43:エピローグ
何時間もの痛みに耐えて、ふっと何かが抜けた瞬間に、オギャアオギャアと言う赤子の声が聞こえ、ほぅと安堵の息を吐いた。
おろしたてで清潔な真白い布に包まれた赤子を女医から受け取る。
「おめでとうございます。可愛らしい皇女様でございますよ」
「そう、あなた女の子だったのね」
生まれたばかり特有の、顔の真っ赤な小さな赤子。
指先はおもちゃの様に小さいのに私の手が触れると思いのほか力強くぎゅぅっと握り返してくる。
「ふふっ動いたわ」
「はい、元気なお子でございますね。
皇妃様、皇帝陛下がずっとお外でお待ちです。お呼びしてもよろしいでしょうか?」
「ええお願い」
ヘクトールが、後ろにシャルロッテを連れて入って来た。
「シャルロッテ! あなた大丈夫なの!?」
「あははは、こんなのかすり傷ですよ」
そう言って笑顔を見せるが説得力はあまりない。なんせ彼女の肩は布が当ててあるのか不恰好に盛り上がり、その腕は首から下げた白い布に吊られているのだもの。
「聞いてくださいよ皇妃様! 私ってば皇帝陛下直々に治療して頂いちゃいました!」
「そうなのね。ありがとうございますヘクトール様」
「まあ約束したからな。それよりもだ。レティーツィア改めて礼を言おう。
俺の子を産んでくれてありがとう」
「皇女でございました……
男児でなくて申し訳ございません」
「何を謝る事がある。俺もお前もまだ若い、まだまだ機会はあるだろう」
「ですが……」
「それとも何か? 男児であったらもう俺に抱かれなくとも良かったのにとでも言うつもりであったのか」
「いいえ、決してそう言うつもりではございません」
「ならばどちらでも構わないだろう。
そうか皇女であったか、うむうむ。お前に似るとよいなぁ」
「何故ですか?」
「くっく山猿に似て嫁の貰い手がいなくなると困るだろう」
ヘクトールはそう言うとニッと笑みを見せた。
「……知っていらしたのですか?」
「まあな。なんせ商人と言うのはどんな要らない情報も無理やり売ってくるからな」
はにかむように笑うヘクトールを見て、今はそう思えなくとも、何年か先、私はこの人が夫で良かったと言える日が来るような気がした。
シャルロッテを斬りつけた女騎士は殺さずに捕らえられていた。
その後どのような事があったかは知らないが─ただし想像するなら薬の類を使ったのであろうと思う─、彼女は元東部に所属していた騎士だったようで、イスターツ帝国に、ひいては私に一矢報いようと虎視眈々と機会を狙っていたらしい。
それほど日を待たずして幾人もの騎士や役人が掴まった。その数は日に日に増していきある日を境に終わった。つまり出尽くしたのだろう。
またその流れで行方をくらませていたリブッサも捕まっている。どこかに隠れ住んでいるとは予想していたが、まさか帝都の中だったとは思わなかった。
再び掴まり帝城に縛られて連れてこられたリブッサ。
色気を振りまいていた昔の面影はもはやなく、目は落ちくぼみ髪の手入れもされておらず、まるで物語に現れる鬼女の様な風。
「一年も掛けたのに残念だったわ」
彼女は悪びれることなく悪態をついた。
今回は、前回の父親の内乱に巻き込まれたのとは違う、明確な罪状がある。自分の末路を知っているからこその不遜な態度だろう。
私は言葉を交わすことなく、リブッサが連れて行かれるのを見送った。
第一皇女の名はフィーネと名付けられた。正式名はフィーネ=シュヴァイツェルシュペルグ=イスターツになるのだろう。
私には及ばないがまた随分と長い名前よね~と呆れた。
なんにしろあの砦の名前が悪いわよ!
生まれたばかりのフィーネはよく泣く。
しかし急にお姉ちゃんの自覚を持ち始めたテーアがしっかり世話をしてくれているから、私が手を掛ける必要はないらしい。
さて私がテーアを身請けしてから三年経った。
屋敷と城でそれぞれ一年半ずつ。そして城での一年半の間に彼女は侍女としての知識をほとんど身に着けている。
三年経てば、十二歳だった彼女もすでに十五歳になるらしい。ライヘンベルガー式で言えば翌年には成人だ。
十五歳と言えば私がこの国に向かった年でもある。ならばもう良いかしら?
「ねえテーア、今度侍女になる試験を受けてみない?」
「その試験はどういう内容でしょうか?」
「試験と言ってもそんなに難しい事じゃないのよ。侍女長の前でいつも通りの仕事をして認めて貰うだけ」
「ええっ!? 侍女長ってあの怖い……」
「そう言えば貴女にはとても厳しかったわね。でもちゃんと仕事を覚えてからは叱られていないのでしょう」
「そうですね」
「だったら大丈夫よ。きっと受かるわ」
「もしもあたしが侍女になったら、レティ様にお仕え出来なくなったりしますか?」
「ええそうね。侍女になったら私の所からは外れて貰おうかと思ってるわ」
「だったら嫌です」
「あら残念ね。テーアにはフィーネの初めての侍女になって貰うつもりだったのに」
「えっフィーネ様の!?」
「ふふふっ。どうかしらなってくれる?」
「はい! もちろんです!」
「じゃあ試験を受けてちゃんと受からないとね。
落ちたらフィーネの侍女にはなれないわよ~」
「ううっ頑張ります!」
その後、テーアは無事に侍女見習いから侍女へと昇格した。
フィーネが立ち上がり一人きりで歩き出す頃には、再び私のお腹は大きくなっていた。
そのフィーネはと言うと、身重で皇妃として何かと忙しい私よりも、ずっと一緒に居てくれる侍女のテーアによく懐いている。
それを見て私は母親としては悔しく、
夜の寝室。
一人目の時と同じく、私が懐妊してもヘクトールは変わらず私の部屋を訪ねてくる。
「そうそう先日ライヘンベルガー王国から親書が届いたぞ」
「あらどのような内容でした?」
「お義父上が孫の顔を見たいと言っていたな」
「フフフッ何を馬鹿な。お父様は国王陛下なのですから無理に決まっていますわ」
「いいやそうでもないぞ。昨年には第一王女のマリアナ姫が婚約されただろう。そろそろ戴冠の儀も視野に入れているのではないか?」
そう言えばと、早三年前になる約束を思い出した。
国王としてではなく
今年二十四歳になる第一王女のマリアナお姉様は未だ婚約中で、第二王女で二十二歳のアニータお姉様は相手なし。
お父様唯一の孫は異国に嫁いだ第三王女の私が生んだフィーネのみか。
「これは本気で来るかもしれないわね……
もしもただのじじいがヘクトール様を訪ねて来たら、せめて一緒にお茶くらいは飲んであげて下さいね」
「くっく、そうだな。ただのじじいであれば吝かではないな」
「はい。その時はぜひお願いしますわ」
何のこともないたわいもない話を二人で笑った。
これを自然と出来るまでに、一体どれほどの努力と妥協が必要であったか。きっと私もヘクトールも死ぬまで忘れまい。
「ところで……」
「あら言い辛そうになさってどうされました?」
「いま一度、聞いても良いだろうか?」
「何でしょうか?」
「好きか嫌いか、どちらかと言うならどっちだ?」
「そうですね~」
私はクスクスと笑いながらヘクトールに耳を~と手招きをした。体を窮屈そうに曲げ彼の耳がこちらへ。
私は耳元でそっと呟く様に、「どちらかと言うと
※
レティーツィアは皇妃を退くと帝都から去り、自らが賜ったシュヴァイツェルシュペルグ伯爵領に移り住んだ。以後帝都に戻ることは無くそこで没するまで過ごしたと言う。
そんな彼女の隣にはひと際体の大きな男がずっと付き従っていたそうだ。
それから数世代後、イスターツ帝国の民衆は口々にこのような事を言うそうだ。
『帝国を建てたのは初代皇帝だが、帝国を栄えさせたのは初代皇妃だ』と。
─ 完 ─
山猿の皇妃 夏菜しの @midcd5
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