世界は何でできている

第1話 世界は何でできている?

 眼前に広がる海と空。町を抱くように連なる森と、山。

 いつかはここから出て行きたい。

 そう思っていた。小さい頃からずっと。

 でもそれは、けんか別れしてだとか、子どものわがままを仕方なく聞いてとか、勝手にやれって突き放すようなのとか、そんなのじゃないんだ。

 ちゃんと、行ってらっしゃい、って送り出して欲しかったんだ。

 俺には、ばあちゃんしかいないから。

 またここに帰ってくる、って場所が、ちゃんとあって欲しいと思ってたんだ。










「お前はまだまだお子ちゃまだな!!」

 酒場のカウンターの前でうずくまっていたディーは、豪快に笑っている男の椅子の脚をグッと掴みひっくり返した。

 男は腰を床に打ちつけ強打。悶絶している。

「おま…腰は…地雷原…。」

 ピクピクと痙攣し動かなくなった男は、先ほどロドリゲスだと名乗っていた。

 自己紹介を受けたばかりの関係だったが、でかくいかつい図体に似合わず、人懐っこく笑いおしゃべりの気のいいやつで、好きになれそうだった。

 いや、俺はもうお前が好きだったよ。

「勝手に俺を殺すな!!!」

「お、復活したね。」

 カウンターの奥から覗いていたマスターが大丈夫か?と声をかける。

 周りからも仲間と思しき男たちがやんやとはしゃいでいる。子どもみたいに。

「うちの船1番の力自慢が、ガキにやられてちゃカッコつかねぇな!もうお前はお役御免だとよ!」

「ロドリゲスの代わりに一緒に来るか?」

 ただの冗談だとわかっていたが、ディーは輪の中で仲間になれたようで嬉しかった。

「勝手に連れてくんじゃねぇぞ、これでもここいらじゃ大事にされてんだ。雑用係としてな。」

 マスターが大きな手でディーの頭をがっしがしと撫で回した。撫でると言うには少々乱暴だけども。

「この辺りは若い奴が少ないもんでな、こんなガキンチョでも貴重な男手なんだよ。」

 頼りにしてんだぞー!ニカッと笑うマスターにディーはドヤ顔で返すが、心中は複雑なものだった。

 

 酒場を後に家までの道を走る。

「ただいま!」

 ドアを勢いよく開けると、暖かい食事の用意されたテーブルが見えて、その横では可愛い孫の帰りを待っていた、ふわふわのスカートと花柄のスカーフを頭に巻いた可愛いシルエットの小さい老婆。顔を見るなり、彼女は

「このバカガキがぁ!ドアは静かに開けろっつってんだろぉ!!」

 怒号を飛ばす。

「静かに開けられるキレイな扉にしてくれたらな!」

 ずっと家のドアは建て付けが悪く、開きにくくなっているため、反動をつけて引っ張ったり体当たりをしないと開かなくなっているのだ。

「なぁ、そろそろ直してもらわない?」

「いいんだよ、出入りはできてるんだから。ほら、さっさと手ェ洗ってきて座んな!」

 ディーは、今日の分の稼ぎが入った袋をテーブルに置いて手を洗いに行く。

「ディー!お前また酒場行ったんだろ!」

 袋からお金を出したラダナは叫んだ。

 この小さな体からよくまぁこんな大声が出るもんだといつもながら感心する。

 仕事帰りに酒場に寄り、そこで銅貨2枚で一杯のミルクを飲んで帰ってくるのが、ディーの楽しみでもある。

 ただ、今日は、いつもと違い、麦酒をたった一口だが飲んだ事は口が裂けても言えない。

「ケチくせぇ。銅貨2枚程度でそんな騒がないでよ。」

「男も女も関係ないんだよ。人間みな素直が一番。素直だよ。反抗したり強がったりすんのはカッコいいことでは無いんだよ!」

「何言ってんだ?意味わかんねぇよ。反抗なんか。」

「言いつけを守らないやつは立派な反抗期のチビガキだっつってんだよ。」

「反抗期でもチビでもガキでもねぇし!」

 椅子を乱暴に引いてどかっ!と音を立てて座ると、ラダナが座るのを待って、「いただきます。」食事に頭を下げ食べ出した。何も言わずに話さずにスープやパンや焼き魚なんかを頬張る。

「あのね、たとえどんなに毎日コツコツと頑張ってたって、報われない事もあるんだよ。」

 何のこと言ってるんだよ、と言おうと顔をあげ、口の中のものを飲み込む。

「ミルク飲んだくらいじゃ背は伸びやしないからね。」

 ラダナはそう言うと、ゆっくりスプーンを持ち上げ食事に手をつけた。

「ち、ちげーーーし!!別に好きだから飲んでるだけだし!」

「はいはい、わかったから、ご飯食べな。それ以上成長止めたくなければね。」

 ぎゃーぎゃー喚くディーには見向きもせず、ラダナは黙々と食事を進め、その後諦めて落ち着いたディーも静かに続く。

 小さい頃は、庭の前を歩いていたアリを見つけただとか、鳥の形の雲を見つけて追いかけていたら池に落ちただとか、近所のおばちゃんの頭に枝が刺さってた(実際は旦那さんにもらった髪飾りだった)とか、どうでもいいことでも話した。それこそ、食事中だけでなく、朝起きてすぐに見た夢の話をしだす事もあったし、パンを焼くラダナのそばを離れずお腹すいた歌を歌い続けたり、眠りにつく直前まで、人に聞いた勇者の冒険譚を語ったり…。

 お前の口はよく動くねぇ…と言うのがラダナの口ぐせのようだった。その頃は、ラダナも含め、周りの大人たちは皆、ディーは身長に行く分の栄養は全部口から飛び出していってんじゃないかと笑い話にしていた。同世代の女の子よりも小さいのをずっと気にしていた本人にはとてもじゃないけど言えないが。

 それが、ディーが10歳にもなると、働きに出るようになり、そこからだんだんと家での会話が無くなっていった。

 実際は、おしゃべりなのは今でも変わらない。ただ、今15歳のディーは、口を開けばどうしても夢であった冒険者への思いが出てしまう。それがまだ叶えられないと言う現実。思いを出したところでつらいだけ、でも我慢しきれなくなって時々あてつけるように攻撃的に言葉を吐いてしまうのだ。そうなると、口を開かない、話さないでいよう、という結論に至る。それでも全く会話をしない訳にもいかず、なるべく短く、端的に、思いを伝えようとすると、どうしてもきつい物言いになってしまう。決して、頑固でわからず屋の祖母が嫌いだから、というわけではないのだ。

 何も話さずとも、こうして二人でテーブルにつき、祖母の食事を共に食べるこの時間が好きだ。毎日帰ってきて、ドアを開ける前から薫ってくる大好きなスープの匂い。ただいまとドアを開けた後の、おかえり、ではなくうるさい!と帰ってくる声。憎まれを叩きながらもそのやりとりが楽しいと思う。

 何でわかってくれないんだ。

 そう思いながらも、やっぱり唯一の肉親。家族。それを大切にしたいという気持ちも本物で大事だった。

 腹の奥の方で燻りが、言いようのない表しようのない気持ちがただただ、大きくなっている。

 それを隠して、抑えて、毎日、町の元気な生意気坊主を、演じている。

 そして、こうしてこれからも過ごしていくのだ。

 変わり映えのない静かな日常。慣れた皆の顔。生活。景色。

「それが一番。」

 いつも酒場のマスターは言う。

「このなんでもねぇ普通、が、どれだけ幸せか。覚えとけよ。」

 そう言いながら、たまにオマケのサンドイッチなどを出してくれたりする。そして、

「そんで、その普通が、変わるのはいつもいきなりだ。」

 だから、それを当たり前だと呆けて過ごしてないで今、今、を必死に生きろ、と言う。

「俺は、いつだって一生懸命だよ。」

「はっはっ!それは立派なことだ!こっちも、いい加減な気持ちでお使いを任されてもらっても心配になるしな!」

「仕事はいつも真面目にやってるよ!」

 力仕事だって、地味なお使いだって、手紙の代筆や、子守りだって、それがこれからの力や、練習になるなら、と。なんだって頼まれれば一生懸命やってきた。正直、海の見張りとか眠いだけだし、フーリ婆さんのお守りはおんなじ話ばっかりで飽きるし、たまにふらっと山に入っていってしまうと連れ帰るのがめんどうだし、馬は苦手なのに、隣町までの御者を頼まれるとげんなりする。

 それでも、文句も言わずにやってきた。10歳になってから毎日、ダージ親方の元で大工の仕事をして、空いた時間には体を鍛えたり、町の雑用をなんでも引き受けた。人一倍、動いて、学べるものはいろいろ学んでいるつもりではいた。

 ディーがいるこの町は大きくない。海に面していて、広さはあるのだが、人はそんなに多くなく、補修、補給などの休憩地として港に停泊する沢山の船はあれど、観光地でもないのでわざわざここに留まってお金を落としていくような客も商人も少ない。この周りは山、森ばかりのため、海路や河を使う水路の方が移動しやすくここから内陸移動に変えるものもほとんどいない。同じように内陸からの訪問者も少ない。

 町の中にいれば、ほとんど外の人間と関わる機会がないのだ。

 ディーが学んだ知識や、鍛えた力を比べられる者も発揮できる場所もないのだ。

 たまにとてつもない空虚感に襲われる。

 こんなにあちこち走り回ってるけど、全部無駄なんじゃないか。

 意味があるのか?

 それでも、助かったよ!と言ってくれる町の人は本当に心からの笑顔をくれる。帰ったらいつも同じようにばあちゃんが悪態吐きながらも美味いご飯を用意してくれてる。

「普通が一番。」

 これでいい。これで満足してなきゃ、もったいない。今、これが、一番の幸せなんだ。

 冒険者にはなれなくても、俺はここで、町を守る。


 そして、そんな普通の毎日は、マスターの言う通り、いきなり普通じゃなくなるのだ。

 

 

 

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世界は何でできている @bunbougu

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