第7話 夢と別れ

「それでは、新郎、新婦の入場です」

 夢に見た、先輩との結婚式。隣には、ウェディングドレスを着た先輩がいる。

ぼくは、これから、先輩とバージンロードを歩く、ここは、川北町の中心街。

路面電車のホームやバス停がある、この町で一番大きな場所だ。

ぼくたちの結婚式のために、この街に住んでいる宇宙人たちが、祝ってくれて

いる。

 隣を見ると、先輩が微笑んでいる。ぼくは、この世界で、イヤ、地球上で、

全宇宙の中で、宇宙人と結婚した地球人は、ぼくだけだ。なんて素晴らしい一日なんだ。夢じゃないのか……

ぼくは、最高の幸せの瞬間を体中で受けていた。回りの人たちに祝福されて、

幸せの絶頂だ。その時だった。

「宇宙警察が来たぞ!」

「まずい、逃げろ」

 回りの人たちが、一斉に逃げ惑う。クモの子を散らすように、散り散りに

逃げていく。

「甲児、ごめん」

 先輩は、そう言うと、ウェディングドレスから、全身が銀色の宇宙人の姿に

変身するとぼくの前から突然消えてしまった。

「ちょ、ちょっと、先輩、アッコさん……」

 一人取り残されたぼくは、タキシード姿のままポツンと立ち尽くす。

「そこの地球人。動くな。抵抗すると、撃つぞ」

 ぼくに言ってるのか? 宇宙警察が、おかしな銃のようなものをぼくに

突きつける。

「宇宙人をかくまった罪で、逮捕する」

 ぼくの両手に頑丈な手錠のようなものをかけられた。

「あの、ちょっと、これは……」

「地球を売ろうとしたお前は、重罪人として逮捕する。さらに、侵略宇宙人を

匿った罪だ。残念だが、お前は、死刑だ」

「えーっ! そんな、ちょっと……」

 ぼくは、宇宙警察に連行されていく。

「せんぱーい! アッコさーん!」

 と、先輩の名前を大声で呼んだところで、目が覚めた。


 ガバッと、起き上がる。目の前には、いつものアパートの壁が見えた。

ぼくは、急いでベッドから起きると、隣の部屋に行った。

「あら、おはよう」

 そこには、いつものように、機械の前に座っている先輩がいた。

「おはようございます」

「どうしたの?」

「イヤ、なんでもないです。すぐに朝ご飯を作りますね」

 ぼくは、急いで部屋を出て、洗面所に向かった。顔を洗ったところで、

鏡を見る。

「よかった。夢だったのか。ヘンな夢を見たな」

 ぼくは、そう呟いて、顔を両手で一度パンパンと叩いて、部屋に戻る。

そして、朝ご飯を作る。今日のメニューは、ご飯に味噌汁、スクランブルエッグとトマトサラダ。先輩は、朝から、もりもり食べてくれた。

ぼくは、おいしそうに食べる先輩を見詰めていた。

「なに見てんの? あたしの顔になんかついてる」

「イヤイヤ、そんなんじゃないです」

 ぼくは、慌ててご飯を頬張った。

「なんか、うなされていたようだけど」

「えっ!」

 まずい。夢を見て、うなされていたのか。それを聞かれていたと思うと、

恥ずかしくなった。

「実は、夢を見たんです」

「夢? どんな夢」

 言っていいのかどうか、迷ったけど、素直に言うことにした。

「実は、先輩と、その……結婚する夢を……」

「へぇ~、いい夢じゃない」

「ところが、そこに、宇宙警察が邪魔して、先輩がこの街の人たちと逃げるんです。残された僕は、逮捕されて、死刑になる夢なんですよ」

「なにそれ?」

 そう言って、先輩は、朝から元気に笑った。

「正夢じゃにないですよね?」

「当たり前でしょ」

 そう言って、先輩は、お茶をゴクッと飲み干した。

「朝から、バカなこと言ってないで、早く食べちゃいな。遅刻するわよ」

「ハ、ハイ」

 ぼくは、残りのご飯を口に放り込んだ。

「ぼくは、片づけしてから行くから、先に行ってて下さい」

「そのことだけど、やっぱり、甲児といっしょに出版社に行くことにしたから」

「ハァ? それは、まずいんじゃないですか」

「いいのよ。甲児を一人にしておくと、また、宇宙警察がちょっかい出してくるからね」

「でも、ぼくなら大丈夫ですよ」

「ダメ! あたしが間違ってたの。だから、今日からいっしょに同伴出勤よ」

 その言い方は、なんとなく風俗的な言い方な気がする。

「わかったら、早く片付けて、着替えてらっしゃい」

 そう言われると、ぼくは、急いでスーツに着替えて、髪に櫛を入れる。

また、いっしょに行けると思うと、やっぱりうれしくなる。

顔が自然と緩んでいるのを鏡で見て自分にカツを入れるつもりで引き締めた。

「お待たせしました」

「ネクタイが曲がってる。男は、ちゃんとしなさい」

 そう言って、先輩は、ネクタイを締めなおしてくれた。

先輩の髪から、いいニオイがした。てゆーか、先輩の顔を朝からこんな間近で

見て、刺激的な一日のスタートを切った気がした。

 ぼくたちは、並んでアパートを出ると、バス停に行った。

すぐにバスがやってきて、二人で乗り込むと、後部座席に並んで座った。

「あの、どういう風の吹き回しですか? 昨日の今日で、いっしょに通勤して大丈夫なんですか?」

「いいのよ。それとも、あたしといっしょはイヤなの?」

「トンでもない! アッコさんといっしょのが、朝からテンションあがりますよ」

 するとも先輩は、ぼくの横顔を見て、ニコッと笑った。

「甲児みたいな地球人にいろいろ言ってくる宇宙警察に頭にきてるのよ。会ったら、ガツンと言ってやるの」

 先輩は、かなり怒っているらしい。でも、宇宙警察と面と向かって、

大丈夫なのか?

「逮捕されるから、やめたほうがいいと思いますよ」

「大丈夫よ。そのときは、この人、痴漢ですよぉ~、とかいって大騒ぎにしてやるわ」

 先輩を本気で怒らせるのは、やめようとぼくは誓った。


 出版社に着くと、ぼくたちは、いつものようにバスを降りる。

走り去るバスを見送りながら、先輩に聞いてみた。

「宇宙警察、どっかにいますか?」

「その気配はしないけど、どこで見てるかわからないからね」

 先輩は、気にしないのか、さっさとロビーに入っていく。

ぼくは、慌てて後について、エレベーターに乗り込んだ。

「あんまり、ビクビクしないの。いつも通りね」

「ハイ」

 先輩に注意されたところで、三階の編集部に着いた。

「おはようございます」

 ぼくは、部屋に入ると同時に、挨拶する。すると、他の編集部員たちが、

先輩を囲んでくる。

「この原稿なんですけど……」

「チェックをお願いします」

「ハイハイ、わかったから」

 先輩は、すでに仕事モードのスイッチが入ったらしい。

ぼくも先輩に習って、自分の仕事をすることにした。預かっていた、山居先生の原稿を読み直してみる。

 そこに、電話がかかって来た。ぼくは、反射的に受話器を取った。

「もしもし、永井出版、編集部です」

『そちらに山岸甲児さんは、いらっしゃいますか?』

「ハイ、ぼくが山岸ですけど、どちら様ですか?」

『ちょっと、外に出てこられますか?』

「あの、どちら様でしょうか?」

『私の声を忘れたんですか? 宇宙警察ですよ』 

「あっ!」

 思わず声が出てしまった。まさか、本人から電話がかかってくるとは

思わなかったのだ。

ぼくの声を聞いて、先輩が目で合図をする。

「あの、今、仕事中なので、ちょっと……」

『それじゃ、あなたの愛している、彼女を出して下さい』

「イヤ、それは……」

『それじゃ、今すぐ、出てきてください。外で待ってますから』

 そう言って、電話は切れた。ぼくは、受話器を持ったまま、少しの間動け

なかった。やっと、受話器を置くと、先輩がぼくの様子を気にして声をかけた。

「誰から?」

「それが、その、宇宙警察です」

 最後のほうは、声が消えそうだった。

「それで?」

「すぐに出て来いって」

「そう。わかった。それじゃ、行っていいわよ」

「いいんですか?」

「いいわよ。ただし、あたしも付いて行くから」

 最後の一言は、ぼくにだけ聞こえる声だった。

「そんな顔しないの。大丈夫だから、元気を出して」

 先輩は、そう言って、ぼくの肩を勢いよく叩いた。今のぼくの顔は、血の気がうせているようだ。

「さぁ、行くわよ。すみません、あたし、ちょっと出てきます。すぐに戻りますね」

 そう言って、ぼくのシャツを摘むと、無理やり立たせてエレベーターに連れて行く。

「あの、ホントに大丈夫ですか?」

「なにが?」

「だって、ホントに逮捕されるかもしれないんですよ」

「あたしに任せて。この際だから、ガツンといってやるから」

 そう言って先輩は、不敵な笑みを浮かべた。その顔は、侵略者の顔だと

思った。

まずは、ぼくが一人で出版社の外に出る。周りをキョロキョロしながら、どこから来るのか相手を探す。すると、後ろから声をかけられた。

「よくきてくれたね。」

 振り向くと、あの時と同じ、諸星先生がいた。

「なんの用ですか?」

「キミの彼女を逮捕しにきたんだけど、案内してくれないかな?」

「そんな事、できるわけないでしょ」

「彼女を庇うと、キミも同罪になるんだよ」

「そんな誘導尋問には、乗りませんよ。逮捕するなら、僕を逮捕して下さい」

 そのときの諸星先生の顔が、少し歪んだ。

「どうぞ、逮捕して下さい」

 そう言って、両手を差し出した。しかし、諸星さんは、何もしようとしない。

「どうしたんですか?」

「参ったね。キミの事を少し甘く見てたよ」

 諸星先生は、そう言って、頭をかいた。

「どうしたの? 宇宙警察さん」

 そこに、先輩がゆっくり現れた。

「お前!」

「彼がなにかしたのかしら? 山岸は、あたしの大事な部下なんだけど、なにか用

なら、あたしを通してくださらない」

「そうくるか。さすが、指名手配の侵略宇宙人だな」

「何のことかしら?」

「とぼけるな! 今、この場で貴様を逮捕する」

「出来るものなら、やってみたら。あなたにそんなことが出来るのかしらね」

 先輩は、腰に手を置いて、堂々としている。ぼくは、ハラハラしている

ばかりで、話を挟む余地もない。

しばらくの沈黙の後、宇宙警察の方がそれを破った。

「覚えてろよ、次に来るときは、必ず逮捕するからな」

「あなたじゃ無理よ。次は、宇宙刑事を連れてくることね」

「くそっ!」

 そういい捨てると、宇宙警察は、雑踏にまぎれて去っていった。

ぼくは、ホッと、息をついた。

「もう、終わったわよ」

「先輩、ヒヤヒヤしましたよ」

「あんなやつ、大したことはないわよ」

 ぼくは、宇宙警察を前にしても怯まないその姿に、惚れ直してしまった。

「さぁ、仕事に戻るわよ」

「でも、あんなこと言って大丈夫なんですか? 宇宙刑事とか言ってたけど……」

「宇宙刑事は、あいつの上司よ。もっと、融通が利かないんだけどね」

 先輩は、ぼくが心配していることも、さらっと交わして笑っている。

この度胸が、ぼくには、ないのだ。先輩についていくことには、度胸と勇気が

必要なのだ。


 その日から、宇宙警察は、ぼくたちの前に姿を現さなくなった。

ぼくは、相変わらず、回りを気にしているけど、先輩はそんな素振りはない。

度胸があるというか、なんというか…… やっぱり、侵略宇宙人と言うのは、

すごいなと思う。

 そして、あれから数日たったある日の夜、ぼくは、二度目の侵略会議に行く

ことになった。

場所は、前回と同じ、川北町の中にある、雑居ビルだ。

会議室の中に入ると、広い部屋に円卓のテーブルの周りに何十人という人たちがいる。

ぼくは、先輩の隣にちょこんと座っているだけで、この中で地球人はぼくだけ

なので、なんとなく肩身が狭い感じがする。思いっきり、場違いなのだ。

時間になって、会議が始まった。

「では、今回の議題は、地球を侵略するに値する星かどうか、皆さんから意見を聞かせて欲しい」

 進行役の男が言うと、次々と意見が出た。

「地球のためにも、すぐにでも、侵略した方がいいと思う」

「しかし、侵略するにしても、その方法が統一されないうちは、無理だ」

「その前に、ホントに地球は、そんなにいい星なのかしら」

「もっと、よく吟味してからでも遅くないんじゃないかな」

「イヤ、このままにしておくと、地球はどんどん滅んでいく」

「私は、この星は、侵略するほどの星じゃないと思うな」

「確かに。我々が手を下さなくても、勝手に自滅していく星だ」

「だから、そうなる前に、我々の手で侵略するんだよ」

 議論は白熱して来た。ここにいる人たちは、みんな本気で地球を侵略しようとしているのだ。

「キミは、どう思うかね? 地球人としての意見が聞きたい」

 不意に話を向けられて、ぼくは、ドキッとしてしまった。

みんなの視線がぼくに集中する。ぼくは、どう話していいんだろう……

黙っていると、先輩がそっと耳打ちする。

「自分が思ってることを言えばいいのよ」

 そこで、ぼくは、思い切って、言ってみた。

「ぼくは、地球人だから、よくわからないけど、地球って、ホントにいい星なんですか?」

 ぼくが一番宇宙人たちに聞いて見たいことは、これだった。

すると、すぐに反論が湧き上がった。それも、ほとんど全員からだ。

「お前は、地球を知らないのか」

「地球人として自覚が足りない」

「地球を見たことないのか」

「まったく、これだから、地球人て言うのは……」

 などなど、呆れるというか、一方的に攻められた。

「まぁまぁ、皆さん、その辺にして、地球人、話を続けて」

 進行役の人に促されて、ぼくは、話の続きをした。

「ぼくは、確かに地球人として自覚がないかもしれません。地球人失格かもしれません。だから思うんです。ホントに地球というのは、素晴らしい星なんですか? ぼくは、そう思いません」

「なぜ、そう思うのかね?」

「だって、いまだに地球人同士で戦争しているし、自然を破壊してるし、

犯罪だって毎日起きてる。災害があったり、飢えで子供たちが毎日苦しんでいるんですよ。そんな星が、いい星といえるんですか?」

「なるほど。キミの言うことにも一理ある。しかし、それ以上に地球と言うのは、魅力がある星なんだよ」

 ぼくには、その意味がわからなかった。

「いいかね。ここにいるみんなは、地球を外から見ている。地球だけじゃない、その他のいろいろな星を見て来た。そんな我々が地球は、魅力がある素晴らしい星というんだから、これほど信用できる話とは思わないかね?」

「地球を外から見るのと、ウチから見るのとじゃ、感じ方が違うのよね。見ると聞くとじゃ大違いって言うでしょ」

 先輩が初めて口を開いた。そして、続けた。

「彼は、迷っているんです。地球人として、あたしたちの仲間として、地球を

侵略するべきかどうか。彼に考える時間を上げてくれませんか? 」

 ぼくは、横にいる先輩を見ていた。

「いいでしょう。時間は、区切りません。キミの結論が出たときに、教えて下さい」

 進行役の人が言うと、今日の会議は、解散ということになった。

「ほら、元気出しなさい」

 先輩が肩を叩いて、ぼくを促した。ぼくは、席を立って、会議室を後にした。

「先輩、ぼくは、やっぱり、地球を侵略する側には、なれませんよ」

「そうよね。キミは、地球人だものね」

「でも、ぼくは、先輩が好きです。離れたくありません」

 ぼくは、歩きながら本音を言った。ぼくが愛した人は、侵略者だっただけだ。

それは、悪いとは思わない。でも、地球を侵略するというのとは、別の話だ。

「だから、ぼく、わからなくなりました。きっと、いくら考えても、答えは出ないと思います」

「無理に考えなくてもいいし、無理に答えを出さなくてもいいのよ」

「でも……」

「キミには、キミの人生があるんだから、あたしに付いて来なくても、充分やり直せるはずよ」

 先輩は、歩きながら平然と言った。

「それでも、あたしは、この星を侵略するけどね」

「先輩……」

「だって、あたしは、侵略宇宙人だし、地球を侵略するために来たのよ。それを諦めろって言うの?」

「それは……」

「抵抗するなら、してもいいのよ。それが、侵略される側なら当然のことだもの」

 ぼくは、黙ってしまった。もう、なにを言ったらいいのかわからなくなった。

「でもね、あたしは、甲児のことが好きよ。例え、地球を侵略した後でもね」

「ぼくだって、アッコさんのこと大好きです」

「だったら、それでいいじゃない。余計なことは考えないの」

 そうだろうか…… それでいいんだろうか?

「さぁ、帰って、ご飯を食べようか。今夜のご飯は、何かしら?」

 このとき、ぼくはまだ、今夜の献立は考えていなかった。

「あの、スーパーに寄らないと……」

「そうなんだ。それじゃ、どっかで食べて帰ろうか」

「すみません。なんか、食欲がわかなくて……」

「そう。それじゃ、いいわ。でも、ちゃんと食べないと、甲児は地球人になんだから、死んじゃうよ」

 ぼくは、なんとなく頷くしか出来なかった。

部屋に戻ると、ぼくは、おやつ用に買っておいた菓子パンを食べた。

先輩は、機械の前に座ったまま、それきりこの日は、会話がなかった。

ぼくは、どうすればいいんだろう…… 侵略されるのか、するのか、答えは

出ない。


 その日を堺に、ぼくと先輩の間が、なんとなくギクシャクした雰囲気に

なった。

出版社でも余り仕事の指示がなかったり、ぼくに命令をしなくなった。

ぼくは、他の人の編集作業を手伝うなどして、自分の業務に没頭した。

 仕事が終わっても、先輩は、残業することが多くなり、ぼくとすれ違うことが増えた。部屋に戻っても、先輩は、機械の前に座ったきり話もしない。

ぼくも夕飯は、外で済ますようになった。朝起きると、先輩はすでに出勤して、いない日が多くなった。

 最近、先輩の顔をちゃんと見てない。話をすることもない。いっしょに通勤

してたのに、今は一人だ。

バスに乗っているときも、いつも横にいた先輩がいない。どうして

こうなったんだろう……

そう思うと、出版社に行くのが、だんだんつらくなって来た。

行けば、イヤでも先輩の顔を見ることになる。それが、なんか淋しい。

 そんな日が何日も続いたある日、ぼくは、アパートで先輩の帰りを待って

いると、少し遅くなってから帰って来た。

「お帰りなさい」

「ただいま」

 形式だけの挨拶だ。何の感情もない挨拶だ。そんな挨拶、イヤだ。

「あの、食事は……」

「いらない。キミは、食べたの?」

「ハイ、先に食べました」

「そぉ」

 それだけだった。先輩は、機械の前に座ったまま言った。それが淋しかった。

ぼくは、ついに、我慢できなくなって、先輩に話しをしようとした。

口を開きかけたとき、先輩が椅子ごと体をぼくに向けて、先に話した。

「あのさ、あたし、地球を出て行くことにしたから」

「えっ!」

「甲児とも、これでサヨナラだよ。よかったね、地球が侵略されなくて」

「あの、それ、どういうことですか?」

「聞いたままよ。地球侵略は、一時保留することにしたの。しばらく様子見ってとこかしら。だから、地球には、用がないから、出て行くことにしたの。

もちろん、あたしだけじゃないわ。川北町に住むみんなもね」

 ぼくは、頭が真っ白になった。急展開な話しに、頭が付いていかない。

「いきなり、出て行くって、ぼくは、どうなるんですか?」

「もちろん、これまで通り地球人として、生きていくのよ。あたしがいなくても、キミは、大人でしょ」

 ぼくは、膝の力が抜けて、その場にへたり込んだ。ぼくの前から先輩が

消える……

そんな事、考えても見なかった。これは、夢だ。悪夢だ。そうとしか思えない。

「なんて顔してるのよ。元気を出しなさい」

「先輩…… アッコさん、あなたは、どこに行くんですか?」

「う~ん、そうね、今度は、どこに行こうかしらね。また、侵略する星を探して宇宙を旅してみるわ」

「そんな…… ぼくは、ぼくは、アッコさんに付いて行こうと決めてたのに」

 ぼくの目から、自然に熱いものが落ちて来た。男のクセに、なんて女々しい

やつだと思った。だけど、しょうがなかった。止めようがなかった。

そんなぼくを見て、先輩は言った。

「キミの役目は、充分に果たしたのよ。実験台として、すごく役に立ったわ。

ありがとうね」

 こんなときに、ありがとうなんて言われても、ちっともうれしくない。

第一、実験台として役に立っても、褒められているとは感じない。

「これからは、普通の地球人として、自分の世界で生きていってね。まだまだ

人生は長いんだから」

 先輩は、こんな時でも、あっさりしている。それに比べて、ぼくは、こんなに未練がましい。

「ぼくは、アッコさんを愛しているんですよ。それなのに、別れるんですか。

行くなら、ぼくも連れて行ってください」

「それはダメよ。キミは、地球人だもん」

「アッコさんは、ぼくを愛してないんですか?」

「もちろん、愛してるわ。実験台としてだけどね」

 そうか、やっぱり、そうだったのか…… ぼくは、最初から、実験台として

としか見てなかったのか。

気持ちを裏切られたと思った。宇宙人を信じたぼくがバカだった。

やっぱり、宇宙人は、地球人の気持ちはわからない侵略者なのだ。

「さて、それじゃ、行くわね。サヨナラ。二度と会うかどうかわからないけど。それと、会社のみんなによろしく伝えてね。あたしは、家庭の事情で急に辞めることになってるから」

 何から何まで、ぼくの知らないところで話は進んでいたのか。

会社のこともぼくは知らなかった。ぼくだけ、除け者みたいな気がした。

誰も信じられない。先輩も、宇宙人も、川北町のみんなも、みんな信じられ

ない。

 気が付くと、ぼくは、アパートを出ていた。どこをどう歩いたのかわからないけど、人気のない公園のベンチに座っていた。先輩が消えると、この街も消えるんだ。この公園も何もかも……

ぼくは、また、一人ぼっちになった。淋しくて、涙が止まらなかった。

男らしくないと言われても、ぼくは、泣きたかった。

 どれくらいいたのかわからない。すると、目の前に誰かが現れた。

「地球人、こんなとこでなにしてる?」

 声をかけられて顔を上げると、そこにいたのは、同じアパートに住んでいる、犬の宇宙人だった。

「アッコとケンカでもしたのか?」

「別に……」

「別にじゃないだろ。何があった。話してみろ」

 そう言って、大男は、ぼくの隣に座った。

「なんだ、その顔は。泣いてるのか。泣くなら、こうやって泣くんだ」

 そう言って、犬の遠吠えをして見せた。同じ泣くでも、字が違うんだけど……

「知ってますか。もうすぐ、川北町は、消えるんですよ」

「そうらしいな。それで、泣いてるのか?」

 ぼくは、小さく頷いた。

「アッコと、別れるのか」

 また、小さく頷いた。

「それで悲しくて泣いてるのか」

 今度は、大きく頷いた。

「お前、アッコと、地球侵略と、どっちか取れと言われたら、どっちを取る?」

「もちろん、アッコさんに決まってるだろ」

 自然と言葉が口から出た。

「でも、アッコを取るということは、もれなく地球侵略も付いてくるんだぞ。

それでもアッコを取るのか?」

「取る。だって、ぼくは、アッコさんが好きなんだ。アッコさんと結婚するんだ。だから、アッコさんとは別れたくない」

「なんだ。答えは出てるじゃないか。だったら、泣くことないだろ」

 そう言って、肩を大きく叩かれた。今日は、その大きな手で叩かれても、

ちっとも痛くなかった。

「アッコに付いて行くって決めたなら、何があっても付いて行けよ。あいつに付いて行くのは、大変だけどな」

 そう言って、大きく笑った。ぼくは、涙を拭いて、立ち上がった。

「ありがとう、犬の宇宙人さん。ぼくは、決めました」

「よし、その意気だ。がんばれ、地球人」

 ぼくは、犬の宇宙人に励まされて、勢いよく走り出した。

急いでアパートに帰って、アッコさんに言わなきゃ。ぼくの出した答えは、

間違っているかもしれない。それでも、ぼくの答えは、一つしかない。

アッコさんに付いて行く。これしかないんだ。

「アッコさーん」

 ぼくは、大きな声で先輩を呼んだ。そして、アパートに戻ると、部屋を

開けた。

「アッコさん」

「あら、今まで、どこに行ってたのよ。アッコなら、もう、宇宙に行っちゃったわよ」

 そこにいたのは、白ネコさんだった。同じアパートに住む、白ネコの女の

宇宙人だ。

「どうして……」

「アンタに言伝があるの。今まで、ありがとうって。甲児、愛してる。だってさ、よかったわね」

「そんな…… 」

 やっと答えが出たのに、これじゃ、何もならないじゃないか。

「アッコさ~ん!」

 ぼくは、先輩の名前を呼び続けた。でも、先輩は、もう返事をしてくれない。

 

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