服装なんて。あ、あと今回、杏仁豆腐ね」


「はいはい……」


 あまりすっきりはしないけど妹が言うんだからまあ、悪くはないんだろう。とりあえず自分の部屋に戻り、いつも通りの服を取り出してアイロンをかけておいた。その後、一通り準備を終えてベッドに横になった。


◇◇◇


 翌朝、5:00。いつもと同じ爽快なアニソンのアラームで目を覚ました僕は朝食を食べ、気合を入れて顔を洗い、大学に行く準備を整えた。そうして6:15にまだほかの家族が誰も起きていない中、「いってきまーす」と小声で言って家を出た。

 梅田駅までの道のりは自転車で約15分。途中、道に落ちていた財布を交番に届けながら、待ち合わせの25分前に駅に着いた。まだ彩紗さんは来ていないようだった。


「やばい、緊張する……」


彩紗さんを待っている間、胸の鼓動がずっと鳴りやまない。まだ冬だというのに少し汗もかいてきた。そわそわしてその場を歩き回ってしまっている。周りの人からしたらただの変人に見えるだろう。朝の人が少ない時間帯でよかった……



「ごめんなさい待ちましたか」


 待つこと数分彩紗さんが長い髪を少し揺らしながらこちらに小走りで来るのが見えた。白色のジャケットに長めのスカート。肩によく似合うカバンをかけている。ヤ……ヤバい、可愛すぎる。


「い……いや、全然待ってないよ。まだ待ち合わせの15分前ですし……」


僕は、恥じらいから、目をそらしながら昨日頭に叩き込んでおいた定番の言葉を絞り出す。


「そうですか。それなら良かったです……」


彩紗さんは恥じらいながらも、ホッとしたのか、落ち着いた感じで微笑みながら言葉を返してきた。


(何この笑顔、破壊力抜群だろ……)


 僕はもう飛び出しそうな心臓を頑張って落ち着かせる。


「もしかして少し体調が悪いのですか……」


 少しアワアワとしている綾瀬さん。これはずっと見ていられる。でもさすがにずっと困らせてるわけにはいかない。


「いや、全然平気だよ。そ……それじゃあ行こっか……」


「ハ……ハイ……」


 そしてようやく二人は電車に乗り込んだ。

 

◇◇◇


 大学の最寄り駅までは、梅田駅から9駅、そこから乗り換えて2駅の道のりである。


「きょ……今日の服、とても似合ってるね」


「ありがとう……」

 

「…………」


「…………」


 電車に乗って席に着いたはいいものの、あまり話が進まない。それどころかなかなか顔も合わせられない。こういう時は自分から話しに行かないといけない……と思いながらも話題が思いつかない。

 そうしているうちに乗り換えの駅につき、二人並びながらも何も話さないまま歩く。はたから見るとただの初々しいカップルに見えるかもしれない……さすがに言いすぎか。


 次の電車を待っている間、流石になんかしゃべらないとっ、と言葉を絞り出す。


「きょ……今日は誘ってくれてあ…ありがとう……」


「……こちらこそ」


 やばい……また話が止まる……。何とか続けないと。急いで頭の中の最近読んだラノベの中から言葉を探し出す。


「あ、あの……もしよかったらこれからもたまにでいいので……一緒に登校しませんか……?」


 我ながら思い切った提案をしてしまった。咄嗟とっさに出た言葉だった。彩紗さんのほうを見ると顔を赤らめて、キョトンッとしている。


「あ……えっと……今のは……」


「……いいよ」


「えっ……」


「わ……私も一緒に登校したい…………かも」


 びっくりして彩紗さんのほうを向くと恥じらいながら下を向いている彼女が目に入った。


「う……うん」


 僕も目をそらしながら返事をする。そして小さく拳を握った。

 そこで会話は途切れた。もう少し話したいような気はしたが、悪い気はしなかった。


 


 しばらくして電車が来た。

 今日は楽しい一日になりそうだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る